射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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射手座の男 最終回

 米屋のレジの壁のカレンダーをめくると、どこか外国であろうエメラルド色の海が現れた。
 七月に入り、まだ梅雨は明けていないものの、今朝の天気予報では雨の確率はゼロパーセントと言っていた。甲馬はカレンダーの『10』の数字を人差し指で押さえ、唇の端を上げた。赤鉛筆で丸く囲まれている。
 七月十日。寺本との生活が始まる日だ。
 電話が鳴った。二回鳴ると切れた。仏間で祖母が取ったのだろう。今日は米屋の定休日で両親は留守だ。
 次に内線の音が鳴った。レジの横の受話器を取ると、祖母が「寺本くんから」と言った。「お正月に来た可愛い子だね」と言われて少し焦る。一週間前、学校近くのマンションを引き払う時に実家の番号は教えてあったが、電話してきたのは初めてだ。
「もしもし、オレだ」
 女の子からの電話ではないので、まさか祖母が盗み聞きしていることはないだろう。
「寺本です」
「おう、嬉しいよ、電話くれて」
「今から会えます?」
「お前からデートの誘いなんて初めてだな。感動だ。今どこだよ。何かうるさいな」
「すぐ近くです。茗荷谷(みょうがだに)の駅です」
「え?」
 梅雨の晴れ間の青い空の下、甲馬は駅前の商店街に入る手前にソアラを停め、茗荷谷の駅に走った。
 駅前のコンビニで寺本が立ち読みをしている。サングラスをたたんで白いポロシャツの胸元に引っ掛けている。ガラス越しに甲馬を見つけると、嬉しそうに手を振った。
 甲馬も冷房の効いたコンビニの店内に入った。慌てて出て来たので、白いTシャツに膝丈のよれよれの半ズボン、ビーチサンダルという極めてだらしのない格好だ。
 寺本は腿がほとんど見えるぴったりした白い半ズボンをはいていた。テニスウェアだ。そう言えば、こいつは大学でも広瀬とよくテニスをしていた。腿は細く、尻の丸い線がくっきり見える。恐ろしいほど挑発的だ。肩から提げたスポーツバッグからラケットの柄が飛び出している。いい具合に乱れた髪、暑さで少し紅潮した頬、筋の通った高い鼻。背筋が伸び、長い脚は真っ直ぐだ。惚れ惚れするほどいい男だ。「オレの男だ、いい男だろ」とコンビニにいる連中に自慢したくなる。今のオレの顔は、多分完全にヤニ下がっている。
「テニス帰り?」
「ええ、広瀬と一緒に」
「シャワー浴びて着替えなかったのか?」
「あ、ごめんなさい、汗臭いですか?」
 寺本が一歩下がる。
「いや、そんなことないけど」
 甲馬はその距離を縮めるために一歩寺本に近付く。寺本は汗を掻いても匂わない奴だ。しかし本人が気持ち悪いだろう。
「広瀬が着替えを忘れちゃって」
「貸したのか? あいつが汗臭いまま帰ればいいじゃん」
「あいつ、今頃デート中です」
「へえ、やるじゃん、性懲りもなく。お前、昼メシは?」
「広瀬と銀座で済ませました」
「銀座? 何でまた」
「カノジョの誕生日だからって、ビトンに付き合わされたんです。一人じゃ恥ずかしいって」
「うわぁ、あいつ学習しねえ野郎だなぁ」
「今度の恋は本物だって言ってましたよ」
「面倒見切れねえな。何立ち読みしてたの?」
 寺本は読んでいる雑誌の表紙を甲馬に見せた。東京近郊の映画やイベントなどを紹介する週刊の情報誌だ。
「何かいいのあったか?」
「特に」
 甲馬はハッとした。寺本が雑誌の表紙を見せて、「特に」と言った。
 おぼろげな記憶。
「ちょっと離れた所に車停めてあるんだ。ドライブしようぜ。海と山、どっちがいい?」
「両方」
「え、それじゃあ…横浜の方でも行ってみるか。日本も見納めだ」
「ドライブして、それからホテル行きましょう」
