射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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射手座の男 10 【危険】

 卒業間際に広瀬の就職がやっと決まり、甲馬と寺本と三人で、居酒屋で乾杯をした。
 カウンターで寝てしまった広瀬を置き去りにして帰ろうと甲馬が言った。それはできないと寺本が言った。甲馬は土井に電話して広瀬を迎えに来るように言い、そのまま無理矢理寺本をマンションに連れて行った。
 夜中に急に腹が減り、二人は近くのコンビニへ買い物に行った。セーターの上にコートを羽織ったが、三月の雨上がりの午前二時は想像以上に寒く、二人は背中を丸めてコンビニへ走った。
 レジにバイトの吉村がいた。お互い驚いて顔を見合わせ、二人のつないだ手を見て吉村は顔を背けた。それでも、時間切れで捨てようと思っていたというコーヒーをご馳走してくれた。少し苦かったが美味しかった。二人の冷えた体を温めてくれた。
 二人はそれぞれカップラーメンとおにぎりと温かいウーロン茶を買った。デザートに甲馬はプリン、寺本はバナナが一本まるごと入ったケーキを選んだ。レジに行く直前に寺本はカップ焼きそばをカゴに入れた。寺本は大食いだ。
 帰り道、国道に掛かる歩道橋の上で、寺本は突然立ち止まった。
「どうした」
「きれいだ」
「何が」
「タクシー」
 寺本が見下ろした大通りにはタクシーがあふれていた。雨で濡れた路面に車のライトが反射している。
「草木も眠る丑三つ時だぜ。こんな時間に走ってるのは殆どタクシーだ。お前、夜中に外フラフラしたことないの?」
 寺本は水滴のついた歩道橋の手すりに手を掛けて大通りに見入った。
「そう言えばないですね」
「不良のクセに夜遊びしてなかったのか」
「昼間、不良してました」
 制限速度オーバーでタクシーが次々と通り過ぎる。オレンジ色のライトが走る。濡れたアスファルトとタイヤが擦れる音が近付いては遠ざかり、近付いては遠ざかった。
「門限でもあったか。女の子みたいだ」
 寺本は甲馬を見て舌を出した。もう怒らなかった。
 寺本はまるで初めて都会の夜景を見た田舎モンのように目を輝かせ、うっとりとした目で大通りを眺めた。今までさんざん節操のない生活をしてきた男が、幸せそうに微笑んだ。
 目を細めて変な顔になる。
「こうすると、光がぼやけてもっときれいですよ」
 眉間に縦ジワを寄せて、もっと変な顔になった。
「よせ。いい男が台無しだ」
 口を尖らせ小鼻を膨らませ、きれいな顔がすっかり崩れた。
「こら」
 可愛い笑顔に戻った。
 それから、歩道橋の横に掛かっている高速道路入口を示す緑の看板を見ようと身を乗り出した。「近くで見るとこんなに大きい」と感動し、更に身を乗り出す。
 一瞬タクシーの波に吸い込まれるかと思った。
 甲馬は慌てて後ろから抱き締めた。
 抱き付かれた寺本が驚いて振り向く。
「お前……寿命が縮まったぞ」
「甲馬さん、あったかい」
 甲馬の額に自分の額を擦り付けて寺本が言った。甲馬は更に強く抱き締めた。
「お前、寒がりだもんな」
 寺本の冷たい耳に、はぁと息を吹き掛けた。
「お前、家出ないと駄目だな」
 訝しげな顔で甲馬を見た。
「危なっかしいんだよ。横断歩道も満足に渡れねえし」
 恥ずかしそうに笑った。
「学校の前でよく車に轢かれそうになってるだろ。だっせー」
 校門の前の交差点は確かに渡り難い。しかし小学生だって轢かれることなく渡っている。
「方向音痴だしよ」
 レストランに行くと、寺本はトイレから出た後、来たのと反対方向に歩いて行ってしまうことがよくある。レストランで迷子になる大学生を初めて見た。
「卒業したら一人暮らししろよ」
 過保護という訳ではないのだろう。性格なのだろう。かといって、一人暮らしをしたからしっかりするというものでもない。過保護に育っても土井のように手の掛からない奴はいる。でも、出掛ける時に火の元を確かめ戸締りをして、ノブを回して確かに鍵が掛かっているかどうか確認する時の緊張感、せめてそれくらいは、こいつには必要だと思う。いくら部屋がきれいに片付いていても、家を燃やしてしまっては元も子もない。
