射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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射手座の男 13

 甲馬と寺本が「再会」して一年が過ぎ、また若葉の季節がやって来た。
 寺本は卒業後も頻繁に大学に通っている。担当教授のレッスンも週に一度は受けており、教授もかつて通っていたという寺本の留学先の大学の話などを聞きながら、雑用の手伝いをしていた。十年以上世話になった教授ともしばらく会えなくなると思うと寂しい気持ちになる。教授もそう思ってくれているのか、いつも手の甲を定規で叩いて叱っていた教授が、卒業以来あまり怒らなくなった。感慨深いものがある。
 そしてその帰りに甲馬のマンションに寄るというのが慣例化していた。そのまま泊まることも珍しくない。卒業以来、寺本の母親は息子の遅い帰宅や外泊に目くじらを立てることは皆無となっていた。大学を卒業した息子の行動など気に病むだけ馬鹿らしい。そうカルチャーセンターのおしゃべり仲間に忠告されたのだ。無断外泊はなるべく父親の出張中にしてくれとまで言うようになっていた。

 寺本はストラディバリの合鍵でマンションのドアを開けた。
 部屋に充満した煙草の匂いに、思わず鼻と口に手を当てる。息を止めて窓を全開にし、緑の風をたっぷりと入れ、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
 大学からマンションまでは歩いて十分程だ。寺本が大学構内の附属の小学校に通い始めた頃は、周辺は一面森だったと記憶している。ここ数年で駅前はかなり開発されてはきたものの、駅から数分も歩くと、まだ緑がうっそうとした景色が広がる。この季節、甲馬のマンションの南側も、窓を開けた途端、木々の葉が擦れる音が聞こえてくる程に緑が萌えていた。各部屋から夜遅くまで楽器の音が漏れ出すことが予想された建物のためか、その音を吸収すべく周りの木々はかなりの割合で伐採せずに放置されたと聞いている。
 爽やかな窓の外の風景から百八十度周り、寺本はまだ少し煙草臭い部屋の中を見つめた。およそ爽やかとは言い難い、相変わらずの空き巣に入られたような有様だ。
 テーブルの上にはペットボトルやコンビニ弁当の食べ残しが放置され、床には楽譜や雑誌、そして脱ぎ捨てられた下着類。枕元には吸殻が山積みになった灰皿。
 寺本はまず吸殻を落とさないように気を付けて灰皿をキッチンまで運び、吸殻をゴミ袋に捨て、流しできれいに洗った。それから床に散乱した下着や靴下やタオルを拾い始めた。まるでハイキング場で空き缶や空き瓶を集めている気分だ。また「奥さん」などと言われるだろうが、こんな汚い部屋では寺本自身が不快だ。汚れ物を洗濯機に投げ入れ、洗剤を入れてスイッチを回した。
 甲馬は九州のジュニア・コンクールのゲストとして招待されたため、昨日から留守だ。一晩経つのにこの煙草の臭いとはさすがに呆れてしまう。コンクールの後、楽器屋のイベントにも参加すると言っていた。寺本の言い付け通り、九州のホテルに一泊してから今日の午前の便で戻って来る予定だ。昼前に羽田に着くと言っていた。すぐにでも会いたいので、マンションでピアノでも弾いて待っているようにと言われている。さもないと日帰りで帰って来るぞと脅されたのだ。
 壁の時計を見ると丁度正午だ。今頃あのふて腐れた顔で蛇腹の通路を歩いているのだろうか。その顔を想像したら、意味もなく笑いがこぼれた。
 掃除機を掛ける前に一息吐こうと、戸棚の中からシーバス・リーガルのボトルを出してグラスに注いだ。一口飲んでベッドに腰掛ける。あっと思って立ち上がり、掛け布団をめくると、布団の下から甲馬のスエットのパジャマの上下が現れた。軽く舌打ちをしてグラスをサイドボードに置き、そのパジャマを拾い上げた。洗濯機に入れようとしたが思いとどまる。もう既に一回目の脱水が始まってしまっていた。
 立ったまま手に取ったグレーのパジャマを見つめた。顔に当てると、甲馬の匂いがした。臭い匂いではないが、甲馬には独特の体臭がある。あの厚い胸に抱き締められる時、寺本の鼻と胸を突く匂いだ。この匂いに包まれて眠りに就くことに、この匂いで目を覚ますことに、寺本はもうすっかり馴染んでしまっている。額に甲馬の頬や顎の髭が当たる感触まで憶えている。
 甲馬はいつも「オレは短時間の睡眠でも生きていける超人だ」とその体力を自慢しているが、その眠りの深さを見ればそれも納得できる。熟睡している甲馬は、寺本が至近距離からじっと見つめても、頬をすり寄せても、決して起きることはない。だからきっと、甲馬が寺本の顔を見つめる時間よりも、寺本が甲馬の顔を見つめる時間の方が圧倒的に長いのだと思う。
