射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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射手座の男 2

「で、何かいい案ある?」
 次の週になっても復活バンドの追加の曲は決まらない。メンバーが集まった放課後の学食にほとんど人はいなかった。
「やっぱ高校の時の得意曲でいいんじゃないか?」
「いや、日本の出たばっかりの曲の方が受ける」
 この連中は、意見がまとまるまでこうして何度でも学食に集まり続けるつもりなのだろうか。甲馬はそう思いながら退屈そうにテーブルに頬杖をついた。
 煙草を吸いたくなってきた。でも学食は禁煙だ。仕方なく乾いた煙草を一本くわえて、葉っぱの香りだけを吸い込んだ。それを見た寺本がクスリと笑った。
「ジャズがいいよ」
「サックスがいないんだぜ」
「ブラスから誰か呼んでくればいいじゃん」
 こいつらはどうして連日同じ会話を繰り返せるのだろう。
「クラシックのアレンジは?」
「やなこった。ロックだよ、ロック」
 どの会話も先週聞いたような内容ばかりだ。
「ケルティック・ソウル・ブラザーズ」
 煙草をくわえたまま甲馬が口を挟むと、みんながいっせいに甲馬を見る。
 これもデキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの曲でバイオリンが出てくる。せっかくバイオリン弾きがいるのだから悪くないかもしれない。踊り出したくなる曲だ。観客にはきっと受けるだろう。そうみんな納得して『カモン・アイリーン』の前に弾くことにした。
「あとは?」
「エレノア・リグビー」
 また甲馬が口を出す。
「ビートルズですか? あれ弦楽四重奏が要りますよ。あと何人弦から連れて来る気ですか。はい、却下」
 広瀬は裁判官のようにテーブルを叩いた。
「精霊流し」
 甲馬は懲りない。
「暗い……」
「オレなら、さだまさしより上手く弾ける」
「もう、コンマさんてば、自分が目立つことばっかり考えてるんだから」
「ソリストに必要なのは美貌と実力と自己顕示欲だ」
 また冗談なのか本気なのか解らずみな戸惑う。
「コンマさん、つまんなかったら帰っていいんですよ」
「いや、ここにいる」
 終わったら寺本を誘うつもりだから帰る訳にはいかない。他のメンバーが心の底から迷惑そうに甲馬を見る。甲馬はふて腐れて椅子に仰け反り、テーブルに両足を掛けた。
 追加の曲はなかなか決まらない。退屈した甲馬が広瀬に聞いた。
「ところでさ、お前ら、バンド名、何ていうの?」
「オンコーズ」
「………」
「音高生だったから、オンコーズ」
「お前、今オレに冗談言ってるよな」
「本当ですよ。シンプルでいいでしょ?」
「まーちっとひねれねぇのかよ、そのまんまじゃねえか」
「確かにもう大学生だしな。バンド名、変えようか」
 広瀬が身を乗り出してメンバーに問う。
「変えるべきだ」
 甲馬が真っ先に答えた。
「なんて?」
「コンマと仲間たち」
 四年生たちは少しずつ甲馬から離れる。
「シベリアン・ハスキーと仲間たち」
 広瀬が言うと、甲馬は広瀬の椅子を思い切り蹴飛ばした。他の連中は恐くて笑えず下を向く。
「でもやっぱりさ、高校の頃のこと憶えててくれてる女の子のファンも多いだろうし、そのままで行こうよ」
 キーボードの奴が説き伏せるように言うとメンバー達は納得したように深く何度もうなずいた。
(…………は?)