「それとも……オレと暮らすか?」
 寺本は無視した。勇気を出して言い出した大の男を無視した。
「風邪引くからもう行くぞ。夜のタクシーくらい、これからいくらでもオレが見せてやる」
 寺本の冷たい手を取って、自分のコートのポケットに入れた。

 マンションに戻ると、おにぎりを口にくわえてエアーポットに水を入れながら甲馬が言った。
「行く前に沸かしていけばよかったな。オレも、だっせーな」
 テーブルにポットを持って来てコンセントを挿す。座ったまま手だけ伸ばして茶ダンスから箸二膳と三分砂時計を出した。吉村はカップラーメンと一緒に割り箸を入れてくれたが、甲馬は割り箸が嫌いだ。木の臭い匂いは食べ物を不味くする。カップラーメンのビニールを破きながら甲馬が言った。
「何でこれって破きにくいんだろうな」
 寺本がうなずいた。寺本はカップラーメンと一緒にカップ焼きそばも作るつもりだ。腹と相談してからの方がいいと思うのだが。
「おい」
「はい?」
「何やってんだよ。焼きそばのかやくは麺の下に置くんだよ」
「え、そうなんですか? だって麺の上に置けって書いてありますよ」
「そうだけどよ、下に置きゃお湯を切る時に具が出ちゃわないだろうが。蓋にも貼り付かねえしよ。常識だぜ」
 麺の上に載せてしまったかやくを見つめて寺本は黙った。
「かしてみろ。こうやって麺を逆さにすりゃいいだろうが」
 寺本が嬉しそうに笑ってうなずいた。
「ったく」
 エアーポットのお湯はなかなか沸かない。少し調子が悪いのだろうか。
「一人暮らしっていいぞ。部屋がコンパクトだから楽だ。座ったまま手を伸ばせば何でも取れる。電話も取れるし雑誌も取れる。眠くなったら一歩歩けばベッドだし、ドラマのコマーシャルの間にトイレに行って来られるし、トイレからテレビの音も聞こえる」
 甲馬はさっきコンビニで会った吉村のアパートを思い出した。
「吉村のアパートは狭いからさ、トイレからテレビが見えるんだぜ。クソしながらテレビが観られるんだ。サイコーじゃねぇか? オレ、ケツ出したまんま二時間ドラマ観る自信あるぜ」
「吉村くん、カノジョとかできました?」
 おにぎりを片手に寺本が言った。
「さあな、最近会ってないから。あ、たった今会ったか」
「どうなんだろう…」
 甲馬が黙っていると、寺本はまた「どうなんだろう」と小声で繰り返した。甲馬に聞いているのか独り言なのか知った事ではないが、さすがに二度同じ事を言われると甲馬も少し腹が立ってくる。
「何だよ。操を奪った罪を感じてるのか?」
 寺本はおにぎりに一口噛み付いたまま固まった。間抜けな顔だ。
「ま、よかったんじゃねえか? あいつ、合宿の後、嬉しそうに『童貞クラブ』に脱会届出してたから」
 寺本が驚いた声を上げる。
「そんなクラブがあるんですか?」
「ねえよ、馬鹿」
「………」
 後悔するくらいなら最初からやらなければいいのに。広瀬も馬鹿だがこいつも馬鹿だ。馬鹿コンビだ。だから仲がいいんだ。
「大丈夫だよ。あいつは初めてヤッた女と結婚するタイプだ」
 寺本は目を伏せて黙って聞いている。きれいな顔だ。すましていると、まるでデパートに置いてあるマネキンのようだ。
「オレに引っ掛かってたような女どももさ、あと何年かすれば土井とか吉村とかがいいんだって気が付くんだよ。お前の心配には及ばない」
 その甲馬に引っ掛かった寺本がうなずいた。
「あ、うなずいたな」
 マネキンがクスッと笑った。
「お前もそうかな」
 押して駄目でも決して引かないと言っていた甲馬が引いた。
 美味そうに鮭のおにぎりを頬張る寺本を甲馬は見つめた。寺本と吉村が抱き合う姿が頭に浮かぶ。土井と抱き合う姿も浮かぶ。
