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射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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赤いマスタング 2-1

 アメリカの正月は短い。 元旦が休日になるだけで、二日からは通常の生活に戻る。
 久し振りに戻った滝田のアパートの床には、ダニ退治の缶が数本置き去りにされていた。換気をしなかったせいか、部屋が何となく臭くなっている。窓を全開にして風を入れ、ほぼ一ヶ月振りの掃除機をかけた。

 バスローブを羽織ってバスルームから出ると、窓から差し込む朝日が滝田の目を襲った。
「すごくいい天気だね。日差しが眩しい」
 色違いのバスローブをまとった寺本が、右手にシリアルの箱、左手に牛乳を持ってキッチンカウンターから出てきた。
「でも、気温は低いよ。さっき新聞を取りに行ったら車が凍ってた」
 両手に持った物をダイニングテーブルに置くと、ふと思い出したようにキッチンへ戻り、戸棚から砂糖の箱も出し、テーブルへと運んだ。
 まだ寝ていたい日曜の朝だがそうもいかない。朝から寺本に仕事が入っているのだ。
 二人が共に休日となるのは日曜しかないのだが、その休日さえもゆっくりと過ごせないことは珍しくない。寺本の音楽のイベントやコンクールは週末に行われることが多く、滝田も滝田で、塾のテスト監督やら説明会やらで休日出勤することは少なくないのである。
 一日中一緒に過ごせる日曜日くらいは、時間を気にせず思う存分朝寝坊したいものだ。恋人とベッドに入る前に目覚ましを仕掛けるほど味気ないものはない。
 朝食を取っていると、NBCテレビの女性キャスターがニューヨーク市周辺に降雪予報が出ていることを告げ始めた。
「寺本さんの嫌いな雪だってよ」
「ああ、行きたくないな。さぼっちゃおうかな」
 そう言って寺本は小さく舌を出した。
「さぼっちゃえ」
 滝田が冗談めかして言うと、寺本は軽く肩をすくめて笑った。
「カーネギーホールで何するの?」
「日本からユース・オケが来てるんだ。ほら、日本は今冬休みだから。そのコンサートの司会進行兼通訳。でもメインは雑用かな。午前中は準備とリハーサルで、昼過ぎに本番なんだ」
「ゆーすおけ?」
「子供のオーケストラだよ。それ、甘すぎない?」
「甘い方がおいしいんだよ、シリアルは」
 牛乳のついた口を少し尖らせた。
「子供のくせにわざわざ日本から来てカーネギーでコンサートするの? そんなに有名なオーケストラなの?」
「さあ。でも、カーネギーホールっていっても貸しホールだからね、お金さえ出せば誰にでも貸してくれるよ。子供のピアノの発表会もできるし、日本からも合唱団とか、婦人会の踊りとか、いろんな団体がよく来るんだ」
「チケットは? タダで配るの?」
「今回のチケットは日本企業の商工会でさばいてくれたらしいよ。利益までは出ないだろうけど、彼らも営利目的で演奏してる訳じゃないから…」
「自腹?」
「そうだね。でも、例え自腹でも、カーネギーホールで弾きました、なんて、いい経験になると思わない? あそこの音響は抜群だからね」
「天下のカーネギーホールがねえ」
「そんなことないよ。良いホールなら良いホールほど、より多くの人に観たり演じたりして欲しいもの」
 それから寺本は、「ごちそうさま」と言いながら立ち上がった。食べ終えた皿をキッチンの流しに運び、バスルームに入って歯を磨き始めた。まだ食事中だった滝田も席を立ってバスルームに入った。バスルームから出た寺本が寝室へ入ると、滝田も寝室へ入った。母親の後追いをする子供のような気分になった。
 寺本は寝室のクローゼットからクリーニング店のビニールに入った黒いタキシードを取り出した。渡辺の結婚式で着ていた服だ。滝田がベッドに腰掛けながら言った。
