射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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夏 1989 後編 【危険】

     五

 次の日になると、甲馬に少し本来の元気が戻ってきた。その代わりにオーボエの吉村が落ち着かなくなった。
「吉村、はやくAの音くれよ」
 立っている甲馬に言われて、下を向いていた吉村が顔を上げた。慌ててラの音を出した。オケ全体の音を合わせるためだ。
「何だ? その音は。腹でも痛いのか」
 と指揮者が呆れ声を出す。
「こいつ、もうずっとお通じがないんですよ」
 隣のフルートの男が言うと団員がドッと沸いた。吉村が腹を押さえて怒る。
「おい、馬鹿。言うな」
「メルセデス便通」
「枕が替わると出ないそうです」
「やめろってば、あ、いて」
 もう一週間以上になる。昔から旅行に行く度に便秘していた。小学校の臨海学校から中学高校の修学旅行まで、出発の数日前から緊張してもう出なくなってしまうのだ。今回の合宿では、繊維配合のドリンクを毎日飲み、適度な運動もしている。薬も飲んだ。しかし出ないものは出ない。朝から腹が張って演奏どころではない。慣れている痛みではあるが。
「ちょっと、また薬飲んできます。トイレも、挑戦してきます」
 団員たちの嘲笑の中、小柄な吉村は席を立ってオケを離れた。足元に置いてあった鞄から漢方薬を出しながら部屋に向かった。
 まず薬を飲んで、大量の水を飲んで、それからトイレに入ろう。トイレも長くなるだろうから、スタジオ近くのトイレではなく自分たちの客室のトイレに入ろう。
 部屋に入るとまず洗面所で薬を飲み、それからトイレに入った。
 やはり出ない。腹が張って仕方がない。腹を力いっぱい押しても駄目だ。しばらく頑張ってみたが、諦めて外に出て手を洗った。
「あれ?」
 畳の上で、寺本が敷布団だけ敷いて赤い顔で仰向けに寝ている。枕元に土井が持って来たプロレスの雑誌が置いてある。
(へえ、こいつでもこんな雑誌読むんだ)
 吉村は意外に思った。
 そう言えば、今朝はメンデルスゾーンを集中的に練習すると教授が言っていた。あらかじめ先生から来なくてもよいと寺本は言われていたのだろう。
 寺本はシャツの胸のボタンを三つほど外して寝ている。風呂に入った時チラッとは見たが、その胸に毛は生えていない。もっとも日本人であれば生えている方が珍しいのかもしれないが。ホットパンツから長く伸びる脚のすねにもあまり毛がない。
 吉村は小柄で貧弱だがかなり毛深い。体中に悲しいほど毛が生えている。
「九州男児じゃけん」
 甲馬がよくそう言ってからかうが、高校まで過ごした鹿児島には、毛深い奴もそうでない奴もいた。
 吉村は毛深い自分が嫌いだ。女の子も毛深い男は嫌がる。毛深くても、それなりにたくましくて男らしい体ならいいが、吉村の場合ただ無駄に毛深いだけで、筋肉などひとつもない。鏡で自分の姿を見る度に、痩せた狼男のようだと情けなくなってしまう。
 シャツから覗く寺本の胸は白くて滑らかそうだ。もう少しで先端が見えそうだ。風呂に入ればいくらでも見られるが、今こうして見えそうで見えない状態になっていると、つい見たくなってしまう。下腹が更に痛くなってきた。
(何見てんだ。相手は男だぞ)
 首を振った。
 実は吉村は女の胸を直接見た事がない。ビデオでは毎晩数え切れないほど見ているが、お金を出して直接見に行く勇気はない。寺本の胸は膨らんではいないが、肌の具合は女のそれと同じなのではないか。ビデオを観る限りではそう思えた。
 はだけたシャツをもう少しはだけさせてみた。先端が見えた。ドキッとした。寺本は起きない。
「寺本?」
 呼んでみた。それでも起きない。吉村はしばらく黙ってその場に座っていた。
「お尻も白いよ」
 寺本が目を閉じたまま言った。
「えっ、あ、ごめん、いや、あの……………」
 焦ってその場を逃げ出そうとする吉村を寺本が呼び止める。
「見る? お尻も。女の子みたいだよ」
「……………」
 寺本は目を開けて真っ直ぐに吉村を見た。吉村はゴクリと唾を飲む。
「そげんこつ……」
 寺本は寝返りを打ってうつ伏せになった。腰を少し浮かせてホットパンツを下ろすと、丸い尻がポロンとこぼれた。吉村は下腹だけでなく下半身も痛くなってきた。
「触っていいよ」
「……………」
「女の子だと思ってさ、どうぞ」
 どんどん痛くなる下半身を押さえた。
「男同士だもんな。深い意味はないからな」
 吉村はそう言い訳してその丸い尻をなでた。
「あん……」
 寺本が高い声をあげる。吉村は驚いて手を引っ込めた。
「…おい、お前、何だよ」
「はは、冗談だよ」
 寺本が笑うと吉村は少し気が楽になり、笑ってまた尻をなで回し始めた。
「白くてきれいだな。おれなんかケツにまで毛が生えてるんだぞ」
 寺本が吉村を見る。
「へえ、見せてよ」
「や、やだよ、汚いから」
「…ふうん」
 寺本の尻をなで回していたら、吉村はどんどんおかしな気持ちになってきた。
「いれていいよ」
「え?」
 吉村は手を離す。寺本の体が横を向いた。前が見えてしまう。吉村は慌てて目を逸らした。寺本は右手を伸ばして吉村のTシャツの裾から中に手を入れ、毛だらけの胸に触れた。吉村は体中が硬くなるのを感じた。
「雑誌読んでたら、いれて欲しくなっちゃった」
 吉村は目を逸らしたまま固まる。
「しばらく誰も来ないし、いれられるより、いれる方が慣れてるでしょ?」
 そう言われて吉村は更に固まる。
「いや、実は、その、おれは……」
 吉村は目を閉じて黙った。…墓穴を掘った。
「ふうん」
 寺本が上目遣いに吉村を見つめる。
「…誰にも言うなよ」
 目を開けて恥ずかしそうに吉村が言った。
「言う必要ないよ」
「…………」
「僕でよかったら」
「…………」
「今すぐサヨナラしようよ、その邪魔なものと。後ろからなら女の子としてるみたいだよ」