 こんな虫も殺さないような顔をして、どうしてこいつは誰とでも寝てしまうんだ。後腐れのない奴を選んでいるだと? とんでもない。土井も吉村も未練タラタラだ。サクソフォンの奴とは本気で付き合っていたのか。教授は何人知っているんだ。学外でも暴れていたのか。
 かくいう甲馬も何人もの女と付き合ってきたが、これまで女の過去を気にしたことなどなかった。本当に、全く気にならなかったのだ。
 なのに、この男は甲馬を苛立たせる。首都高の渋滞よりも苛立たせる。
 立ち上がって張り倒して暴言を吐く事だってできるのに、甲馬にできるのは、人差し指でその高い鼻を押さえ付けることだけだった。
「……もう他の誰とも寝るな」
 そして声に出せたのはその言葉だけだった。
 その指を寺本がなめた。
 そしてくわえた。
 目を閉じてその太い指を吸った。力いっぱい吸い、それから舌で指を転がした。そしてまた強く吸った。
 とりあえずおにぎり一個で充電した甲馬の体が欲情した。歩道橋の上のあどけない笑顔も思い出した。
 海苔のついた寺本の唇にキスをして、そのままベッドの上に載せた。舌を絡ませ、上顎の裏の奥をくすぐるようになめてやった。
 寺本の綿シャツとジーンズを脱がせて脚を上げ、尻の穴をなめた。人差し指で穴を拡げながら唾液を溜めて根気よくなめると、穴はだんだんと軟らかくなってきた。すべて寺本から教わった事だ。
 腰を浮かせて、尻の穴から上に伸びる一本の筋を何度もなめ上げた。寺本の大きく硬くなった物がピクピクと動く。この筋をなめるとこいつはとても感じる。細い指がシーツをつかんでいる。
 穴に中指を入れて中をかき混ぜながら、硬くなった寺本を口に含んだ。甲馬の指が、舌先が、小刻みに動く度に、寺本の体が左右に跳ね回る。
「気持ちいいか?」
 寺本は薄目を開けてコクンとうなずく。
「気持ちいいって言え」
「気持ちいい…」
 気持ちいいと言われてこんなに嬉しいのは、こいつが初めてだ。もっともっと気持ちよくしてやりたい。
「してほしいことがあったら何でも言えよ。オレ、よく解んないからよ」
 調子に乗って、指を四本、穴に突っ込んでみた。するとさすがに寺本は大きな叫び声をあげて仰け反った。慌てて抜いた。勢いよく抜いたせいか、寺本はまた叫び声をあげた。
「ごめん、痛かったよな」
 すると寺本は首を振って薄目を開け、甲馬の右手を自分の肛門に誘導した。
 今度はゆっくりと四本の指を入れ、親指の付け根まで進めた。それから震わせるように手を動かすと、寺本は辛そうな顔で、努めて深呼吸を始めた。そうでもしないと、呼吸が止まってしまうかのような真剣な表情で。
 エアーポットに入れた水がようやく沸き始めたようだ。微かな音が聞こえて来た。
 甲馬も服をすべて脱ぎ、寺本の腰の下に枕を入れて、限界まで膨らんだ物を上からぐさっと突き刺した。唾液でたっぷりと濡れた穴の奥深くへぐいぐいと侵入すると、穴の内壁が痙攣し、寺本が小さく声を上げた。
 それから甲馬は静かに動き始めた。
 ポットの沸騰の音が激しくなってきた。甲馬も激しくなってきた。ポットの中でごぼごぼと泡が浮いている音がする。寺本の腹の中でも何かごぼごぼ言っている。甲馬は先端だけ残してほとんど抜いてはまた挿しているので、挿す度に寺本の腹に空気が入った。
 空気がつぶれる音がする。がぼがぼとつぶれる音がする。シーシーという沸騰の音がする。ぱんぱんと白い尻にぶつかる音がする。細い骨盤がみしみし言っている。
「あ…」
 おもりを失くしたメトロノームのように、甲馬の腰が寺本の体を乱す。寺本の体が真っ二つに折れた。寺本は両手の腹で目を押さえ、大きく長い声を出した。
「ああ…」
「そうだ、もっと大きい声出せ」
 三角の鼻の穴と並びの良い白い歯が甲馬の胸を焦がす。狭い部屋に沸騰の音が響き渡った。その音に負けないように甲馬も寺本を愛した。
「目、見せろ」
 両手を離すと真っ赤な目が現れた。甲馬を見つめ、首を振って、両手で甲馬の太い腕をつかんだ。いきり立った寺本の先端に甲馬は開いた手の平を当てた。寺本の体が魚のようにピクリと跳ねる。濡れた寺本の先端で手の平に円を描くと、甲馬の腕をつかむ手に力が入った。息も絶え絶えに、寺本は更に大きく、甲馬に訴え掛けるように何度も首を振った。