「あ、それ着るんだ」
「うん。持って行くのも面倒だから、家から着てっちゃう。今日は電車で行くから」
 寺本は脱いだバスローブをハンガーに掛けた。きれいな体があらわになった。
「電車で行くのか」
 引き出しから出した白いブリーフをはき、それから滝田の隣に座って黒い靴下をはき始めた。
「マンハッタンを運転するのは嫌いなんだ。混むし、迷うし。駅に車を停めて電車で行く。速いし楽だ」
 靴下をはき終えると、ベッドから下りてクローゼットの鏡を見ながら白いシャツを羽織った。一つ一つボタンをはめる寺本を、滝田はぼんやりと見つめた。
 マンハッタンなんて、滝田はもう何ヶ月も行っていない。野球のシーズンには同僚とよくヤンキースタジアムに足を運ぶが、確かに車で行くと渋滞と喧騒でイライラするものだ。駐車場に空きスペースを見つけるのにも苦労する。
 ふと思い出して、滝田は顔を上げた。
「あれ? シャワー、まだ浴びてないよね?」
「浴びない。君の匂いをおなかに付けたまま行く。本当は歯も磨きたくなかったんだけど、シリアル食べちゃったから」
 蝶ネクタイをつけながら滝田の方を見て片目をつぶった。今朝の事を思い出して滝田の頬が熱くなる。今朝滝田は、シーツに潜った寺本に、口で起こされた。そして、朝っぱらから三回も…。寺本がズボンをはいた。
「朝するのって、気持ちいいよね。夢の中でしてるみたいだ。血圧も上がるし」
 血色の良い寺本がタキシードの上着を羽織りながら言った。
「やっぱり味も付けて行こうかな」
 上着のボタンを掛けながら口を大きく開けて舌を左右に動かした。滝田が照れる。
「…時間がないか」
 そう言って悔しそうに舌打ちをした。
「ボクも行こうかな、カーネギーホール」
「それはいいね。是非来てよ」
 寺本が声を踊らせた。
「ボクもスーツ着て行った方がいいの?」
「いや、昨日着てたみたいな綿シャツとパンツで十分。本番は午後だけど、昼前に来て。一緒にランチしようよ。ホールの入り口の左の方に通用口があるから、そこから入って。君の名前を言っておくから、守衛さんに免許証を見せてね」
 そう言いながら、寺本はキッチンカウンターの上の財布と携帯電話を上着の内ポケットに入れた。それから車の鍵をつかんだ。
 玄関のクローゼットから黒いカシミアのロングコートを出し、左腕に掛けた。
「じゃ、後でね。いってきます」
 靴べらを使って黒い靴を履くと、首を伸ばして滝田に軽くキスをした。
「ハンカチ持った?」
「いつも持ち歩いてないよ」
「ティッシュは?」
 寺本が噴き出した。
「今朝全部使っちゃった」
 滝田も噴き出した。
「いってらっしゃい。運転、気を付けて」
「うん、ありがとう」
 滝田が玄関ドアを開けた。
「なんかボク、奥さんみたいだね」
 滝田は嬉しそうに言って、寺本の頭の上で両手のこぶしを火打ち石のように叩いた。寺本は一度振り向いて微笑むと、冷たい風の吹くドアの外へ出て行った。コートを車の後部座席に置いて運転席に座った。車の中から手を振って、緑のカムリは走り去った。

 地下鉄の駅の階段を上がって地上に出ると、厳かなカーネギーホールの建物が滝田の目に飛び込んで来た。
 鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの支援を受けて建てられ、1891年、チャイコフスキーの指揮で幕を開けたクラシックの殿堂。クラシックのみならず、ポップスからジャズまであらゆる分野の音楽にその場を提供している。
 滝田はニューヨークに来てからブロードウェイのミュージカルは何度か観に行ったが、コンサートホールに足を運ぶ機会はなかった。日本を出る前は、絶対に亮子と一緒に来ようと決めていたのだが。