 甲馬は呆気に取られ、メンバーの顔を一人一人しげしげと見た。どう見ても、寺本以外はどこにでもいる平凡な奴らだ。
「女の子のファンなんていたの?」
 馬鹿にしたように甲馬が聞くと、広瀬が大声を張り上げ始めた。
「何言ってんですか、コンマさん。寺本とぼくのシンメトリー・コンビ、女の子をキャーキャー言わせてたんですよ」
 キョトンとして寺本を見ると、彼は黙って笑っている。まるで自分には関係ないといった顔だ。更に馬鹿にした口調で甲馬が問う。
「ヒーヒー言わせてたの?」
「もう、違いますよ、キャーキャーですよ。ぼくはハンサムじゃないけど、一応背が高くてスタイルいいし、このボーカルはアメリカ育ちで英語ペラペラだし、期待のテノールだし、サクソフォンの奴は坊ちゃん坊ちゃんした色男だったし」
「サックスなんてどこにいるんだよ」
「そいつ、普通大学行っちゃったんです」
 音高から音大に行くのに挫折したクチか。
「ドラムとキーボードは後ろでよく見えないし、寺本はこのミテクレでしょ? アイドルですよ、アイドル。女の子たち、大騒ぎですよ」
 甲馬は間抜けな顔で寺本を見た。目が合った。まだすましてやがる。
 バンドを組むなんて目的はひとつ、女の子にモテるためだ。決まっている。それ以外の目的でバンドを組んでいる奴なんてこの世にいるはずがない。ということは、寺本も女にモテたいのだろうか。
「こいつ、こんな顔して結構ヤラしいんですよ。修学旅行でもサックスの奴とナンパしに消えるし」
 寺本が隣の広瀬のTシャツの袖を引っ張って首を振った。しかしその寺本に広瀬が聞いた。
「で、お前、何にも言わないけどさ、大学入ってからはどうなんだよ。相変わらず? やりまくり?」
(や、やりまくりぃ?)
 甲馬の頭の上から鉄パイプが落ちてきた。
 ピアノ科のオカマ。寺本の陰のあだ名だ。いったいこの大学の何人が彼をそう呼んでいるのかは知らないが、「オカマ」ということで、甲馬の頭には彼の男関係の事しか思い浮かばなかった。
 しかしいったい誰が「女とはしない」と言ったのだ。
 そう言えば寺本は「僕は男」と言った。「女ともしている」という意味だったのかもしれない。女ともしているのなら、男とは「遊び」というのも納得できる。確かにこの顔なら女に不自由はしないだろう。女とは真剣に寝て、男とは生き抜き程度に寝ているというということなのか。いや、それとも、女とも「遊び」で寝ているだけなのだろうか。「オカマ」ってどういう意味なんだ。男と寝る男のことではなくて、半分男で、半分女のことをいうのか。だから男とも女とも寝るのか。
 頭の中で必死に自問自答を繰り返していると、
「コンマさん?」
「……あ、え? あ、なんだ?」
 広瀬の声で我に返った。
「追加の曲、これで決まりですよ」
「あ、ああ、そうか…」
「早速明日の放課後から練習です。スタジオ借りましたから。スタジオの場所はですねぇ…」
「あ、でも甲馬さんなら練習なんて必要ないでしょ」
「そりゃそうですよ、甲馬さんですもん、ぶっつけ本番でいけますよ」
 へつらうような口調で、ドラムの奴とキーボードの奴が広瀬を遮った。それを無視する甲馬。
「土井んちでやろう。タダだ」
 また考えずに口から言葉が出た。
「土井さんち? ああ、ここからひと駅ですね。スタジオなんてありましたっけ」
 広瀬が首をひねる。
「あいつんち、地下のひと部屋が防音室になってるんだ。クラビノーバも転がってる」
「でもいきなりそんな。土井さんに聞いてみないと。ドラムだって運ぶの大変だし」
「大丈夫だ。楽器持って行っちまえばいいんだよ。ドラム積んでトラックで来ても平気だぜ。オレがばあさんに話つけとく。明日、土井んち集合な」
「助かりますよ。スタジオ代も結構バカにならなくて」