 放心状態になった吉村は仰向けになって息を整えた。その胸に寺本が頬を寄せる。
「上手じゃない。自信持っていいよ。次は本当の女の子に挑戦だね」
 胸の毛に頬を擦り付け寺本が言った。
「おれ、モテないから。毛深いし」
「そんなことないよ。毛深いのは男らしいんだよ。それに吉村くん、優しいし」
 吉村の硬い毛に指を絡ませた。
「え? どうして?」
「だって、女の子たちの重い楽器を運ぶの、よく手伝ってあげてるじゃない。吉村くんていいなって思ってる子、絶対いるよ」
 こんなことを言われたのは初めてだ。嬉しくなって思わず顔がほころんだ。
「あ、ありがとう、寺本」
「はい、それじゃ次は僕の番」
「………え?」
 吉村が飛び起きる。
「ほら、後ろ向いて」
「だ、だ、駄目………っていうか、む、無理、絶対、無理」
「大丈夫だよ。案外入っちゃうもんなんだ。痛くしないから」
「いや、そういう問題じゃなくて…」
 入っちゃうとか、痛いとか、そういう問題ではない。
「とにかく、無理無理、今は、無理」
「今は?」
「いや、今っていうか…今じゃなくても…特に今は、無理たい、ありえんと…うっ」
 突然背中を刺されたように飛び上がると、両手で腹を押さえてトイレに駆け込んだ。
 寺本のお蔭で、長い間吉村を苦しめていた物と、またひとつサヨナラすることができた。


     六

 翌朝、宿の煙草の自販機の前で甲馬が不満そうに言った。
「ここ、メンソールがないのな」
「だからさ、手遅れになる前にやめた方がいいって」
 土井はマイルドセブンのボタンを押した。
「お前、あれだけ楽器大切にしてるのに、煙草はやめないんだよな。煙とか楽器に悪くないのかよ」
「知らねえよ」
 そう言って最後のメンソールに火を点けた。
「しかもよりによってメンソールだし」
「この爽快感がいいんだよ」
 美味しそうに煙を吐く。
「まんざらデマでもないって、うちの親父が言ってた」
「え、嘘だろ?」
 甲馬は急に真顔になって土井を見た。土井の父親は外科医だ。
「だんだん胸まで出てくるっていうのも聞いたことある」
「女になっちゃうのか?」
「そういう訳じゃないけど……」
 甲馬は空になった箱を握りつぶした。尻の痛みもようやく治まってきた。治まってみると…
「それもそれで………………案外いいかもな」
「……何言ってんの?」
 甲馬は短くなった煙草を思い切り吸い、ゆっくりと吐き出すと土井に言った。
「お前、今日車で買い物行くって言ってたよな」
「ああ。宿の食事だけじゃ足りなくてね。カップラーメンとかバナナとか買ってくる」
「メンソール、一カートン、頼むわ」