 辛いなら先にいっちまえ。
 寺本をつかんで上下に動かすと、彼は今までで一番大きな声をあげた。甲馬がもっと大きな声をあげた。寺本の声に興奮してあげた。穴がどんどん締まってくる。それとも甲馬がどんどん大きくなっているのか。
 いつでもいけ。
 寺本の頬が紅色に染まった。直前の顔だ。こいつの血圧が一番高くなる瞬間だ。なのにこいつはいかない。
「どうした、いけよ」
 また首を振った。何だっていうんだ。
「寺本?」
 穴がキュッと収縮した。
「……一緒に、いきたいのか?」
 泣きそうな顔でうなずいた。
「お前…」
 早く言え、馬鹿野郎。腰と右手のスピードを速めた。沸騰の音が最高潮に達した。
「好きだぜ、寺本」
「甲馬さん………」
「いくぞ」
「あっ」
 そしてポットの沸騰は絶頂を迎えた。同時に二人も絶頂を迎えた。
 高波の波頭が砕けて潮が引くように、沸騰の音が静かになった。寺本を初めて抱いた海を思い出した。
 甲馬の胸と右手が白くなった。頭の中も真っ白だ。
「……いいな、男って、解り易くて」
 静まり返った部屋の熱いベッドの上、肩で息をしながら、白い手で寺本を何度も絞り上げた。寺本は目を閉じたまま、かすれた声で低く唸った。
「女のいった、いかないって、今ひとつ解んなくてな。…見えないし」
 この甘酸っぱい匂いも、最近結構好きになってきた。寺本の体の中にあった物だ。オレはこいつの内臓だって食える。
 こんなに解り易く一緒にいけるなんて、
「いいな、男同士って」
 目を開けた寺本が赤い頬で微笑んだ。その頬を甲馬が白い手でなでると、寺本はその手を舌でなめた。
「いいな、お前って」
 白い口にキスをした。舌を絡ませ、何度も何度もキスをした。
「カップラーメン、作ろうぜ」

「そのスズキさんって知ってますよ。小学校の運動会で同じチームでした」
 カップ焼きそばにエアーポットの熱湯を注ぎながら寺本が言った。
「何だよ、あいつ運動会出てたのかよ。おいしいトコばっか持って行きやがって」
「土井さんからも聞きました」
「土井? 何で土井?」
 寺本は二つのカップラーメンにも熱湯を注ぎ、三分砂時計をひっくり返す。
「僕、あれから土井さんちでよくピアノ弾かせてもらってるんです。あんなピアノ、滅多にありませんから」
 こいつ、オレに何の相談もなく勝手に土井の家に出入りしているなんて。土井も土井だ。そんな事、オレに一言も話したことがない。
「知ってます? 土井さんちの車庫、すごいんですよ」
 ばれた。
「ケンメリGTRがあるんです。ハコスカGTRも、初代クラウンもあるんですよ。ドイツ車もいろいろあったけど、基本的に日本車が好きなんですって。スバル360までありました。お母さんが乗ってたんですって」
 寺本とは思えない興奮口調だ。こんな早口の寺本は初めて見た。
「あんまり土井んち行くなよ」
「どうしてですか?」
「どうしてって……スズキの話聞いたって仕方ないだろうが」
「それは夕食に鴨鍋をご馳走になった時に…」
「夕食だと?」
 何だこいつは。
「アキナちゃんとモモコちゃんのピアノをみてあげたら、食べてってくれって言われて」
 何なんだ、こいつは。
「その時に、スズキさんとお正月に鴨を食べに行ったって話を聞いただけですよ」
 そうだ。正月にスズキが一時帰国した時、土井に鴨料理をご馳走して貰う約束だった。しかし正月は寺本とずっと一緒だったので食い損ねた。でも鴨より寺本の方がずっといい。寺本も一緒に連れて行ければまさしく鴨ネギだったのだが、それはさすがに土井には言い出せなかった。
 甲馬は寺本の背中に手を当てる土井を思い出した。土井は寺本の事が結構好きなのだと思う。寺本も何故か土井には甘える。オレには甘えないクセに、土井には全信頼を寄せている。オレには優しくしてくれないのに、土井には優しい口調で話し掛ける。オレのことは優しいと言ったことなどないのに、土井は優しいと何度も言う。
「ごめんなさい」
 え?