 甲馬は力なく立ち上がり学食を後にした。寺本が女を抱く姿を想像したら頭がクラクラしてきて、その日は寺本を誘う元気がなくなった。
 そのまま甲馬は土井の家へ向かい、土井の祖母にバンド練習のことを承諾して貰った。承諾して貰ったというより、「そういうことになりましたので」と甲馬が話し、祖母が「解りました」と笑顔で答えるといった具合だ。
 その後久し振りにマンションに帰ってみると、羽根枕の羽根が部屋中に散乱していた。枕元のサイドボードの上に合鍵がふたつ置いてある。こんな物、いったいいつの間に作ったのだろう。甲馬はそれを拾い上げ、一番上の引き出しに入れた。



 次の日、だだっ広い土井の家の玄関にメンバーが集まると、甲馬の肩より小さな土井の祖母が地下室へ案内してくれた。甲馬はこの祖母には、この祖母の肩より小さな頃から可愛がって貰っている。
 メンバーを部屋へ通すと祖母は一度いなくなり、ジュースとケーキを持って戻って来た。練習が終わったら冷えたビールを持って来るから内線で教えてくれと言った。どんな貸しスタジオよりも格段にサービスが良い。しかもタダだ。
 土井は留守だった。ケーキを食べるメンバーに、祖母は「ハジメちゃんが、ハジメちゃんが」と楽しそうに話していた。
 土井の祖母が去ると、メンバーたちは防音室を見回した。
「防音室っていうからバンドルームかと思ったら、ここオーディオルームじゃないですか」
「でも防音壁だろ? ガンガンに弾けるぜ」
 甲馬は小さな穴の空いた壁を軽く叩いた。
「こんなデカいテレビあるし、スピーカーもでかいし」
「ソファ、ふかふかだし。はっきり言って邪魔なんですけど」
「片付けよう。要らないモンは部屋の隅に運ぶぞ。広瀬、そっち持て」
 巨大な大画面テレビの端を持って甲馬が言うと、広瀬は「いいんですか? そんなことして」と言いながらも、テレビの一方を持ち上げた。
「いいんだよ。ここんちの人、何にも気にしないんだ。何かなくなってても気が付かないぜ。ドラムも置いてっていいからな。せーの、ウリャー。重いな、これ」
 甲馬がそう言い終わる前に、寺本がそのテレビの一辺を持って「三人なら運べますよ」と言った。
「…あ、ああ、そうだな」
 三人で重いテレビを部屋の隅に運んだ。寺本のきれいな顔がそばに来て、甲馬は何故か顔を背けてしまった。
 部屋の片付けが終わると、リーダーの広瀬が追加の曲の楽譜をみんなに配り始めた。夕べ寺本と広瀬が昔のテープやCDから起こしたという手書きの楽譜だ。
「きったねえな、この楽譜、読めねえよ」
 受け取った楽譜を見て甲馬が顔をしかめた。
「汚くて悪かったですね。それでも精一杯きれいに書いたつもりなんですけど」
 広瀬が少し遠慮がちに怒っている。
「何だよ、こっちはきれいで読み易いじゃねえか」
 そう言って隣のキーボードの奴の顔を睨むと、そいつは化け物でも見たような顔でひるみやがった。どいつもこいつもびくついていやがる。気に入らねえ。
「あ、それはキーボードだから寺本が書いたんですよ」
 今度はそう言った広瀬を睨んでやった。
「だったらオレのも寺本が書けよ」
「バイオリンの楽譜だからぼくが書いたんです。指番号も書きましょうか?」
 心配そうに甲馬を見ている寺本を横目でちらと見て、すぐに目を逸らした。まったく、こいつまでおどおどしていやがる。気に入らない野郎どもだ。
 ああ、イライラする。
「要らねえよ、そんなもん」
 いつまでもブツクサ言い続ける甲馬を、他のメンバー達がまた迷惑そうに見つめた。
 練習の途中で土井の祖父が白衣を着たまま入ってきた。九十近いが現役の内科医だ。具合の悪い患者は診ないようにしていると土井が言っていた。笑顔でメンバー一人一人と握手し、しばらく演奏を聴いていった。「次は軍歌を弾いてくれ」と言われてみんな困ってしまった。