 前任者の横山が連れて来てくれた時、せっかくだから観光気分で場内に入ってみようとチケットを買おうとしたが、その日のプログラムは日本の演歌歌手のリサイタルだった。狭いロビーでは滝田の母親世代の日本人女性たちがひしめき合い、二人は目をぱちくりさせ狐につままれた様な気分になったものだ。今朝の寺本の話を聞いて、今初めて納得が行った。その演歌歌手も、観客の女性たちも、世界最高級の音響設備を楽しんだはずだ。
 本番までにはまだ時間があるはずだが、今日演奏する子供たちの家族や知り合いだろうか、ホールの周辺には日本人があふれていた。
 左手の楽屋入口から中に入ると、大ホールではリハーサルが行われていた。寺本は「子供」と言ったが、舞台の上で演奏しているのは、子供とは言い難い学生たちだ。高校生にはなっていると思う。
 バイオリンを持った女の子たちが数人、関係者たちと話す寺本の方を見て何かささやき合っている。寺本が気付いてその子たちの方を見ると、彼女らはいっせいに「キャー」と言ってクスクス笑い出した。
 リハーサルが終わって昼の休憩に入ると、早速彼女らは寺本に話し掛けてきた。仕事は何をしているのか、どこに住んでいるのか、好きな食べ物は何かといった質問まで浴びせた。そんな子供たちの他愛のない質問にも寺本はきちんと返答している。彼は聞かれたことは何でも答えてしまう男だ。きっと、あそこに突っ立っている音楽とはおよそ縁のなさそうな大きな男は誰だと聞かれても、正直に「僕の恋人だ」と答えそうな気がした。
 そのうち学生の数名が寺本の高校の後輩だということが解り、話は更に盛り上がった。滝田であれば、鈴を転がしたような声で笑う女子高生相手に、鼻の下を伸ばしてしまうだろう。数少ない男子学生も徐々に仲間に加わり、学生たちはカメラを渡し合って寺本と記念撮影を始めた。滝田はというと、通りかかった作業服の大きな男に「この椅子をあそこへ運べ」と指示された。

「モテてたじゃない」
 楽屋に戻った寺本に滝田が声を掛けると、寺本は不思議そうに滝田を見た。
「…どうして肩からタオル掛けてるの?」
「ボクにもよく解んないんだけど」
「汗掻いてるし…」
「寺本さん、モテないとか言って、やっぱり女の子にモテるんじゃない」
「あのさ」
「ん?」
「君が前からよく言ってる『モテる、モテない』っていうの、どういう意味なの?」
「え? だから、周りに女の子が集まってくるとか、好きですって手紙もらうとか、バレンタインにチョコをもらうとか」
「ああ、そういうのがモテるっていうなら、モテてたかな」
「うわぁ、言ってくれるなあ」
「でも、好きでもない子からチョコもらっても仕方ないでしょ? そういうのはモテるとは言わないんじゃないかって思って」
「それは、まあそうだけど」
「君のこと、ずっと好きだったのに、全然気が付いてもらえなかった僕は、モテない部類だと思う」
「ちょ、ちょっと、声が大きいよ」
 滝田は慌てて周りを見回したが、学生たちは配られた和風の弁当を広げて食べるのに夢中で、関係者も照明や音声の再調整で忙しそうだ。
「お昼、外に食べに行こうよ。近くに僕が昔バイトしてたラーメン屋さんがあるんだ」
 寺本が親指を上げて言った。
 寺本を見たラーメン屋の主人は大喜びで、餃子を二皿サービスしてくれた。寺本は滝田を「恋人なんです」と紹介し、ねじり鉢巻をした主人は笑って滝田を歓迎してくれた。

 コンサートは大成功を収め、寺本は打ち上げ会の誘いを丁重に断って滝田の元へ戻って来た。
「楽しかったよ、コンサート。寺本さん、かっこよかった。うん、かっこよかった」
「それはよかった。あの子たち、なかなかだったと思うよ」
「クラシックのコンサートって、実は初めてだったんだ」
「高校の音楽の先生とは行かなかったの?」
 こうした言葉は滝田の心臓には強く突き刺さる。気にしない振りをして答えた。
「ううん、行かなかった」
「マサハルくん一家がいたね」
「うん、見えた。いい席に座ってたよね。彼のお父さんは商工会の理事かなんかしてるんだよ。他にも塾の子が沢山いてさ、めんどくさいから二階席から見てたよ」
「うん、舞台から見えた」