 松脂の匂いもする。煙草の匂いもする。鎌倉の夏合宿で初めてキスした時は、甲馬の唇はメンソールの味がした。しかしいつからなのか銘柄を変えたらしく、この部屋もパジャマもマイルドセブンの匂いだ。煙草を吸わない寺本は煙草の匂いに敏感である。寺本の前で甲馬は煙草を吸わない。一応気を遣っているそうだ。でも甲馬のキスはいつもマイルドセブンの味がする。煙草の煙の匂いは嫌いなのに、何故か甲馬の煙草の匂いのキスは好きだ。マイルドセブンの味のキスなど数え切れないほど知っているのに、甲馬のマイルドセブンのキスが好きだ。
 右手の指で下唇をつまんでみた。
 もう一度ベッドに腰掛けた。大きな枕がTシャツを着ている。古くなったTシャツを枕カバー代わりに使っているのだ。パジャマを胸に抱いて、そのTシャツに頬を載せた。
 甲馬の硬い髪の匂いがする。
 甲馬はいつも髪を短く切っている。刈り上げた後頭部は丸く膨らんでいて、その形の良い頭に、短いスポーツ刈りがとてもよく似合っている。しがみ付いていると、まるでボールを抱えているような気分になって、可笑しくなってしまう事さえある。
 小学生の頃から注目を浴びていた一つ上の先輩。気付けば目で追うようになっていた恐い顔の先輩。声も態度も恐ろしくでかいのに、いつも仲間に囲まれていた無骨なガキ大将。球技で盛り上がるクラスメートを横目に、ひたすらトラックを走り続ける孤独なバイオリン弾き。
 中学に入ってすぐに親しくなった友達が、顔を上気させ、「憧れの先輩がいる」と言い出した。「この中学を受けたのはその先輩に会いたかったからだ、合格できて嬉しい」とクラスのみんなに話した。何の屈託も邪心もない親友は、訪ねるには勇気が要ると思われる上級生の教室に出入りするようになり、寺本の焦る気持ちを他所に、日増しにその先輩と親しくなっていった。無邪気に先輩を賞賛し、頭を小突かれ、蹴飛ばされ、使い走りにされ、二重奏を弾き、時折一緒にコンサートに行き、そのうち自宅にまで遊びに行くようになった。寺本の方が、もうずっと前から知っている先輩なのに。でもそのお蔭で、いつも広瀬と一緒にいる寺本にも駅や廊下で目が合うと挨拶くらいはしてくれるようになった。しかし名前を呼んでくれることは、ついぞなかった。
 その先輩は、高校に入ると女の子が大好きで有名になった。解ってはいたが、寺本など到底入り込む隙はなかった。
 大学に入った年、中庭から伊藤教授の部屋で練習する甲馬の姿が見えることを知った。それだけで嬉しくて、意味もなく中庭をうろついたり、噴水の前に座って雑誌を読んだりしていた。
 好きというよりも、憧れの気持ちの方が強かった。それが恋心に変わったのは、いったいいつだったのだろう。それでも、愛されようなんて露ほども考えなかった。
 ひと夏の遊び。
 どさくさに紛れて、体だけ、想いを遂げた。それだけで諦めるには十分だった。幸い相手は天下の遊び人だ。
 なのに愛された。解っている。愛されている。心から愛されている。
 そう、今は。
 でもいつか去って行く男だ。元々違う世界の人間だ。よしんば去らないとしても、いつか後悔する。そして悩む。世間の風当たりは強い。
 そうなる前に、お互いの傷が深くなる前に、終わりにしなければならない。これから世界を目指す男を、これ以上巻き込む訳にはいかない。
 あの夏は、あの夏で終わるはずだったんだ。
 真夏の夜の夢。
 夢を見ていたのは、僕だ。
 この夏が終われば、彼はすべて忘れるだろう。それまで、まだもう少しだけ夢を見ていられる。箱の中にあと何本のマッチが残されているのかは知らないけれど、夢を見よう、あと少しだけ。
《愛してるぜ、寺本》
「甲馬さん…」
 小さくつぶやいた。
《お前がいれば何も要らないよ》
 パジャマをぎゅっと握り締めた。
「甲馬さん、甲馬さん、甲馬さん…」
 返事がないことに安心して、何度も呼んでみた。
《好きで好きで、涙が出てきちゃいそうだ》
 目を閉じて、その大きな枕に顔をうずめた。
《お前もそうだろ。な? 解ってるよ》
 顔をうずめたまま、大きく首を横に振った。
《愛してるって言えよ》
 もう一度大きく、首を振った。

つづく

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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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