 甲馬は玄関ロビーのテーブルに頬杖をついて、ガラスドアの外を見つめていた。煙草が待ちきれずここで土井を待っているのだ。こんなことなら自分で買いに行けばよかった。
 いつもより早めに来た夕立のせいで、海岸で遊んでいた奴らが大慌てで宿に戻って来た。女の子たちがはしゃぎながらガラスドアを開けて入って来る。水着の上に掛けたタオルからぽたぽたと水滴がしたたり落ちている。なかなかいい眺めだ。
「もぉー、やだぁー」
「濡れちゃったぁー、サイテー」
「すみませぇん、タオルくださぁい」
 宿の主人が沢山のタオルを持って玄関に走ってやって来て、嬉しそうに女の子達の肩にタオルを掛けてやっている。エアコンの設定温度交渉、オレではなくこいつらがやればいいんじゃないか?
 女たちは体を震わせロビーを歩き出した。
「すげえ嵐だな」
 そうつぶやく甲馬の耳に、去り際の女たちの会話が聞こえた。
「寺本くん、大丈夫かしらね」
 甲馬は驚いて彼女らを呼び止めた。
「おい、寺本がどうしたんだよ」
「日焼け止め買いに行ったのよ」
「え?」
「だってあの辺の海の家にはコパトーンの13番がないんだもん。あたしたち、焼きたくないもん、ねー」
「ねー」
「どこまで行かせたんだよ」
 ガラスドアの向こうの嵐はひどくなる一方だ。
「解んない。スーパーも自分で見つけてって頼んじゃったから」
「歩いてか?」
「ううん。宿の自転車借りてった」
「お前ら、ひでえことしやがるな」
「だって寺本くんがじゃんけんで負けたから」
「下級生だと思って」
「雨が降るなんて思わなくて」
 彼女たちも少し心配になってきたらしい。
「夏に夕立が来るなんて常識だろうが」
「でも大丈夫よ。夕立だもの。止んだらすぐに帰ってくるわよ」
 甲馬は走って部屋に戻り、シルビアのキーを持って宿を出た。

 土井の黒いバンは海岸沿いの道路で信号待ちをしていた。汗っかきの土井はエアコンのつまみを回して最大にした。カップラーメンを買ったコンビニエンス・ストアではメンソールの煙草は売っていなかった。少し離れた煙草屋まで買いに行こうと思ったところでこの夕立に会ってしまったのだ。ワイパーをしても目の前がよく見えない。突然降り出したせいか、海岸通りは急にのろのろ運転になった。
 まだ青にならない。何気なく視線を海岸沿いの歩道に移した。この土砂降りの中、びしょ濡れになって歩いている奴がいる。トボトボと自転車を転がしている。信号が青になって、バンが交差点の横断歩道の上に来た時、信号待ちをしているその濡れネズミの顔が見えた。
 寺本だ。
 土井は数メートル走り、一端道路沿いのガソリンスタンドに入ってUターンした。ハザードランプを付け、信号待ちをする寺本の目の前に停車した。それから急いで歩道側の運転席のドアを開けて車を降りた。
「寺本!」
 寺本が驚いて顔を上げる。土井のバンの後ろからいくつものクラクションがヒステリックに鳴り響いた。
「早く乗れ!」
 土井は後ろのハッチバックを開けて、軽々と自転車を持ち上げ車に積んだ。寺本も後ろから車に乗り込んだ。土井のバンは土砂降りの中キュルキュルと音を立てて急発進した。
「コンビニかどっかで雨宿りしてりゃいいのに」
「ええ、信号渡ってそうしようと思ったら、急にあんなに降り始めちゃって」
「風邪引くぞ」
「すみません」
「謝るなよ」
 土井はバックミラーを見た。寺本はハッチバックのドアに背中をつけて、膝を抱え座っている。このバンは運転席と助手席以外は座席を外して床を平らにしている。コントラバスの奴と相乗りしてきたので後部スペースは楽器に占領されたのだ。
「どうして後ろに居るの。こっちの助手席においでよ」
 渋滞で車が止まっている間に、土井は振り向いて寺本を見た。
「海パンが濡れてるから、ここでいいです。あ、でも、ここの床も濡らしちゃよくないですよね」
「おい」
「はい?」
「お前、膝から血が出てるよ」
「滑って転んじゃって」
「自転車ごと?」
「かっこわる」
 土井は通り沿いのコンビニの駐車場に入り車を停めると、助手席との間から後部スペースに移った。雨は止む気配を見せない。
「指は? 大丈夫だった?」
「はい。指をかばったんで、肘も擦りむいちゃいました」
 右肘にも擦り傷がある。
「ま、よかったね、って言うべきかな。指は命だからね」
 土井がそう言うと、濡れた寺本が笑った。土井は少し安心する。寺本の前髪から雫がこぼれ落ちた。土井はトイレのドアを壊した晩のことを思い出した。
「着替える?」
「着替え、あるんですか?」
「あるよ。おれのだからでかいけど。タオルもあるし、救急箱もある。冷蔵庫にジュースもあるし、お菓子もあるよ。バナナもさっき買ったばっかりだ。食べる?」
「すごいですね。夜逃げの途中でしたか」
「…………」
「…え?」
「お前、冗談言うんだな」
「ひどいなあ。冗談くらい言いますよ」
 土井は後部スペースの隅のスポーツバッグから着替えとタオルを取り出し、寺本に差し出した。
「ほら、まずこれに着替えろ。それから薬塗ってやるよ」
 寺本は首の後ろを引っ張って濡れたTシャツを脱ぎ、背中を丸めて立ち上がり、海水パンツを脱ぎ始めた。土井は慌てて運転席に戻った。
「お前、外から見えるよ。もう少しかがめ」
「雨がひどくて見えませんよ」
「デカパンで悪いな。一応新品だからな」
「スースーして気持ち良さそうです」
「ジャージの紐、きつくしちゃっていいから」
 バックミラーに写る寺本を横目で見た。タオルの上で真っ裸で胡坐を掻いて、もう一枚のタオルで体を拭いている。
 まさか真っ裸になるとは思わなかった。
 しかし確かに下着を渡されて着替えろと言われれば、誰でも海パンを脱ぐだろう。男同士なのだから恥ずかしがることもない。恥ずかしがっているのは土井の方だ。
 早くパンツはいてくれないかな。
 しばらくすると、寺本は再び立ち上がって土井のデカパンをはき始めた。
「お前が自転車で出掛けたの、誰か知ってるの?」
 デカパンをはいた寺本は顔を上げ、自転車で日焼け止めを買いに行くことになったいきさつを土井に話した。
「女どもが心配してるかもしれないから、とりあえず宿に電話しておくよ」
「あの…」
 タオルを肩に掛けて寺本が小さく言った。
「何?」
「雨に濡れた、って事は言わないで頂けますか? 転んだ事も。みっともないから」
 土井は助手席に置いた鞄から国語辞典ほどの大きさの携帯電話を出した。
「解ったよ」
「うわ、すごい。携帯電話持ってるんですね。それ、高いんでしょ?」
「親に持たされてるんだよ。電波は…あ、来てる、来てる」
 手帳も取り出し、宿の番号を確認しながら大きなボタンを押した。
「すぐ電池なくなっちゃうし…あ、もしもし? そちらに泊まってます大学オケの土井という者です。あ…はい…どうも……。ええと……甲馬という者がおるんですが、そいつをお願いできますか?」