 今日は二階席以上を埋めるほどの観客が入ることは予想されなかったため、あらかじめ一階席しか開放しておらず、誰もいない二階席の最前列を独り占めしてコンサートを堪能することができた。
 寺本は興奮からまだ覚めない様子で言った。
「いいよね、オケって。みんなで弾くって楽しいよ。今から真剣に指揮の勉強して指揮者になろうかな」
「ピアノ、やめちゃうの?」
「やめる訳じゃないけど……ピアノも頭打ちでね」
「…え?」
「僕じゃ無理か。でも頑張れば、ユース・オケの指導くらいならできるかなぁ。駄目かなぁ」
 カーネギーホールを出ると、ニューヨークの冷たく乾いた空気が容赦なく二人に吹きつけた。寺本は身震いして空を見上げながら言った。
「そろそろ雪が降りそうだね。でもせっかくここまで来たんだから、デートしていこうよ」
 デートという言葉に滝田はときめく。
「まずはマフラーを買うのに付き合ってくれる?」
 そう言って寺本はコートの襟を立て、東の方向の五番街に向かった。
「…ねえ」
 滝田が辺りを見回しながら寺本の耳元で言った。
「ボクたち、どう見えるのかなあ」
「ゲイのカップルでしょ?」
「え、ホント?」
 滝田は驚いて立ち止まり、改めて周囲を見回した。寺本も止まった。特に二人を見ている通行人もいない。
「冗談だよ。手をつないでる訳じゃないし」
 下を向いた滝田に寺本が言う。
「見えたら……困るよね」
「あ、別に…困らないけど……」
 寺本がまた歩き出し、滝田も後を追った。
「でも君はゲイじゃないよ」
「え? そうなの?」
「だって男が好きな訳じゃないでしょ?」
「…………」
 なんと返答したらいいものか解らず、滝田は黙って聞いていた。
「女の子の方が好きだよね。男で好きなのは僕だけでしょ?」
「もちろんだよ、寺本さんだけだ」 
 そうだ。男が好きな訳ではない。寺本が好きなだけだ。
「かと言ってバイって訳じゃないしね。何なんだろうね。僕は勉強不足だからよく解んないや」
「勉強不足なの?」
「ボブと違って勉強不足で不真面目だ。ここに住んでるのにゲイ・パレードだって出たことないし」
「ボブはパレードに出るの?」
「もちろん。ボブなんてここぞとばかりに脱ぎまくるよ。あいつは人前で脱ぐのが大好きだから。冬でもほとんど裸だ」
 確かにそうだ。彼はカウントダウンの時もタンクトップにホットパンツだった。カウントダウンが終わるとそれも脱いでしまい、白いフンドシのような下着一枚で踊り出した。
「どうしてゲイの奴らって脱ぐんだろう。寒くないのかな。僕は寒がりだからゲイの資格がないのかもね」
 確かにボブは根っから陽気な男だ。彼の父親もあんな感じなのだろうか。親戚一同、裸で踊ってくれるとデビーが言っていた。職場でも友達の間でも家族に対しても、何はばかることなく生きているボブがうらやましい。
「ボブはタフだよ。片時もじっとしていられないんだ。多趣味だしね。ハーレーでツーリングとか、乗馬とか、クルーザーも持ってるし。女以外は何でも乗るって言ってる」
「どうしてスキンヘッドなの?」
「ロンドンのゲイ・プライドに行ったら、スキンヘッドが多くて、かっこよかったからだって。出国する時にはフサフサでサラサラだったのに、帰国した時はあの頭だった」
「でも彼、十分かっこいいじゃない。あの頭であれだけハンサムなんだもの。ハリウッド・スターみたいだ。モテるんでしょ?」
「うん、モテるよ。でも、もっとモテたいらしい。ボブは血統書つきのゲイだね。でも君はゲイじゃない」
 寺本は笑って両手をコートのポケットに入れた。
「君は……好きになった人がたまたま男だったってだけ、って感じかな?」
 その通りだ。男を求めて寺本に行き着いたわけではなく、寺本と知り合って、寺本を好きになったのだ。滝田が寺本を追うように歩きながら言った。
「でも、それをゲイっていうんじゃないの?」
「いや、ゲイって多分、最初から男が好きな男のことをいうんだと思う。まだ恋だの何だのなんて解らない頃から、ときめいてたのは男の子ばっかりだったとか」