 寺本の向こうで漫画を立ち読みしていた無精髭の男が二人を見た。
「あ…ああ。今日は遅くなっていいのか?」
「広瀬の所に泊まるって言ってきました。実はもう一組、ここに着替えが入ってるんです。お風呂、一緒に入りましょうね」
 甲馬の下半身がうずく。無精髭の男は漫画に視線を戻した。
「嬉しいよ、ここまで会いに来てくれて」
「この前もらったレースのエプロンも入ってます」
 寺本の眉が動き、甲馬が更にうずく。
「エプロン着て、しましょうね」
 男の漫画のページは全くめくられていない。
「うち来てもらってもいいんだけどさ」
「でも泊まるなんて言ったら変に思うでしょ?」
「泊まってもいいんだけど、親がいると思うと、オレ、気が散っちゃって勃たなそうだよ」
 男は漫画を元に戻して去って行った。寺本も雑誌を元に戻した。
「はやく行きましょう」
 サングラスを掛けながら言った。
 冷たいウーロン茶のペットボトルを二本買ってコンビニを出た。甲馬は公衆電話から家に電話をして、土井たちが夜通しで送別会をしてくれるから今夜は土井の家に泊まると祖母に告げた。次に土井に電話して口裏合わせをした。

 首都高入口を目指して走り出すと、少し遠回りだが東京見物をしたいと寺本が言った。国会議事堂を見たいと言うので、皇居を左手に見ながら内堀通りを走り永田町へ向かった。皇居も入った事がないから入りたいと言ったので、それはやめておこうと言ったら何故だと聞かれた。職務尋問を受けるからだと冗談のつもりで言ったら、今日は楽器ケースを持っていないから大丈夫だと笑った。広瀬………。
 普段何気なく走っている都心の風景も、鳩バス気分だとそれなりに情緒があるものだ。国会議事堂が目の前に近付いてくると寺本は、小学校の遠足以来だと目を見張った。滅多に来ることのない霞ヶ関の官庁街を抜け、晴海通りから湾岸道路に入り、首都高湾岸線に乗って横浜を目指す。寺本は身を乗り出して東京湾を眺め、海を見るのは久し振りだとはしゃいだ。
 そろそろブームも去り始めたベイブリッジを渡り本牧ふ頭に入った。空は雲ひとつ無く晴れ渡り、海風の吹く埠頭は、久々の快晴の下繰り出してきた多くの若者で賑わっていた。このまま由比ヶ浜まで突っ走ってしまいたいが、あの周辺は恐らく今日あたりは洒落にならない混雑だろう。助手席の寺本は甲馬に殆ど背を向けて、海沿いの色気のない製油所や発電所を見つめていた。
 いつか二人で帰国したら、一緒にあの鎌倉の海へ行こう。ちょっと照れ臭いが、由比ヶ浜のあの大きな岩の陰で、ちょっと大人のキスをしよう。激しければいいだけのような、貪ればいいだけのような、そんなキスは卒業して、後からじわじわ来るような、そんな大人のキスをしよう。
 鎌倉山の高級住宅地まで一気にドライブして、横浜の街に戻り中華街で飲茶をした後、山下公園を見下ろすホテルにチェックインした。初めての、寺本とホテルで二人部屋だ。

 部屋に入ると、寺本がストラディバリの合鍵を甲馬に渡した。
「あ、これ、そうか。向こうに行ったら新しい鍵付けてまた渡すからな。それまでこのストラッド、預かっとく」
 甲馬はそれを半ズボンのポケットに入れた。久し振りの長距離ドライブに、さすがの甲馬も肩が凝った。首をコキコキと鳴らしながら寺本に言った。
「お前、さっきコンビニで『特に』って言ったろ」
「え?」
「……いや、何でもない」
 甲馬は思い出した。こいつと初めて言葉を交わしたのは駅のホームだった。甲馬は中二で、前の晩にスイカを食い過ぎたのが原因か、学校で下痢をして早退した日だった。
 初夏の風が吹く駅のホームのベンチで、本を読んでいる野郎がいた。駅で本を読むなんて女の子みたいだ。名前は知らなかったが、顔は知っている奴だった。広瀬といつも一緒にいる奴だったからだ。