 甲馬のモスグリーンのシルビアは、海岸通りで渋滞に巻き込まれていた。普段はイライラする渋滞だが、今日は両側の歩道を気にしながら運転しているのでこの渋滞は好都合だ。しかし寺本は見当たらない。イライラして胸ポケットに手を入れた。しかし煙草は入っていない。お蔭でイライラが倍増だ。

「コンマはいなくてさ、吉村が出たよ」
 携帯電話を切ると、運転席で前を向いたまま土井が言った。
「すみません、嘘吐かせて」
「お前の心配掛けたくないって気持ちは解るけどさ、お前が気を遣う側じゃないだろ? 買いに行かせた奴らが悪いんだから」
「でも転んだのは僕の責任です」
「なんであんな所まで行ったんだよ」
「角のコンビニになくて、次のスーパーにもなくて、結局あんな所まで行っちゃったんです」
「馬鹿だなぁ」
「あの辺りの海の家で買えました、13番の日焼け止め」
 バックミラーで自転車のカゴを見ると、ビニールの買い物袋が入っている。
「駄目だよ、女の子たちの言いなりになっちゃ。ただでさえ人数で負けてるんだから」
「はあ…。でも、なんか恐くて」
「はは、確かに恐いな。じゃんけんに負けたんだっけ?」
「昔からじゃんけんは弱くて」
「どうせ後出しされたんだろ」
「…………」
「ひどいな」
 土井は再度バックミラーで寺本を見た。
「お前、なんでジャージはかないの?」
 寺本はTシャツにデカパンのままずっと体育座りをしている。
「土井さんを待ってるんです」
「…え?」
 土井の胸がドキンと鳴った。
 身長は土井も寺本も同じようなものだが、太った土井のTシャツはアメリカ製の特大サイズだ。細い寺本には大き過ぎる。右側の鎖骨が肩まで見えている。デカパンからは何かはみ出して見えそうだ。
「傷の手当て、してくれるんでしょ?」
(…あ、そういうことか)
 土井は少しがっかりして、再び後部スペースに行き、スポーツバッグから救急箱を出した。
「腕の筋、痛めてないかい?」
 消毒した寺本の肘を曲げ伸ばししながら聞いた。
「大丈夫です。ありがとうございます」
「湿布するよ。今は痛くなくても後で痛むこともあるから。別の場所をかばった時って結構そういうことがあるんだよ。力が入ってるからね。この程度の擦り傷ならフタしても大丈夫だ」
 体の細い寺本の二の腕は案外太かった。擦り傷を消毒して薄く軟膏を塗ってガーゼを当て、上から湿布をして包帯を巻き始めた。
「あ、包帯は、ちょっと…。大袈裟だから」
「しておいた方がいいよ」
 寺本の髪はまだ濡れている。まつ毛も濡れて、量の多いまつ毛はお互いがくっ付いて一本一本が太くなっている。瞬きをする度バサバサと音が聞こえそうだ。
 土井は馴れた手つきで膝も消毒し、化膿止めを塗り、傷の部分だけ湿布の真ん中をハサミで丸くくりぬき、ガーゼの上から湿布を当て包帯を巻いた。
 右膝の手当てをしている間、寺本は右手を土井の肩に置いていた。無意識に置いているのだろう。細くて長い指だ。土井は太っている。肩にまで贅肉が付いている事に、寺本は呆れていないだろうか。甲馬のような体ならばどこを触られても平気なのだろうが。
「上手ですね、土井さん」
「家が病院やってるからね。寒くない?」
「大丈夫です。もっとタオルありますか? 髪の毛を拭きたくて」
「あるよ。さすがにドライヤーはないけど」
「あの」
「ん?」
「もう少し経ってから帰るのでいいですか?」
 包帯だらけの寺本が言った。まるで喧嘩して帰って来て、母親に叱られるんじゃないかと怯えている小学生のようだ。土井は子供を見るような目で寺本を見た。
「いいよ。小降りになってきたから、コンビニ行って何かあったかい物買ってくるよ。お茶系でいい?」
「…あ、はい。甘くないのなら何でも。すみません」
「すぐ戻るから」