「でも、男なら誰でもいいって訳じゃないでしょ?」
「…いや…うん…ま…あ…でも…そう…かな……ん?」
 寺本は首をひねりながら言葉を濁す。興奮した滝田が話し出した。
「誰だって、すべての異性を最初から恋愛対象としてマルかバツかって見方をしてる訳じゃないし、友達から始まる男女も多い。ボクたちだって友達から始めたんだ。それで、ボクは寺本さんが好きになった。友達のままでいられなかったってことは、ボクはやっぱりゲイなんだよ。ゲイじゃなかったら、たまたまだって、寺本さんを好きにはならなかったよ」
 滝田が大きな声で出したので、すれ違った老夫婦が少し驚いた風に振り向いた。何を言ってるのかは解るはずもないが、寺本に覆い被さるように話す滝田を見て、老夫婦は顔をしかめて去って行った。
 寺本は苦笑いを浮かべて「ボリューム、ダウン」と言った。
「日本語だもん、解りゃしないよ。それに考えてみたんだけど、同性を好きになる方が純粋だよ。だって、相手が異性だったら、たまたま友達に紹介されたとか、向こうから好きって言ってくれたとか、そんな理由で簡単に好きになっちゃうと思うんだ。でも、ボクの場合、寺本さんのこと、ただ一緒にいるだけで好きになっちゃったんだ。恋愛対象として見てなかったのに、男同士なのに、好きで好きでどうしようもなくなっちゃったんだ」
 はにかんだ様子の寺本が横目で滝田を見る。
 五番街に出ると、ブルガリ、ティファニーといった高級店が目に飛び込んできた。バレンタインの頃にオープンするというルイ・ビトンの建物も見える。五番街沿いにはこうした超一流の店が立ち並ぶ。滝田には全く縁のない通りだ。
 寺本は滝田の背中に手を当てて五番街を南の方向へ曲がった。
「そんな恐い顔で好き好きって言われても…」
「だって好きなんだもん。そりゃ、顔がいいとか、いい匂いだとか、そういうのもあったけど、でも、好きだって言う前に、ちゃんとどうして好きなのかじっくり考えられたってのは、男女間ではありえなかったと思う。同性でよかったって思う」
「嬉しいこと言ってくれるね」
 寺本は恥ずかしそうに笑って、立ち並ぶブティックの一つに入った。滝田もその後を着いておよそ自分とは不似合いな店内に足を踏み入れた。外で待っていようかとも思ったが、それも変だ。第一寒い。
「これなんかどうかな」
 陳列してあるマフラーのひとつを滝田の胸に当てて寺本が言った。
「え、寺本さんのじゃないの?」
「クリスマス・プレゼント、渡すって言ってまだだったでしょ? 遅くなってごめんね」
「そんなのいいよ」
 寺本は次々とマフラーを滝田の胸に当てた。
「僕だってお金持ちじゃないんだよ。懐(ふところ)があったかい時くらいかっこつけさせてよ。これかな」
 ベージュの地に薄く白いチェックが入ったマフラーを当ててそう言った。
「でも…」
「僕とお揃いで買おうよ。僕がそうしたいんだよ。ね、いいでしょ?」
 店員がハーイと声を掛けてきた。高級ブティックの店員らしくスタイルのいいモデルのような好青年だ。寺本が「マフラーを探している」と言うと、店員が「こちらの方の?」と聞いてきた。
「彼と僕でお揃いの物が欲しいから、二つ在庫があるものがいいんだ」
 ニューヨークならばこんなカップルは特に珍しくはないのか、店員は動じず「これなら二つある」といくつかのマフラーを並べた。その中から寺本は、先程のベージュの物を選んだ。
「すぐしたいから包装はしなくていいよ。値札を切ってくれる?」
 会計を済ませると、寺本は店員が値札を切ってくれたマフラーを滝田の首に巻いた。滝田は店員の視線が恥ずかしく、下を向いたままだった。寺本は自分も自分のマフラーを巻くと、店員に挨拶をして店を出た。滝田も後を追ってそそくさと店を出た。
「…あの、ありがとう、こんなに高いの」
「気に入ってくれた? 勝手に選んじゃったけど」
「すごく気に入ったよ。本当にありがとう。大事にするよ」