 甲馬がソアラのエンジンを掛けていると、助手席の窓をコツコツと叩く音がした。
「甲馬さん」
 寺本がガラスの向こうで腰を屈めている。右手の指を押して助手席の窓を開けると、車内にぬっと白い顔が入って来た。
「お前、広瀬たちと帰ったんじゃないの?」
「抜けてきました。…あの、楽譜、僕が書き直しましょうか?」
 片付けもせず早々に土井の家を去った甲馬の後を走って追い掛けて来たせいか、息が荒く髪が更に乱れている。甲馬を覗き込む瞳がやたらに可愛らしい。手を伸ばして頬に触れたくなってしまうではないか。
 寺本の方から来てくれるなんて、こんな嬉しいことはない。
 しかし落ち込んだ気分はそのままだ。
「乗れよ」
 とりあえず寺本を助手席に乗せたが、しばらくアクセルを踏めず、前を向いてハンドルを握ったままじっとしていた。
「あの、楽譜…。僕なら広瀬の楽譜、読めるから」
「あ…いいよ、別に、読めるよ、あのくらい」
「え? 読めるんですか?」
「馬鹿にすんな。もっときたねぇ楽譜だってあるんだ。あれくらい読めねぇでどうする。それに今日一通り弾いたから、もう覚えたよ」
「…はあ」
 下を向いてしまった。
「お前さぁ…」
 声を絞り出すように甲馬が言うと、寺本は顔をゆっくりと上げた。
「…女ともヤッてんの?」
 顔を上げたまま寺本は黙ってしまった。そのまましばらく返事を待ったが、寺本は何も言わずに甲馬を見つめているだけだ。
「…やっぱヤッてんだぁ」
 ハンドルに額を擦り付けて声を吐き出すように言った。
「してたら悪いですか?」
 開き直ったように寺本が言う。
「そうだよな、別に悪かないんだよな、オレ、何言ってんだろうな」
「甲馬さんだってしてるでしょ?」
「オレ? オレはだってさぁ、天下無敵の暴れん坊……」
 ハッとした。
 そう言えば、あの晩マンションから飛び出して以来一週間もヤッていない。すっかり忘れていた。特に事情もないのに一週間もヤらないなんて。自分でも出していない。
「ま、いいや」
 しかし何故か特に気にならなかった。
「メシ、食いに行こうぜ」
 寺本と食事をすることしか頭になかった。
「オリャー」
 甲馬のGTツインターボは今日も軽快だ。

 その後も、機会があれば甲馬はバンドの練習の後に寺本を誘った。しかし、たいてい寺本は広瀬たちと駅まで歩いて行ってしまう。寺本と広瀬は家が近所で同じ駅なので、電車に乗って後をつけることもできない。時々広瀬が練習の後大学に戻るのを見計らって寺本を連れ出すしかなかった。
 食事をして、おしゃべりをして、家まで送る途中で渋滞に会い、寺本が電車に乗り換える。その繰り返しだった。
 どうしてオレは寺本を誘っているのか。
 それは、おしゃべりが楽しいからだ。
 男だろうと、女だろうと、可愛い子と食事をするのは楽しいからだ。
 それだけのことだ。絶対に。



 これからは混雑時の学食は避けることにした。午前に伊藤教授のレッスンを終えた甲馬は早めの昼食を取っていた。
「今日はもう終わり?」
 大きな土井が目の前に座った。
「これからちょっと図書館行って、その後バンドの練習だ」
「バンド? ロックバンドかなんかですか?」
 小判鮫のようにいつも土井に貼り付いている小柄な吉村が、土井の隣に座りながら言った。彼は管楽器科の四年生で、大学オケでオーボエを吹いている。チビで痩せているクセに、やたらに毛深い九州男だ。貧弱なクセにカツカレーの大盛りを食っている。
「ああ。九月の学園祭でやる」
「九月? コンクールがあるじゃないですか。また先生に怒られますよ」
「だから大学構内で練習できない」
「へえ、スタジオかどっか借りてるんですか?」