「お正月は僕といたから、甲馬さん、鴨食べ損ねちゃいましたね」
 ああ、そういうことか。驚いた。土井の野郎、余計な事を言いやがって。
「いいんだよ。スズキにはあんまり会いたくないから」
「そうなんですか?」
「あいつ、ガキの頃からよ、音楽とは何ぞやとかすぐ語るんだよ。そういうの苦手でな」
 寺本が上を向いて笑った。
「勝手に語ってりゃいいのによ、『甲馬くんはどう思う?』とか、しつこくてな」
「甲馬さんの意見が聞きたいからですよ。曲の解釈とか」
「うちの学校、そういう奴結構いるだろ? バッハはこうだ、モーツァルトはああだって。そんな会った事もないオヤジの事なんか解んねえよ」
 寺本は砂時計の砂を覗き込むように見つめ、ガラスを指ではじき、早く全部落ちないかと待ちきれない様子だ。そんなことをしても何も変わらないのに。
「解らないことないでしょ。きちんと考えてなきゃあれだけ弾けませんよ。弾いた結果もちゃんと評価されてるし」
 砂がすべて落ちた。
「オレだってさ、考えてないこともないんだけどさ、そういうの人前で話すの嫌なんだよ。…馬鹿がばれるから」
 そう言いながら甲馬は立ち上がり、寺本のカップ焼きそばを持っていそいそとキッチンに向かう。寺本は二つのカップラーメンの蓋を開け箸でかき回した。
「甲馬さんも学部が終わったら留学するものと思ってました」
「うちには伊藤先生がいるからな。やたらの海外に留学するくらいなら伊藤先生の方がずっといい」
 流しで焼きそばの湯を切った。具は麺の下に入れたお蔭で外に飛び出ずに済んだ。だから甲馬はこのメーカーのカップ焼きそばが一番好きなのだ。最初から麺の上に具が載っている他のメーカーの焼きそばは、味はいいのだが、湯を切るときにどうしても多少具が外に出てしまうのが我慢ならない。上手く外に出なかったとしても、具が蓋に貼り付いてしまうのが不快だ。甲馬はカップ焼きそばには結構うるさい。
「行かなくて正解だった」
 キッチンから戻りながら甲馬が言った。
「お前と、また会えた」
 寺本は何も答えない。照れているのだ。
「お前もついに卒業だな」
「…はい」
「広瀬、東都フィルに決まってよかったな」
「ええ。欠員が出たとかで、急きょオーディションがあったって。本当によかった」
「すげぇじゃん。二流どころじゃん」
「そんな」
「二流っていうのはな、褒め言葉だ。一流とか超一流なんて数えるくらいしかないんだ。給料が出るだけすげえよ。これだけ金掛けて音大出てもさ、最後はだいたいそんなもんだ」
 確かにそうだと寺本も思った。卒業後更に勉強を重ね、それでも将来ソリストとなって活躍できるかどうかなど解らない。一生音楽で生活していける保証でさえどこにもないのだ。女の子ならば、嫁に行って近所の子供に楽器を教えるという幸せが待っている。音大卒という肩書きは良い嫁入り道具になる。しかし男の場合、独身を通す卒業生は結構多いとは聞くが、世間体を考える者ならば、きちんと仕事を持って結婚して家族を養おうとするだろう。寺本の場合、そんなつもりは毛頭ないから気が楽だ。自分を養えるだけの仕事が見つかればいい。
 しばらく二人は黙ってラーメンをすすった。
「広瀬の就職決まったから一緒にハワイ行くんだろ?」
 早々にラーメンを食べ終えた甲馬は大きく伸びをした。
「結局もうツアーに空きがなくて」
「それじゃ、広瀬と行くことにしてオレと沖縄に行こう。グアムでもサイパンでもどこでもいいや。どっかしら空いてるだろ」
 寺本は何も答えずカップラーメンをすすっている。こいつは大食いのくせに猫舌なものだから、あまり速く食べることができない。
「お前、就職活動してないよな。大学に残るんだろ? このマンションに越して来いよ。近くて楽だぞ」
「僕、卒業したら留学するんです」
 甲馬の箸が転がって絨毯に落ちた。
 それを見た寺本は、その箸を拾ってテーブルの上に置いた。
 そして寺本はまたラーメンをすすり始めた。体にあまり良くないから飲むなと土井によく言われるスープまで飲み干した。
 それからカップ焼きそばの蓋を開けて、麺もほぐさずソースと青海苔を掛けた。
 何やってんだ、こいつ。ソースと青海苔を一緒に入れちゃ駄目なんだ。まずソースと麺をよく絡めて、それから青海苔を掛けるんだ。そうしないと青海苔がまんべんなく麺に貼り付かないんだ。