 滝田はマフラーを両手でなでながら言った。肌触りがいい。カシミアにシルクが織り込んであるという。どんよりとした低い曇り空の下、首から全身が温まるようだ。
「平凡だったけど、この色ならどんな服にも合うかなと思って」
「うん、すごく素敵だ。ボクも寺本さんに何か買ってあげるよ」
「それより新しい車を買うんでしょ?」
「ああ…その話は頭が痛い」
「僕がもっとお金持ちだったら、君に車のひとつも買ってあげられるんだけど。屋根に赤いリボン掛けて」
「やめてよ、愛人じゃないんだから」
 二人は顔を見合わせて笑った。

 その後、タイムズスクエアで半額のミュージカルのチケットを買ってから、吉野家で早めの夕食を取った。寺本は大好物だという大盛りの牛丼を自分の分と滝田の分と二人分注文したが、それでも足りないような気がすると言ってチキンサラダを追加注文した。滝田が「アメリカの狂牛病のせいで、間もなく日本国内の吉野家から牛丼が消えるらしい」と話すと、寺本は驚いて「アメリカに住んでいてよかった」と笑った。アメリカ国内で牛肉を控えている人など、まず見ない。
 ミュージカルが終わって地下鉄に乗り込んだ時には、もう真夜中近くになっていた。地下鉄を降りて、乗り換え駅のグランド・セントラル駅の広いメイン・コンコースへ走って入ると、寺本が先程のブロードウェイのダンサーのようにタップを踏み始めた。黒いコートの前がはだけて中からタキシードとシルクのシャツが覗き、さながら本物のダンサーが家路に向かう途中、酔っ払って衣装を着けたまま踊っている、といった体だった。星空のような高いドームの天井に、高らかなタップの音が響くようだ。酒は一滴も入っていないのに、寺本は異様なほど陽気だった。
 二人はどちらからともなく手をつないで北へ向かう電車に飛び乗り、指を絡ませたまま並んで座席に腰を下ろした。こんな時間なのに、車内は意外にも混んでいた。二人の向かいの席のトレンチコートの男は、膝の上に置いたパソコンのキーボードを一心不乱に叩いている。
 窓側の寺本は外を見ながら大きく息を吐いて、膝の上のつないだ手に力を込めながらつぶやいた。
「幸せだなあ」
「…加山雄三?」
「君がいて、僕がいる」
「チャーリー浜だ」
「これでいいのだ」
「寺本さんが壊れた」
「君が壊したんだ。ああ、幸せだ。今まで生きてきて、一番幸せだ」
 寺本は少し照れたように、窓の外を見たまま下を向いた。
「ボクもだよ。首も心もあったかだよ」
 寺本に買ってもらったマフラーに片手を当てて滝田が言った。
「でも、君が僕を好きよりも、僕はもっと君が好きだ」
「そんなような歌も確かあったよね。何だっけ? でも多分、それよりもっともっとボクの方が、寺本さんのこと、好きだよ」
「それじゃ僕は、それよりも、もっともっともっと好きだ」
 どうせ周りに通じることのない日本語で、二人は声を潜めることもなく、気恥ずかしい言い合いを続けた。
 電車が揺れる。二人の体も左右に揺れる。二人はしばらくお互いにぶつかりながら、なすがままに揺られた。
 各駅で数人の乗客が下車し、車内には空席が目立つようになってきた。
 すると、急に後ろからパタパタという速い足音が聞こえた。振り向くと、若い白人の女性が滝田の横の通路を笑いながら走って通り過ぎた。風と共に甘い香水の香りがした。その後を追って若い白人の男が走って来た。滝田の斜め前のドアで追い着き、男は羽交い絞めに女性を抱き締めた。女性が笑いながら小さな叫び声を上げると、数人の乗客が顔を上げて二人を見た。男が人差し指を女性の唇に当てると、二人は顔を見合わせクスクスと笑い出した。乗客も二人から視線を外した。
 しばらく大人しくしていた二人だったが、やがて女性が首を伸ばして、男の頬に小さなキスをした。すると男は、お返しに女性の唇に小さなキスをした。それから二人は抱き合って、お互いの背中をさすりながら長いキスを始めた。ここではよく目にする光景だ。気にする乗客もいない。