 甲馬が隣に座って、何を読んでいるのかと聞くと、そいつは緊張した様子で本の表紙を見せた。サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』だった。たまたま同じ頃土井が読んでいた本だったので、本などまるで読まない甲馬でも題名だけは知っていたのだ。土井は「全然意味が解らない」と言いながら読んでいた。だったら読むのをやめればいいのにと甲馬は思ったものだ。
《それ、面白いの?》
 甲馬はそいつに聞いた。
《…特に》
 そいつはビクビクしてそう答えた。顔が恐いせいでビクビクされるのにはいい加減慣れてきた頃だったので、そう頭に来る事もなかった。
 そいつのじいさんの具合が芳しくないので、家から呼び出され早退したという。そして下を向いて、その特に面白くない本を読み続けた。
 その時間帯に通る電車はただでさえ本数が少ない上に急行や快速ばかりで、各駅停車しか停まらないその駅に、なかなか電車は到着しなかった。
 ポトンという音がして隣を見ると、本のページの上に水滴が垂れていた。
《おじいちゃんが……死んじゃう…》
 本の上に水たまりができた。
 その頃の甲馬は、まだ肩を抱いてやるといった気の利いた事ができなかった。制服のポケットにはいつもハンカチもティッシュも入れていない。顎に挟むハンカチは膝の上の楽器ケースの中だ。汗で汚くなっている。
 なす術もなく、しばらく黙って隣に座っていた。
 急行がまた一本通り過ぎた。
 言うに事欠いて、慰めにもならない言葉が口から出てしまった。
《……いいじゃねえか、順番通りで》
 そいつは顔を上げた。
《じいさん、ばあさん、父ちゃん、母ちゃんって、順序良く逝けりゃ幸せなこった。その順番が狂っちまううちだってあるんだからよ》
 坊主頭の甲馬を、真っ赤な目が見つめた。
《そうとでも思わなきゃ、やってらんねえよ》
 その丁度一年前、甲馬は母方の祖父を亡くした。昨日まで歩いていた祖父が突然倒れて、後はあっけなかった。大好きな祖父だった。いつも甲馬を膝の上に載せてくれ、母親に叱られるといつもかばってくれた。
《じいさん…》
 伸ばそうとした手を母親に制された。指を出すなと叱られた。大人たちが寄って集って祖父の棺に石で釘を打った。カーン、カーンという音が響く度に、甲馬はビクン、ビクンと肩を震わせた。
 ガラガラと運ばれて行く祖父を呼び止めた。
《…やめろ、熱いぞ》
 誰も聞いていなかった。
 さっきまで眠るように胸の上で手を組んでいた祖父が、白いような黒いようなばらばらな骨になって出てきて、甲馬は箸で骨をつかめないほど泣きじゃくった。土井が肩に手を置いて、「おじいちゃんはお星様になったんだよ」と酒楽臭い事を言って慰めてくれた。
 その祖父の遺産で、念願のオールドの楽器が買えることになった。祖父の遺言だったからだ。
 楽器を手にした時、喜んでしまった。手放しで、喜んでしまった。喜んでしまって、四十九日の法要の時ハッと我に返った。その事でまた泣いた甲馬に、祖母が「おじいさんも天国で喜んでるよ」と言ってくれた。
 その祖父の形見とも言える楽器を弾いて、学生コンクールの中学生部門で全国優勝した。

《心配すんな。じいさん、大丈夫だよ》
 駅のホームに続々と人が集まり、そいつは制服の袖で小さな顔を拭いた。
《今時の年寄りは、ちょっとやそっとじゃくたばらねえや》
 赤い鼻で、少し笑った。
 やっと各駅停車が来て、ホームに溜まった乗客で車内は満員になった。押し合いへし合い、甲馬はそいつを見失ってしまった。
 気になって、次の日広瀬の教室に行ってみた。
《ほら、あの、いつもお前と一緒にいる奴、昨日、早退したろ?》
《ああ、今日は忌引きですよ》
 真新しい夏服の袖を濡らしたあいつの泣き顔を思い出した。