「じゃあ、寺本は土井と一緒にいるのか?」
 騒がしい宿の食堂で、宿に戻った甲馬が吉村に問う。
「スーパーで偶然会って、雨だから車に乗せてくるそうです。女どもに伝えとけって。でも遅いですね」
「雨に濡れなかったのか?」
「さあ、そこまでは知りません」
 甲馬はシルビアのキーを強く握り締めた。
「お前、土井の携帯の番号、憶えてるか?」
「あ、いえ、部屋戻って手帳見ないと…」
 その時、宿のフロントのパートらしき女性が食堂に入って来て大きな声で叫んだ。
「コウマさんって方いらっしゃいますか?」
「…あ、はい、オレですけど」
「ドイさんからお電話ですよ」
 甲馬はフロントまで走って行き、急いで外された受話器を取る。
「もしもし?」
「コンマか?」
「お前、今どこだよ」
「コンビニ」
「寺本は大丈夫なのか?」
「大丈夫半分、大丈夫じゃない半分、かな」
「…事故か?」
「事故って程じゃないけど。内緒だよ。びしょ濡れでね、すっころんで怪我もしてる。誰にも言うなよ」
 甲馬は息を飲む。
「指は? 指は大丈夫か?」
「ああ、大丈夫そうだ。とっさにかばったらしい」
 指を大事にする仲間として一番気になることだった。胸をなで下ろす。
「可哀想に、なんか落ち込んじゃっててさ。メシ奢ってやってから帰るよ。そんなに遅くならないで帰るから。そんな訳で、悪いけどメンソール買えなかった」
 甲馬は舌打ちをした。
「謝るよ。明日絶対買いに行ってやるから」
 そういう事ではない。

 焼肉屋のレジで会計を済ませた土井が寺本に言った。
「お前でも焼肉食べるんだな」
 寺本はレジの横のガムを二つ取って土井にその一つを渡した。土井が「どうも」と言ってそれを受け取ると、寺本は自分のガムの包みを開け始めた。
「大好きですよ、ユッケとか。精力つくし」
 土井は少し照れる。寺本の口から「精力」という言葉が出た。
「でも、本当にいいんですか? ご馳走してもらう立場じゃないんですけど」
「ワガママ女たちの代わりにさ。こんなもんで悪いけど、おれに免じて許してやってくれよ」
「こんなもん」と言った土井を焼肉屋のオヤジが睨んだ。
「別に怒ってませんよ。でも、それじゃ、お言葉に甘えて、ご馳走さまでした」
 寺本はペコンと頭を下げる。
「お粗末さまでした」
 土井も軽く頭を下げた。
「お粗末」という言葉を聞いて、オヤジが更に険しい顔で土井を睨んだ。
「今度は僕が奢りますよ。服のお礼に」
 ガムを口に入れて、ブカブカの土井のTシャツを指でつまんで揺らす。揺らしながらガムを噛む口が草を食むウサギのように動いていて可愛らしい。土井はまた少し照れる。
 焼肉屋の駐車場に戻り、土井は左の運転席、寺本は右の助手席に座った。海岸から大きな音楽が聴こえる。花火の音も聞こえる。浜辺での花火は禁止されているはずだ。
 運転席の土井が遠慮がちに言う。
「あの……少しおしゃべりしようか」
 寺本は笑ってうなずいた。
「僕も、そう言おうと思ってました」
 土井は、また照れた。