「土井んちの地下でやってる」
「え?」
 サバの塩焼きを食べていた土井が驚いて顔を上げる。
「お前、知らなかったの?」
「知らなかった。おれは帰るとすぐ二階に行っちゃうし」
「土井さんち大きいから、どっかに誰かが住み着いてても気が付かないでしょうね」
「ばあさんから聞いてないのか?」
「何度かお前が来たって言ってたけど、バンドのことは聞いてない。ばあちゃん、最近ちょっと呆けてるんだ」
「そんなことないぜ。いいばあさんだ。おやつは出るし酒も出る。この前なんか遅くなったら夕飯まで出たぜ。随分いいモン食ってるなって、みんなたまげてたぜ」
「あと誰が来てるんだ?」
「広瀬と、知らない奴らが数人と、あと……寺本」
 土井は箸からサバを落とした。吉村もスプーンからカツを落とした。
「なあ、お前ら、オカマの寺本ってさ、女の子ともヤッてるかどうか知ってる?」
「知る訳ないだろ」
 土井は怒ったようにサバを丸ごと口に入れた。
「駄目か? お前んちで練習しちゃ」
「別にいいよ。勝手にやってくれ。ばあちゃんにはもっと質素な夕飯を出すように言っとくよ」
「ありがとな、ハジメちゃん」
「お前、コロス」
 土井はトレイを持って席を立った。
「小学校の時はそう呼んでたじゃんか」
 土井はいよいよ怒って広い背中を向けた。でも土井はこんなことくらいで本気で怒る男ではない。まだ食べ終わっていなかった吉村も、トレイを持って小走りに土井の後を着いて行った。



 そのうち広瀬に一年振りにカノジョができた。どこかの短大生だそうだ。あんな男のどこがいいのか甲馬には理解できないが、とにかく広瀬は夢中になった。
 広瀬は土井の家の地下室に彼女を連れて来るようになった。確かに自慢のカノジョだけあってものすごい美人だった。髪が長くてスタイルがよく、海外旅行から帰ってきたばかりの奴のような香水の匂いがした。他のメンバーも息を飲んだ。女日照りの続いていた甲馬は一瞬で勃ってしまった。
 広瀬はまるで女王様と奴隷のように彼女に接した。嬉しくて嬉しくて仕方ないようで、見ている方が痛々しいほどだ。しかしその女は香水の匂いの他に、甲馬と同じ匂いもした。遊んでいる男は遊んでいる女が解るものだ。演奏中、寺本に色目を使っているのも不愉快だった。
 でもお蔭で寺本を誘い易くなった。広瀬は練習の後いつも彼女と消えてしまう。せいぜい頑張ってくれと声援を送る甲馬だ。
「お前、広瀬に振られちゃったじゃん」
「そうですね」
 ソアラの助手席で寺本が笑った。
「でもあの子、お前が誘えば来るぜ」
「広瀬は僕の友達です」
「偉いじゃん。オレもめんどくさいのは嫌いだな」
「でしょ?」
「広瀬の弟になるのも嫌だしな。兄貴ならまだしも」
「もう弟ですよ」
「………」
「冗談ですよ」
 こいつは心臓に悪い。
 気になっている事をもう一度確かめたかった。素直に聞いても答えてくれないだろうから、いやらしい話を並べ立てた。女を攻める技を次々と披露し、「お前もやってるんだろ?」と同意を求めてみる。
 しばらく黙って聞いていた寺本だったが、少しずつ顔が赤くなってきた。二年前、オレにあれだけいやらしいことをしておいて、どうして顔を赤らめることができるのか理解できない。しかし、だんだんとただの痴漢オヤジのような気分になってきた。
「男同士だもんな。こんな話しても、別に、セクハラじゃないよな」
 寺本が下を向いた。
「お前、女とはヤらないんだろ」
 何も答えなかった。
「ヤりたいけどヤれないの? それともヤりたくないの?」と聞こうとしたが、これ以上続けたら明らかにセクハラだと思ったのでやめた。ホッとしたら何だか嬉しくなってきて、にやけた口元をごまかすように言った。
「ま、いいや」