 ほら、案の定ソースと青海苔が一ヶ所に固まって団子のようになった。不味そうだ。寺本は箸の先で必死に団子をほぐそうとしている。こいつはカップ焼きそばのことを何も知らない。
「……どういう事だよ。聞いてないよ」
 甲馬がつぶやくように言った。
「兄が大阪から東京に転勤になったんです。今は社宅にいるけど、うちを二世帯住宅にして一緒に住むんですって。家が狭くなるから、僕、アメリカ行くんです」
 頭が混乱してきた。
「兄の下の子、まだ赤ちゃんだから、ピアノがうるさいって言われるだろうし」
「…だったら家出ろよ。ここでオレと一緒に暮らせばいいじゃん」
「簡単に言わないで下さい」
「もっと広い部屋に移るよ。アップライトが嫌なら、お前のグランド持って来ていいから」
「そういう問題じゃないでしょ」
「練習がかち合うのが嫌なら、別の部屋でもいい。隣、今空いてるんだ。夜寝る時だけ合流しようぜ。ここなら夜十時までガンガンに弾いていいんだぜ」
「向こうの先生も、もう決まってるんです」
 寺本は不味そうな焼きそばを食っている。
「…オレはどうなるんだよ」
 甲馬の声がどんどん小さくなっていく。
「どうなるって、本気で付き合ってるなんて言った憶えはありませんよ」
「…………………」
「甲馬さんだって、遊びでも何でもいいって言ったでしょ?」
「…………………」
 焼きそばを食べ終えた寺本はデザートのバナナケーキの袋を開けた。 おにぎりとカップラーメンとカップ焼きそばを食べたのに、まだ腹がいっぱいにならない男。食べても食べても満腹にならない男。
「それじゃお前…どうしてここで、いつもオレに抱かれてんだよ…」
「気持ちいいから」
 何の迷いもなく寺本は即答した。
「そのバナナ入れればいいだろうが」
「バナナは動いてくれないから」
 バナナにはカステラが巻いてある。皮を被っている時の甲馬のようだ。生クリームも付いている。終わった時の甲馬のようだ。寺本は皮ごと口に入れた。大きく口を開いて入れた。
「…オレも行くよ」
「はい?」
「オレも留学する」
「だからそんな簡単に言わないで下さい。ずっと前から真剣に考えてた人間に失礼ですよ」
 甲馬は立ち上がった。辛うじてつながっていた頭の中の線が、プチンと切れる音がした。
「ずっと前から考えてたくせに何も言わない方が失礼だろ、お前、鬼だな、オレ、今本気で怒ってるんだぞ、笑い事じゃないぞ、鬼、鬼、鬼、鬼寺本」
 寺本の食べているバナナケーキを取り上げベッドに投げ付けた。
「一緒に行くからな」
「今からじゃ間に合いませんよ」
「今マジにお前の首絞めたくなった」
「甲馬さん、世界に挑戦する人でしょ? いつまでも男と遊んでる場合じゃないですよ」
 それがたった今までオレの腹の下で大きな声をあげていた男のセリフか。一緒にいきたいと懇願し、オレの手の中で果てた男のセリフか。手をつないでコンビニに行って、歩道橋の上でオレの腕に抱かれた、あの男のセリフか。
 プリンを食う気が失せた。
「二度と会えなくなる訳じゃないですよ。夏休みにでも遊びに来て下さい。短期セミナーとか。僕の所に泊めますよ。そしたらまた、さっきみたいにすごいの、して下さいね」
 寺本はそう言って甲馬の食べ終わったカップラーメンの容器と箸をキッチンに運んだ。それから自分のカップラーメンとカップ焼きそばの容器と箸も運んだ。残ったスープを流しに捨てて、容器はキッチンのゴミ袋に捨て、手を洗ってテーブルに戻って来た。
 バナナケーキを投げ付けたベッドのシーツが汚れている。突っ立ってそのシミを見つめていた甲馬が言った。
「奥さん。これ、きれいにして」
 一度座った寺本が大人しく立ち上がる。つぶれたバナナケーキをティッシュでつかんでゴミ箱に捨て、それからシーツをはがした。引き出しから新しいシーツを出して敷き、汚れたシーツを洗濯機へ持って行った。生クリームの付いた部分を何度もティッシュで拭き、液体洗剤をつけて揉み洗いをしている。そしてシーツを洗濯機に押し込み、粉末洗剤を入れスイッチを回した。ついでにその辺りに散乱したタオルや下着やTシャツや靴下を拾い集めて洗濯機にほおり込み蓋をした。
 本当にいい奥さんだ。歩き回る時に丸い尻がプルプル動く。こんないい奥さんを手放す訳にはいかない。
 新しく敷かれたシーツの上に甲馬は寝転んだ。寺本に背を向けて頭から布団を被り、布団の中で肩を震わせた。その震える肩を寺本が抱き締めてくれた。