《あのおじいちゃん、先週まで元気だったんですよ。急に具合が悪くなっちゃって。今夜お通夜で、ぼく、行きますけど、何か?》
「お星様になったんだよって言ってやれ」と言おうとした。「ガラじゃねえな」とやめた。
《…何でもねえよ》
 その次の週に行われた母方の祖父の一周忌に、甲馬は墓前でバイオリンを弾いた。四十九日の時、親族から「弾いてやれ」と言われた祖父の形見を弾いた。その時は鼻水が止まらなくてどうしても弾けなかったジュール・マスネの『タイスの瞑想曲』を弾いた。あの名前も知らない奴のじいさんにも聴こえるように、遠くに響かせて弾いた。

「あの本、まだありますよ。読みます?」
 寺本が白いポロシャツのボタンを外しながら言った。窓の外で汽笛が鳴った。
「次の日、教室に甲馬さんが来たって、広瀬が」
 寺本が少し照れながら言った。それからとびきりの笑顔を見せた。
《泣きました》
《そっか》
 甲馬も笑った。しんみり笑った。優しい顔で笑った。
「お前、特に面白くもないのに、どうしてあんな本読んでたんだ?」
「ホモっぽいシーンがあるって聞いたから」
「……………………………………」
「でも、ちょっとだけでした。主人公がベッドで寝てたら、先生が夜中に頭をなでるんです。それで、その子、びっくりして逃げ出しちゃって。もったいない」
「お前…………中一…………………………」
 寺本の腿が日に焼けて赤くなっている。一緒にシャワーを浴びた時、少しヒリヒリすると言った。甲馬は「こんなイヤラシイ物を人前にさらすのが悪い」と怒ってやった。こんなきれいな腿に、シミでもできたら困るじゃないか。
 今日の午前中は日差しが強かった。広瀬は日に焼けると一端赤くならずにその場ですぐ黒くなる。真夏には真っ黒な顔になり、どっちが表か裏か解らないくらいだ。新しいカノジョと幸せになって欲しい。

 目の前の尻は相変わらず白かった。尻の穴をなめると、四つん這いの寺本が小さく声をあげた。彼は頻繁に声を出してくれるようになった。例え演技だとしても甲馬は嬉しい。もっと声が聞きたくて、穴の周りをなめ回した。また声をあげた。それでももっと聞きたくて、尻の肉を両手で伸ばし、舌を穴の奥まで潜り込ませた。ゆっくりと抜くと、桜の花びらのような門がひくひくと動いた。
 その尻に悪戯したくなって、右の尻のてっぺんにキスマークをつけた。強く吸い過ぎたのか、寺本が小さく「痛い」とこぼしたので、謝りながらしばらくその尻をなでてやっていたら、彼は少し遠慮がちに「左も」とつぶやいた。
「お前、寂しかったんだろ。ここんとこしばらく会えなくて、オレのこと、恋しかったんだろ」
 自分がつけた二つのアザを眺めていたら、中華街で食べた桃饅頭を思い出した。
「可哀想なことしたな。ごめんな。今抱いてやるからな」
 今日は何故かこいつの尾てい骨までいとおしく見える。濡れた穴に中指を入れて回した。
「あ…」
「オレ、まだ荷造り出来てなくてさ、買い物もあってさ、親戚も毎日のようにオレに会いに来ててな、バタバタしてたんだ。嬉しいよ、会いに来てくれて」
 そう言いながら指を抜いた。
「いれるぞ」
「あっ」
饅頭がつぶれた。
「もっと奥行くぞ」
「甲馬さん………」
 ベッドのきしみが激しくなった。ここなら階下の奴に気を遣うことなく、思い切りベッドをきしませる事ができる。とは言うものの、マンションにいた時も特に気を遣ってはいなかったが。
 寺本の尻はいろんなものを連想させてくれる。音部記号にはト音記号とヘ音記号の他にハ音記号というのがある。上から見ると寺本の尻はそれにも似ている。これは甲馬の勝手なこじつけだ。こじつけることによって長持ちさせるという癖がついてしまった。「そんなことをしなくても十分満足しているのに」と寺本は言うが、性分なのだから仕方ない。それよりも、少しでも長く寺本の中にいたいと願うのは甲馬の方なのだ。