 その日は回転寿司を食べた。寺本はウニやらトロやら高い物ばかり、醤油も付けないでものすごい量を食べた。また奢らせてくれなかった。
 帰り道、助手席の寺本が言った。
「こんなことしてていいんですか?」
「何がだよ」
「うちの科のタカハシさんが本命なんでしょ? 僕と食事してる暇があったら、彼女とデートしなきゃ」
「は?」
「広瀬が言ってましたよ」
「何であいつが?」
「すごい美人だって。甲馬さんの本命は絶対彼女だって」
 ま、確かに、美人が多いことで有名なうちの音大の中でも、タカハシは一、二を争う超美人だ。
「美人だって…って、お前、タカハシのこと、見たことないの?」
「そりゃありますよ。中学から同級生ですもん」
「美人だと思わないの?」
「僕はオカマですから」
 おお、開き直ったようだ。
「ああ、そうだったな」
 オカマというのは、あんな美人でも興味がない訳だ。こいつとタカハシが並んだら、さながらお内裏さまとお雛さまだろうに。
「タカハシさん、甲馬さんの話、よくしてますよ」
「お前さ、タカハシのロングストレートがふわっと風に揺れたりするとさ、どう思うの?」
「邪魔ですよね。高校の頃連弾したんですけど、僕の肩に掛かって困りました。縛るか切るかして欲しかったです」
 あ、そう来るか。オカマはそういう感覚なのか。甲馬だったら連弾どころではない。緊急事態発生だ。でも甲馬はタカハシとはヤらない。
「別にあいつは本命なんかじゃないよ。付き合ったこともないよ。オレにしつこくまとわりついてるだけだ」
「甲馬さんが据え膳食わない事なんてあるんですね」
「あいつ、公衆便所だからな」
「え?」
「オレ、公衆便所は使わないんだ、汚いから」
「タカハシさんが……知らなかった」
「六本木の奴らが言ってた。どこぞのお嬢らしいけどな。ショックか?」
「…あ…いえ、別に……」
 タカハシには、廊下の隅などでよくかなり際どいところまで接近される。あの美貌で迫られて、僅かに残っている理性で下半身の暴走を抑えるのは至難の業だ。
 でもオレが公衆便所は使わないというのは嘘っぱちだ。ナンパされに夜の街に繰り出してくる女たちなんて、多かれ少なかれみんなその類だ。オレがタカハシと寝ないのは、
「広瀬のアイドルだったんだろ?」
 寺本は驚いた顔で甲馬を見る。何も知らずタカハシに恋心を抱いている男は、広瀬だけではないだろう。
「広瀬は…そのこと…」
「知らねえだろうな。オレも言ってないし」
 これから寺本の家まで、あとどれだけ一緒に居られるのだろう。一時間は掛かって欲しい。
「僕も公衆トイレですよ」
 甲馬の喉仏が上下に動いた。
 交差点の信号が黄色に変わった。いつもならアクセルを吹かして行ってしまう甲馬だが、今日は慌ててブレーキを踏んだ。後ろのドライバーは怒っているだろう。後ろの車も行けたタイミングだ。
 公衆トイレですよ、だから使っていいんですよ。
 公衆トイレですよ、だから使いたくないでしょ。
 どっちなんだ。
「…そんなこと言うなよ」
 寺本が甲馬を見た。甲馬は赤信号を見つめていた。
 信号が青になって、ゆっくりとアクセルを踏む。今日は信号グランプリは休みだ。
「よくないですよね、そんなに遊んでちゃ」
「……は?」
 事故を起こしそうになった。
「心も体も汚れちゃいますよ」
「…お前、何言ってんの?」
「女の人だったら、いずれは結婚して子供を産むつもりなんでしょ? それなのに、そんなに遊んじゃ駄目ですよ」
「お前、随分まともなこと言うじゃん」
「あんまり遊び癖がつくと、結婚してからも不倫したり、昔の男が言い寄ってきたり、いい事ナシです」
 確かにその通りだが、いくらタカハシだってお前には言われたくないだろう。
「そ、そういうお前はどうなんだよ」