「どこの学校だよ…」
 震える声で聞いた。
「イーストマン・スクールです」
「ニューヨークだっけ? ホモが多いからそこにしたのか」
「ニューヨーク州ですけどマンハッタンじゃありません。ロチェスターですよ。ナイアガラの方です」
「夏休み、行くからな」
「待ってます」
「一緒に滝見に行こうぜ。裏切ったら滝に飛び込むぞ」
「新学期は九月からですから、それまでは日本にいます。次の夏休みに待ってます」
「浮気するなよ」
「甲馬さんもツインカムターボ復活ですよ。でも、できたら本命を見つけて下さい。いい遺伝子は残しましょうよ」
「九月まではここに泊まりに来いよ」
「必ず電話してから来ます。暗号、憶えてますよね」
 小刻みに震えていた甲馬の肩が、大きく震え始めた。寺本が布団の上からその肩を何度もなぜてくれた。布団から少し飛び出した髪に何度もキスをして、そして何度も抱き締めてくれた。
 いつもの百倍くらい優しかった。
 その偽りだらけの優しさを、甲馬はしばし堪能し、肩の震えが更に大きくなった。
 寺本に背を向けて布団に包まりながら、甲馬は息を殺して肩を震わせながら笑った。
 留学。
 その手があった。
 正々堂々寺本と暮らせる、そんな良い手があった。そう思うと笑いが止まらなかった。



「オレ、寺本と留学するんだ」
「あ、そうですか。そりゃ楽しみですね」
 土井が桜の木の下で胡坐を掻いてビールを飲みながら言った。菅楽器科の仲間で花見をするために、ビニールシートを敷いて場所取りをしているのだ。後輩にさせればいいものを、何故か土井がしている。今夜は甲馬もその花見に便乗するつもりだ。
「本当だよ。寺本には内緒で事を進める」
「え、冗談じゃないの?」
 甲馬は遠足から帰って来た小学生のように楽しそうに、土井に一部始終を話した。
「気持ちいいからオレに抱かれてるんだとよ。オレも大したもんだな」
 まだ五分咲きの桜を見上げて、土井は息を吐いた。土井は満開の桜よりも五分咲き、せめて七分咲きの桜が好きだ。
「お前、おめでたい奴だな」
「ああ、めでたい、ハレルヤだ」
「つまりは卒業したら別れるつもりだったってことだろ? そんなことも解らないのか」
「別れる切れるは芸者の時に言う台詞だ」
 甲馬のふざけた態度は今に始まったことではない。
「捨てられたんだよ、お前、見事に」
「違うんだよ。寺本はオレが留学したいのに意地を張ってるのが解ったんだよ。だからきっかけを与えようとしてあんなこと言い出したんだ」
 土井は横を向いて「馬鹿野郎」と吐き捨てた。
「あいつだってオレのこういう性格は知ってるはずだろ? オレがあいつの後を追っ掛けることくらい解ってるはずだ。つまりは一緒に来て欲しいって事なんだよ」
「今何月だと思ってんだ。間に合う訳ないだろ。お嬢様の語学留学とは訳が違うんだぞ。お前レベルになりゃ、みてくれる先生なら誰でもいいって訳にいかないだろうが。勝手なことすりゃ、いくらお前だって破門だぞ」
「おい、お前、オレのこと褒めてんのかよ、責めてんのかよ」
「伊藤先生に、気が変わりました、やっぱり大学辞めて留学します、九月からオレをみてくれる先生、大至急探して下さいって言うのかよ、しかも大学限定で。お前、伊藤先生に何年みてもらってると思ってんだ」
 土井の正論に甲馬は何も言い返せなかった。
「あいつだって馬鹿じゃないよ。お前のその性格を知ってるから、予防線を張ったんだよ。ギリギリまで隠してたんだ。今からじゃ一緒に行くのは無理だ。後から追い掛けるにしても、あんな奴、数ヶ月でも離れてみろ、お前なんて近くにも寄れなくなってるよ。結局、本当に、遊びだったんだよ」
「違うってばさ。ハジメちゃん、解ってないなあ」
 土井は飲み終えたビールの缶を思い切り握りつぶした。
「お前がどれだけ強いのか知らないけどさ、それでも、お前一人じゃ満足できなかったんだよ。そういう男なんだよ」
「満足してるさ。あいつ、オレに抱かれて、すげえいい顔するんだぜ」
「誰にでもそうなんだよ」
 誰にでも。
「所詮お前は日替わりメニューのひとつだったんだ。そんなの、お前だって最初から解ってただろ? いい加減で目を覚ませよ」
 土井は立ち上がって、つぶれた空き缶をビニールシートに投げ付けた。
「誰とでも寝る男だ」
「…………」
「お前、広瀬より馬鹿だ」
「解ってるよ」