「おれ、両親がトシ食ってからの子でさ、過保護に育ったんだよね。姉貴も15も上だから甘やかすし」
 土井は運転席を一番後ろまでずらした。
「お医者さんにならなくてよかったんですか?」
「病院はじいちゃんと両親と姉夫婦がやってるから、おれはもういいんだ」
「土井さんち、お金持ちなんだ」
「そんなことないさ。自転車操業だよ。人工透析もやってるから休日もあってないようなもんだし」
「救急手当て、上手ですよね」
「その辺の保健室の先生より上手いと思うよ。おれがちょっと怪我しただけで、家族中大騒ぎだったからね。こんなでかい図体してさ、未だにおれ、チャン付けだよ。携帯の前はポケベル持たされて、あとこれ、防犯ブザーだよ。紐引っ張るとピーってすごい音がするんだ。痴漢撃退コーナーにあったんだとさ」
 土井はジーンズのポケットから出したキーホルダーを寺本に見せた。
「おれが痴漢に襲われると思う?」
「誘拐防止でしょ? お金持ちだから」
「おれを連れ去ろうとしても重くて無理だよ。それと、おふくろが車に着替え二組置いてさ、救急箱に非常食だよ。実は毛布と枕もあるんだ」
 そう言って親指で後ろを差した。
「あ、出します? 後ろで寝ますか?」
「…え? あ、いや、そういうつもりで言ったんじゃ…」
「あ、そうですか」
 寝る。寝転がってしゃべるということか。土井は首をひねる。
「これ、大きいバンですよね。アメ車?」
「あ、うん、親父のだよ。車を買うのが趣味でね。でも買ったはいいけど忙しくて乗る時間がなくて、趣味は洗車ですとか言ってる」
「言ってみたいですよ、そんなセリフ」
「でも親父は基本的に左ハンドルは嫌いなんだ。危ないからね。日本車が好きなんだ」
「土井さんの車はこの前出たGTRですもんね」
「……何で知ってるの?」
 土井は驚いて寺本を見る。寺本は横目で土井を見て唇の端を上げた。
 車内が急速に暑くなってきた。
「エアコン付けるよ。おれとこんな狭い所にいたら暑苦しいだろ」
 土井はエンジンを掛けてエアコンのスイッチを最大にした。
「そんなことないですよ」
「おれ、デブだから」
「デブじゃないですよ。こういうの、逞しいって言うんです」
 寺本は土井の太い腕をつかんだ。
 ブヨブヨの太い腕を寺本に触られるのは、土井にとって苦痛以外の何物でもなかった。同じ太い腕でも、甲馬の腕とは大違いだ。土井は、腕も脚もどこもかしこも贅肉だらけだ。甲馬に「紐でグルグル巻きにしたら贈答用のハムだ」と言われたこともある。
 つかんだ腕を見つめて寺本が言った。
「夜逃げセットの中に、紐か何か入ってますか?」
「え?!」
 こいつまで.......................
「後ろの自転車、倒れないように固定して欲しいんです。さっきから心配で」
「…あ、ああ、それじゃ、後ろ行こうか........................」
 ホッとした。と同時に、また少しがっかりした。がっかりしてから、何をがっかりしたのか解らず、また首をひねった。

 自販機の明かりだけがうっすらと灯る喫煙スペースで、甲馬は仕方なくマイルドセブンを買った。開封すると、三本いっぺんに火を点けて思い切り吸った。頭がクラッとした。

「チューバってなんか変な口で吹くんですよね。やってみて下さいよ」
 バンの後部スペースに、紐で固定された自転車と並んで土井と寺本は腰を下ろした。
「駄目だよ。唾が飛ぶよ」
「僕でも吹けるかなぁ」
「お前みたいに細っこい奴には無理だね」
 寺本は思い切り息を吸い、口を尖らせて吐きながら唇を震わせた。
「ぶー」
「あ、うまいじゃん」
 土井に向かって震わせた。
「ぶー」
「やめろよ、唾が飛ぶ」
「ぶー」
「おい、ちょっと」
 土井は笑って寺本に背を向ける。すると寺本は土井の頭に向かって、「ぶー」
「やめろってば」
 土井が寺本の口を手で押さえると、寺本はようやく大人しくなった。
 寺本が口を尖らせたままこちらを見ている。土井は唾を飲む。そして恐る恐るその口に自分の口を近付けると、寺本は静かに目を閉じた。その口はニンニクの匂いがした。ということは、土井の口もニンニク臭いのだろう。
 お互い様だ。
 焼肉屋の駐車場には虫の声が響き渡っていた。


     七

 明くる日、吉村はまだ肛門の痛みが消えない。寺本の侵入は何とか阻止したが、あまりのショックに薬が突然効き目を現したのである。あれから逆に下痢気味だ。
 昨日の練習ではモゾモゾして何度も教授に叱られた。今日は念のため自宅から持参したドーナッツ型の座布団を敷いている。団員からは思い切り笑われ顔から火が出る思いだが、この痛みに比べたら大した事ではなかった。
「やだ、ちょっと、吉村くん、臭い」
 隣のオーボエの女が鼻を押さえて言った。
「うわ、こっちも」
 後ろのファゴットの奴も叫んだ。そして吉村の周り中の団員が席を立ってスタジオの隅に移動した。ホルンの男は半ば怒って言った。
「お前、ケツで笛吹いてどうすんだよ」
 スタジオ中が笑いに包まれ、練習はしばらく中断した。寺本はすましてピアノの椅子に座っている。吉村は下を向いて黙っていた。
 寺本はああ言ってくれたが、これだけ笑われた吉村を好いてくれる女の子は、団員の中にはまずいないだろうなと思った。これからも現れないような気がした。
 下を向きながら、吉村は夕べの事を考えた。
 土井と寺本が宿に帰って来たのは夜の11時過ぎだった。吉村への電話では二人は店で偶然会ったと言っていたが、実は寺本は雨に濡れて転んで怪我までしたという。ぶかぶかの土井の服を着て包帯を巻いている姿を女たちに見せたくないから、わざわざ遅く帰ってきたのだと土井は言った。
 寺本の紅潮した頬がやけに色っぽかった。
 後ろを振り向くと、チューバの土井が落ち着かない様子でモゾモゾと動いている。昨日の吉村のようだ。
 午後の練習が終わると、吉村は土井に近付いて言った。
「土井さん、もしかして、夕べ……」
 おれはなんとか阻止したんですけど、土井さんは…
 土井が焦って早口になる。
「そういうお前はどうして一週間分も急に出たんだよっ、下痢までしてっ」
 違いますよ、土井さん、誤解です。おれは、おれは、後ろは無事だったんですよ。
 同類を見る目で顔を引きつらせる土井を前に、吉村はそう口に出しては言えなかった。
 そして二人は何も話すことなく、下を向いたまま廊下へ出て行った。