「僕が将来結婚して子供を産むと思いますか?」
 あ、そうか。こいつは女とはヤらないんだった。子供も産めない体だ。
「甲馬さんだってそうですよ」
「え、オレ?」
 急に矛先を向けられて焦り、また事故を起こすところだった。
「いつかはお嫁さんをもらって、子供を作るつもりなんでしょ? だったらそろそろ遊びもほどほどにしなきゃ」
 体中の力が抜けた。
 国道の上に首都高が重なった。何となく圧迫感があって嫌だ。甲馬の心も圧迫された。圧迫されて声が出た。
「あー」
「何ですか?」
「お前に説教されちゃったよ。オレもおしまいだよ」
「甲馬さんと僕とでは立場が違います」
「それにさ、子供とか言われるとドキッとしちゃうからやめてくれよ。ま、オレさまはそんなヘマはしないけどな」
「甲馬さんほどの遺伝子は後世に残さなきゃもったいないですよ」
 ほどよく渋滞してきた。
「遺伝子ねえ」
 これ以上の渋滞なら寺本は車を降りて電車に乗り換えてしまうだろうし、これ以下ならば早く着き過ぎてしまう。
「男ってやっぱり種馬なのかな。自分の種を残すことにこだわる奴って結構いるよな。土井は酔っ払うとすぐそういう話になるぞ」
「うまく行けば何千年、何万年って受け継がれる物ですからね」
「土井はな、早く結婚して子供が欲しいんだとよ」
「土井さんは優しいから、いいお父さんになりますよ」
「子供が医者になってくれればいいって言ってる。両親も姉ちゃんも医者なのに、自分は馬鹿で医者になれなかったろ? 四代続いた医者だ。多少肩身が狭いのかもな。あのじいさん、あれでも元軍医だってさ」
「別になれなかった訳じゃないでしょう」
「まあな。あいつが物心ついた時にゃ、もう姉ちゃんは医学生だったし、両親がトシくってたせいもあって、土井はほわーんって育っちまったんだ。体もほわーんってな。ピアノもほわーんだ。うちの母ちゃんみたいに、練習しないからって蹴り食らわすようなことはしなかったみたいだ」
 普通しない、と寺本は思った。
 土井は幼稚園からピアノを習っていた。音小でもずっとピアノを習っていたが、音中で管楽器に転向した。競争の激しいピアノでは、その先の音高には進めないと言われたからだ。うちの音高のレベルは半端ではない。
「早くガキ作ってよ、裏金積んでヘッポコ医大にでも入れりゃ、土井病院も安泰なんだろうな」
「そんな…」
「馬鹿だっていいんだよ、皮膚科か何かになれば。皮膚科は楽だぜ。誤診してもまず死ぬこたないし、薬が効かなきゃ別の薬出しゃいい。どれかしら効くだろうからな。ヤブは強い薬出さないし、急患だってひどい火傷なら外科とかに回せばいいし」
 煙草を吸いたくなってきた。
「一度松脂(まつやに)で指がカブレてな、実家の近所の皮膚科に行ったら『肌荒れです』だとよ。そんなの解ってますって言ったら睨みやがってよ、挙句にこの首のアザは何だとか言って。大きなお世話だ」
 甲馬の首の左側には赤いアザがある。楽器を顎で押さえるためにできてしまうバイオリン弾き特有のアザだ。できない奴もいるが、甲馬はでき易い体質と練習時間が長いせいで、常にアザができている。
「ああ、痛々しいですもんね」
「そうか?」
「広瀬はできないから」
「あいつは色黒で強靭な肌してるからな。あいつ、髭剃るとカミソリ勝ちするんだよ。血が出ないでカミソリが刃こぼれするんだ」
 甲馬はそう言って左手の指で首のアザを押さえた。
「実際、痛くないんですか?」
「痛いよ」
「え?」
「なめてくれよ」
 寺本が黙る。
 甲馬の心臓がバクバク鳴った。
 マズイ。怒らせたかもしれない。
 無性に煙草が吸いたくなってきた。
「ホントに煙草吸っていいんですよ」
 また貧乏揺すりをしてしまったようだ。
「…いや、いい」
 怒って…ないのか?