「……コンマ?」
「お前に言われなくたって、解ってるんだよ」
 二人の頭上で、鳥たちがせわしくさえずっている。
 土井が腰を下ろして甲馬の顔を覗き込むと、甲馬は下を向いたまま歯を食い縛った。
「でも、もう、今更戻れねえよ。だから、もうそれ以上言うな」
 周りの桜の木の下に次々と青いシートが敷かれている。各シートにスーツを着た若い男が一人ずつ座っている。ヘッドフォンで音楽を聴いている者もいれば、漫画を読んでいる者もいる。小さな子供を連れた若い母親の団体が通り過ぎた。
「時間が経てば忘れられるよ。時間ってすごいぞ。じっとしてるだけで、物事解決してくれたり、傷を癒してくれたりするんだ。辛いのは最初だけだよ。辛くて仕方なかったら、携帯に電話してくれれば、おれがいつでも美味いモン食わせてやるから」
「お前にオレの気持ちなんか解るかよ」
「解んないよ。解りたくもないよ」
「それじゃいっそ死ねって言ってくれよ」
「じゃ死ね」
「それもいいかもな」
「寺本に言うぞ。あいつ、よくうちにピアノ弾きに来るんだ」
「駄目だ。あいつはオレを裏切ろうとしたんだ。だからオレもあいつの鼻を空かしてやる」
「それだけコケにされて何言ってんだよ」
「間に合うか、間に合わないか、オレの運次第だ」
 土井は両手を甲馬の肩に置いて説き伏せるように言った。
「誰かを一生懸命好きになれたってのは悪いことじゃないよ。相手が悪かっただけだ。だから、もうやめろ、いいな?」
「解ったよ、ハジメちゃん」
 甲馬は顔を上げ、満面の笑みで土井を見た。
「オレ、ちょっとその辺走ってくるわ」
 すくっと立ち上がった。
 五分咲きの桜並木を見るために、上を向いて、全速力で走った。



「寺本…寺本…寺本…寺本……」
「甲馬さん」
 夜中にうなされて、寺本の声で飛び起きた。
「寺本…」
 寺本を三回続けていかせたくらい汗を掻いていた。
「寺本…」
 四回いかせたくらい息が荒かった。
「寺本、どこだ」
「僕はここにいますよ」
 暗闇の中、隣にいる男を見た。胸に昨日作ったキスマークがあった。
「寺本か…」
「…はい」
「どこにも行くなよ」
「……………」
「………アメリカ、行くんだったな」
「またすぐに会えますよ」
 冷蔵庫のモーターが動き出した。
「……そうだな」
 息が苦しくて、しばらく動けなかった。
 寺本が甲馬の開いた口にキスしてくれた。それから少し髭の生えた頬にキスしてくれた。小鼻に、汗ばむ首筋に、それから首のアザにキスしてくれた。そしてそのアザをなめてくれた。何度もなめてくれた。
「これで、痛いの、治りました?」
 窓の外で雨が降り始めた。横殴りの雨は音を立ててガラス窓を叩いた。これではせっかく咲き始めた桜が散ってしまう。
 やっと体が動くようになって、寺本を押し倒した。
「キスしてって言えよ。キスしてやらないぞ」
「キスして」
 言われたとおりにしてやった。
「いれてって言えよ。いれてやらないぞ」
「いれて」
 言われたとおりにしてやった。
「感じるって言えよ」
「………感じる」
「大きいって言えよ」
「………大きい」
「いっちゃいそうって言えよ」
「………いっちゃいそう」
 今までずっと、最終目的は体だった。
「愛してるって言えよ」
「……………」
「言えよ」
「……………」
「言ってくれよ」
 体さえ手に入れば、そいつは手に入れたという事だった。
「…………………愛してる…」
 オレもだよ。
「あっ」
「ありがとな、言ってくれて」
「あ、甲馬さん、あ、あ、あ……」
「ありがとな、寺本、ありがとな」
「甲馬さ……」
 寺本は素直だ。前を向けといえば前を向く。後ろを向けと言えば後ろを向く。何でもさせてくれるし、何でもしてくれる。骨が折れるほど強く抱き締めても、抱き締め返してくれる。
 雨が雪に変わればいいのに。季節外れの大雪になればいいのに。そうすれば外は真っ白になる。辺り一面真っ白になる。何もかもが、すべて、真っ白になる。



つづく
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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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