     八

 今夜は合宿最後の晩だ。
 疲労困憊しているが、充実感と興奮で甲馬は夜中の一時を過ぎても眠れない。この暑さと湿気もたまらない。
 右手の甲で顎の汗をぬぐった。
 合宿ではそれなりの成果を挙げた。コンミスとも仲直りした。
 彼女はオケの曲目や練習日程やメンバー配置などについて、いつも教授と第一コンマスである甲馬が二人で決めてしまうのが不満だったという。別にコンミスを仲間外れしていたつもりはなく、それどころか、いつもツンケンしているコンミスに相談したら、「勝手に決めなさいよ」と逆に怒られるのではないかと思っていたくらいなのだ。
 これからはコンミスにも相談に乗って貰うということで落ち着き、彼女は納得してくれた。そんなこと、もっと早く言ってくれればよかったのに。
 納得した途端、彼女は急に甲馬に好意的になった。時折横目で恥らいながら甲馬を見つめて、上目遣いに微笑むこともある。女ってのは、やっぱりよく解らない生き物だ。
 暗い天井をじっと見つめた。
 眠れない。
 海岸から聞こえるネズミ花火の音がうるさいせいもある。これだけうるさいにもかかわらず、他の連中は高いびきを掻いて寝ている。いい気なもんだ。
 しばらくそのまま布団の中で目を開けていた甲馬だったが、水でも飲もうかと起き上がり、洗面所でコップに水を一杯汲んで飲んでから布団に戻って来た。
 ふと気が付くと、暗闇の中、一番窓側の布団の中の寺本が、目を開けてこちらを見ている。見間違いかと思って目を見開くと、寺本は甲馬に向かって口角を上げた。
 布団に座ってぼんやりと寺本を見つめる。
 充実感と興奮。
 暑さと湿気。
 ネズミ花火。
 違う。
 眠れないのはこの男のせいだ。
 甲馬は再び立ち上がり部屋の外に出た。暗闇に慣れた目に廊下の非常灯がまぶしい。壁を背にうなだれて突っ立っていた。
 一分程経った。長い一分だった。こんな時の一分は十分にも一時間にも感じられる。
 ドアが開いて寺本が出て来た。甲馬が手を差し出すと、寺本はその手を軽く握り、二人は薄暗い廊下を歩き出した。寺本の腕と膝には土井の包帯が巻いてあった。