「次は僕から行きますよ。寺本悟」
「留守番……電話」
「セーフですね。輪投げ」
「下痢」
「リス」
「スケスケ」
「え?」
「レースが」
「駄目ですよ、擬態語じゃ」
「似合うぜ、寺本」
「ありがとうございます。リス、ですよ」
「すかしっぺ」
「そんなのアリですか?」
「アリだ。オレは得意だ。演奏中音は出せないからな」
「それじゃあ、ペダル」
「留守番………電話」
「ブー。それ、さっき言いましたよ」
「『る』ってあんまりないんだよ」
「はい、僕の勝ちです。後ろ向いて下さい。電気は消しませんからね」
「……解ったよ」
「痛くても気持ちのいい振りして下さいよ」
「…もう痛くないよ」
 お互い擦り切れるほど愛し合っても、まだ夜は終わらない。
「甲馬さんは似合いませんね。萎えます」
「だな」
「脱ぎます?」
「ああ、そうする」
「行きますよ。ここは…ホテル」
「またぁ、ずるいよ」
「ずるくない。はい、ホテル」
「ルビー」
 どうだ、まいったか。
「ビール」
 こいつ……。
「ルノワール」
 どんなもんだ。
「人名アリですか?」
「お前だってさっき『寺本悟』って言ったろ? 実在の人物ならいいんだ」
「ルール」
 …まじかよ。
「る………ルイ…十六世」
 オレの勝ち。
「『せ』ですか? 『い』ですか?」
「『せ』だな」
「セール」
「何だそりゃ」
「バーゲンセールのセールですよ」
「ああ、そうか。ルイ十四世。いくらでもあるぜ」
「関根サイクル」
「おい、何だよ、それ」
「うちの近所の自転車屋さんです。実在の自転車屋さんです」
「そんなのアリかよ。ま、いいや。ルイ十五世」
「セカンド・リサイタル」
「おい」
「二回目のリサイタルです。ありえなくもないです」
「そう来るか。よし。ルイ十六世が遊んでいたボール」
「何ですか、それ」
「子供の頃はボールで遊んだはずだ」
「ルイ十四世」
「ブー。それ、もう言ったぞ」
「ルイ十四世」
「…………いいのか?」
「ルイ十四世」
 もうこれが最後だろう。さすがの二人も限界だ。
 ベッドに座り直し、甲馬が寺本を膝の上に載せると、寺本は甲馬の肩に手を置いた。
「アイラブユー」
「ぷっ」
 寺本が噴き出す。
「何だよ。アメリカ行くから練習してんだよ。お前のことも、サトルって呼ぼうかな」
「…………」
 寺本の頬が少し赤くなった。
「いいか? サトルって呼んで」
 額と額を擦り付ける。
「向こうに行ったらですよ」
「サトル、サトール、サートル」
 語調を変えて三回、目の前の愛しい男の名前を呼んでみた。
「まだ駄目ですってば」
「オレのことはハニーと呼べ」
「甲馬ハニーって名前だったんだ。知らなかった」
「馬鹿野郎」
 寺本の尻を引き寄せた。
「甲馬さん、この形、好きでしょ」
「お、解ってるじゃん。しっかりつかまってろよ」
 寺本が甲馬の頭にしがみ付いてきた。甘い香りがした。石鹸の香りではない。寺本の香りだ。甘い甘い、寺本の肌の香りだ。
 細い腰を上げた。そして二人は、今夜最後の愛を交わした。
「オレ、バイオリン、頑張るからな。えげつなく稼いで、お前に一番でかいスタンウェイ買ってやるからな」
 寺本が、天使の顔で甲馬を見下ろした。
「もう寂しくないぞ。ずっと一緒だぞ。毎朝、血圧上げてやるからな」
 天使の顔で微笑んだ。
 これから毎朝、目覚めるとこの顔が隣にある。毎晩この顔が隣で微笑む。
 横浜の海に、間もなく夜明けが訪れようとしていた。


おしまい
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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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