「…でも、その前に馬鹿じゃ国家試験が受かんないか。っていうか、進級できないな。卒業もできない。やっぱ医者になるって大変だな」
「甲馬さん、土井さんの話が多いですね」
「そうか? プライバシーの侵害か?」
 土井。何不自由ない金持ちのお坊ちゃん。なのに優しい。人に優しくすることに躊躇しない。
「土井さんのこと、好きなんだ」
「馬鹿。気持ち悪いこと言うな」
 好きな訳ないだろう。奴は野郎だ。
 ……そしてこいつも野郎だ。
 そうだ。好きな訳がないだろう。そう自分に言い聞かす。
「ま、あいつは真面目だから結婚早いだろうな」
「いい事です。今は遊んでいても、いつかは身を固めて家庭を大事にするつもりだ、とか真面目ぶって言う人っていますよね。あれほど不真面目なことはありませんよ。ある程度は遊んでもいいけど、将来幸せになりたいならほどほどにしないと。もしとことん遊びたいんだったら、一生とことん遊ぶべきです。僕みたいに」
 何だこいつ。何か変だ。
「中途半端はよくないです」
「そんなの、オレ考えた事もないけどな」
「でも一生このままってつもりはないでしょ?」
「よく解んねえよ。今だけで精一杯だからな。でもよぉ、真面目になるなんてのはタイミングだと思うぞ。ある日ふっとやって来るっていうか、この女となら真面目になれるっていうか、なれるっていうより、なっちまうっていうか」
 そういう女はまだ甲馬の前には現れていない。四十前に現れればいいと思っている。
「ま、その時になって不真面目だった時のツケが回ってくるかもしれないけどな。ドカーン、ガツーンってな」
「その通りです」
「そう考えると、オレもいつまでもこのままじゃマズイかもな」
「そうですよ。潮時ですよ」
「お前、変な奴だな」
「そうですか?」
「オトモダチになってくれるか?」
「もうオトモダチですよ」
「そっか。よかった」
 お友達から始めよう。そう言おうとしたがやめた。もう既にヤッた仲だ。例え遊びでも。
 寺本の家に着いた。家まで送った奴とキスもしないで別れるのは初めてだ。お辞儀をして寺本は家の中に入って行った。パタンと閉まったドアを馬鹿面でじっと見つめたのも初めてだ。もしかしたらドアから飛び出して来て、抱き付いてキスしてくれるのではないか。そんな期待をしたのも初めてだ。運転席の窓を開け、窓枠に肘を掛けた。しばらくの間煙草を我慢して、玄関ドアを見つめた。
 誰も出て来なかった。
 シガーライターを力任せに押し、マイルドセブンに火を点けた。
 寺本の家の辺りは道が複雑だ。何度か行き止まりになって、Uターンして、やっと環状七号線に出た。環七から国道に入った。



 長い夏休みに入り、甲馬は小石川の実家で過ごすことが多くなった。
 朝食を済ませて楽器を弾いた後、水着を着て肩からタオルを掛けて近くの区民プールへ行き、水着のまま帰って来る。戻って来てシャワーを浴びた後また弾く。そして定期的に大学や伊藤教授の自宅へ行ってレッスンを受ける。ピアノ伴奏者と音合わせもする。時々バイト代わりに米屋の店番をする。余裕があればジムで汗を流す。夕方自分の部屋でまた弾く。日が落ちて涼しくなったら家の周りを走る。
 ここまでは例年の夏休みと同じだ。
 いつもと違うのは、週に一度ほど入る土井の家でのバンドの練習、それから寺本との食事だ。土井の家の地下室での練習に、土井が顔を出すことはなかった。
 そして「夜のナンパ」が削除された。夏はナンパの季節だ。一年中ナンパしている甲馬には特にナンパの季節と呼べるものはなかったが、女の子の肌の露出度の増す夏は、やはりナンパの季節と呼ぶに相応しいと甲馬は思っている。昼間照り付ける太陽で火照った体を夜爆発させる、これぞ夏だ。犬や猫の発情期が春ならば、人間の発情期は夏であるような気がする。
 いつまで経っても六本木にも渋谷にも出没しない甲馬に、ナンパ仲間から何度か電話があった。コンクールを理由に断った。その気になれなかった。
 マンションの留守電には女の子からの誘いの電話が沢山入っていた。掛け直すのも面倒なのでそのままにしておいた。
 しかし甲馬は育ち盛りの男の子だ。溜まるものは溜まる。手っ取り早く自分で済ませた。目を閉じて、頭の中でスロットマシーンのようにいろんな女の子を思い浮かべた。みんな美人だ。快調に右手が動く。
 しかし最後には横に三つ、寺本の顔が並んだ。二年前の短い髪の寺本、今の少し長い髪の寺本、そしてあの夏あの海で、小さく声をあげた、あの瞬間の寺本。
 並んだ途端体に稲妻が走り、穴からメダルがワンサカ出てきた。
 終わった後は虚脱感に襲われた。
 オレはいったい、何をしているんだ。

つづく
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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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