 真っ暗な海岸には誰もいなかった。生暖かい風が心地よい。サンダルの足に砂が絡み付く。
「さっきまで花火の音がしてたのにな」
 浜辺で騒いでいた若者たちはどこかへ行ってしまったようだ。何度警官に注意されても、砂浜の上の花火の残骸はなくならない。
「静かだな」
「波の音しか聞こえませんね」
 浜辺の上の大きな岩の陰、どちらからともなく二人は寝転んだ。
 甲馬が腕枕を作ると、寺本はその上に自分の頭を載せ、甲馬の胸に擦り寄ってきた。短い髪の匂いを嗅いだ。やっぱりいい匂いだ。
「甲馬さんって遊び人でしょ」
「え?」
「ピアノ科相手にも暴れてるらしいですね」
「ま、まあな」
「安心して下さい。僕も遊びで抱いただけですから」
「………………」
「遊びで抱かれた」と言われることはよくある。しかし「抱いた」と言われたのは初めてだった。
「すごく良かった。よく締まって」
 これは甲馬の得意なセリフだ。これまた自分が言われたのは初めてだ。言われた女の子はたいてい恥じらい微笑む。不本意ながら、甲馬も恥じらい微笑んでしまった。
 それから寺本は甲馬に顔を向け、ゆっくりと目を閉じた。甲馬は一度唾を飲み込み、じっくりと舌を使って、長いキスをしてやった。
「…甲馬さん、キス、上手ですね」
 それから寺本は甲馬の厚い胸をTシャツの上からさすりながら、昼間みんなで弾いたノクターンを鼻歌で歌った。年末の演奏会用の曲ではない。この前の夏の演奏会で弾いたメンデルスゾーンの劇音楽だ。
「…どうした?」
「すべて『真夏の夜の夢』ってことで」
 そう言って寺本は、甲馬の首のアザにキスをした。そして甲馬の耳の後ろにささやいた。
「今度は甲馬さんが僕を抱いて」
 ジャージの中の甲馬がテントを張った。
 起き上がって寺本の上に乗ろうとすると、彼は先に起き上がって甲馬の上に乗ってきた。甲馬のジャージと下着を一緒に下ろし、おもむろに甲馬を口に含んだ。
 こいつ、何やってんだ。
 お前、男だろうが。
 男が男に、何やってんだ、いったい。
 頭の中ではそう叫んでいるのに、抵抗できない。リズムよく上下させる寺本の頭を両手で押さえた。寺本の動きは更に激しくなった。
 このくらい、何てことない。いつも女にされていることだ。でも、いつもはされているんじゃない。させているんだ。なのに、今日は、オレは、こいつに、明らかに、されている。
 やがて甲馬としたことが、今にも終わりを迎えそうになった。するとそれをあたかも察したかのように、寺本は自分もジョギングパンツを脱いだ。そして甲馬にまたがり、腹を反らせ、自分の穴に甲馬をいれた。
 いれた途端、激しく上下に動き始めた。 
 …………これは………女なんだ。
 甲馬は固く目をつぶってそう思い込もうとした。穴の具合はいつもと少し違うが、それは物好きな女が自ら望んでやっていることなのだ。甲馬が下になることくらいよくある。
 その女は両手を甲馬の腹の上に置いた。甲馬は両手の指をその女の指に絡ませてしっかりと握った。細い指はまさしく女の指だ。力なく握り返してきた。腰が上下すると甲馬の腿に軟らかい尻が当たる。これは間違いなく女なのだ。
 しかし、この腹に当たる物は何なんだ。甲馬が奥深く入り込む度にペタペタと腹に貼りつく、この硬い物は何なんだ。貼りつく度に膀胱を刺激する。膀胱が刺激されて、尿道が更に脈を打った。この女は声をあげない。
 目を開けると、そこにいるのは女ではなかった。女よりきれいな顔をした男だった。それが解ると甲馬は更に欲情して、下からの動きを速めた。上下から同時に打ち付けられる刺激に、甲馬の興奮は最高潮に達した。その男は苦しそうに体をよじらせた。
 そのきれいな男の、いろんな姿が思い出された。学食でトレイを持って歩いている姿、売店で楽譜を探す姿、図書館でヘッドフォンを着けて何かを聴いている姿。
 思えば甲馬は、キャンパスで彼を見掛ける度に、これを求めていたのではないだろうか。
 途中何度も彼は下りてきて、甲馬にキスして舌を絡ませた。その都度硬い物が強く甲馬の膀胱を押した。
 彼は甲馬を「遊び人」と言った。しかし彼も相当遊んでいるように思われた。尻の穴はよく締まり、上下する度に締め付けと解放を繰り返した。腰は上下しながら左右にも滑らかに動き、時折ゆっくりと円を描いた。
 甲馬は歯を食い縛った。大きく開いた寺本の唇は紅を差したようだ。きれいに並んだ前歯の裏側がよく見える。頬が赤い。甲馬が彼の腹のもっと奥深くへ進んで行くと、更に苦しそうに息を荒げた。
 甲馬は今までにないほど力を入れた。
 まだいきたくない。いってしまっては惜しいほど、その男の中は気持ちが良かった。腹に当たる物もいとおしい。
 その男は最後の時だけ声をあげた。しかしその声は、岩に砕け散る高波の音でかき消されてしまった。
 悔しい。もっとしっかり聞きたかった。
 砕け散った波は謝ることなく沖に戻っていき、しばらく海は大人しくなった。

「…やっぱりすごいや、甲馬さん」
 甲馬の胸に倒れ込んだ寺本が息せき切りながら言った。確かに自分でもすごいと思った。こんなのは初めてだと思った。土井のせいでしばらくメンソールの煙草を切らしていたお蔭だろうか。あいつの言うこともまんざら嘘でもないのかもしれない。これからもずっとマイルドセブンで行こうか。
「噂どおりですね」
 少し汗を掻いた寺本の髪が甲馬の顎をくすぐる。甲馬はまだ寺本の中に入ったままだ。逆流しているのが解る。女相手にはできないことだ。
 ぼんやりと満天の星を見つめた。もうじき夏も終わりだ。
「お前も、結局、噂どおりだったな」
 寺本は甲馬のTシャツの胸にキスをして、手の平でその盛り上がった胸をなで回した。
「…なあ、寺本」
 胸の上の寺本は何も答えない。
「また、会えるだろ?」
「…オケの練習で会えますよ」
「そうじゃなくてさ、また、こうしてさ…」
「これは、これっきりですよ」
 その素っ気無い口調に戸惑う。
「…………そうなの?」
「そうです」
 何も言い返せなくなる。
「遊びですからね」
「……………解ったよ」
 …ひと夏の遊びか。それも悪くない。
 でも何故こんなに虚しいんだろう。
 このまま、もう二人きりで会うことはないのだろうか。雪山で遭難でもしない限り、無人島に流されでもしない限り。
 煙草があったら吸いたいところだ。

 星のきれいな夜だった。


おしまい

『射手座の男 5』へつづく
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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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