 そこまで来て、滝田はついぼんやりと二人に視線を奪われていたことに気付く。ふと隣の寺本を見ると、彼の視線もまた、そのカップルに注がれていた。滝田の視線に気付くとハッとしたように目を逸らし、再び窓の外を見つめた。
 滝田が寺本の耳元で言った。
「…ボク達も、キスしようか」
 外を見ていた寺本がこちらを向いた。
「今? ここで?」
「うん」
 二人が周りを見渡すと、他の乗客はみな本や雑誌を読むなり夜の景色を見るなり思い思いに時間を過ごしている。トレンチコートの男のキーボードを叩く音のスピードが更に速くなったような気がする。通路を挟んだ斜め前の席には、もう真夜中を過ぎているというのに二人の幼い子供を連れた太った黒人の女性が座っている。女性は寺本の膝の上でつないだ二人の手に気付き、鼻を膨らませて二人を睨み付けた。
「駄目だよ。みんなが見るよ」
 そう言うと寺本は素早く首を伸ばし、滝田の唇にコンマ一秒のキスをした。黒人女性が息を飲む。トレンチの男は何も気付いていない。そして寺本は何事もなかったように窓の外に視線を戻した。
 細かい雪がひらひらと舞い降りてきた。
「……びっくりした」
「君が言い出したんでしょ?」
 次の駅に停車するアナウンスが流れた。ドアが開くと車内に冷たい空気と雪の粒が吹き込み、キスをしていたカップルは抱き合ったまま降りて行った。寺本が少し身震いして滝田にささやいた。
「次だね」
 ドアが閉まると、電車はまた滑るように走り始めた。滝田は肩をすくめる寺本の体を抱き寄せ、黒いコートの背中を擦り始めた。
「本当に寒がりだね、寺本さんは」
 そう言って、寺本の唇に自分の唇を重ねた。
 寺本も滝田の背中を抱き、更に強く唇を押し付けた。
 滝田の手は寺本の背中からに後頭部に移り、その柔らかな髪を乱した。
 カタカタというキーボードの音が止まり、黒人女性は両側の小さな子供たちの目を手で覆った。二人は唇を合わせたまま、肩を奮わせ息を殺して笑った。
 車内のアナウンスは二人の降りる駅名を告げていた。

 駅を出ると雪は止んでいた。駅前の駐車場に停めてあった二台の車に乗り込み、二人がほぼ同時に寺本の家に着くと、芝生の上にはうっすらと雪が積もっていた。
 寺本が鍵穴に鍵を差し込むと家の中から電話のベルの音が聞こえてきたが、寺本は慌てず、ゆっくりと鍵を回して中に入った。留守電のメッセージが流れる。
『発信音の後にメッセージをどうぞ。ファックスの方は送信して下さい』
 発信音を待たずに不機嫌な声が流れた。
『もしもし、悟?』
 寺本は何も聞こえていないかように、黙ってコートを脱ぎ玄関のクローゼットに閉まった。それから滝田とお揃いのマフラーを外して別のハンガーに掛けた。
『あなたねぇ、昼間も出ないし、夜も出ないし、いったいいつ掛ければつながるのよ。寝てるの? 寝てるなら起きてよ』
 その後数秒黙ったかと思うと、ゴクンと唾を飲み込む音が聞こえた。声が低くなる。
『ショウコさん、年末に子供達連れて里帰りしたまま、まだ戻らないの。子供達の学校、どうするつもりなのかしら。別にいいんだけど、謙太郎が可哀想でね。一度電話してあげなさいよ。あなたたち、昔は仲良かったでしょ?』
 寺本はタキシードの上着を脱いでソファの背もたれに掛けた。蝶ネクタイを外し、素肌の上に着たシルクのシャツも脱いで、無造作にソファの上に投げた。滝田はまだ靴を履いたまま玄関に立っていた。
『私、一度あちらの家に行ってみようかと思ってるの。やめた方がいいかしら。絶対に電話ちょうだいね。それじゃ』
 寺本は、先程のおどけた様子とは一変して険しい表情になっていた。
「…寺本さん?」
 寺本は寝室に入って電話に近付き、赤く点滅するボタンを押した。
『新しいメッセー…』
 それを聞き終わる前に別のボタンを力強く押した。
『メッセージを消去しました』
「シャワー浴びてくる」
 残った服もすべて脱ぎ捨て、足早にバスルームへ入って行った。
 滝田もジャケットを脱いで、玄関のクローゼットの中のハンガーに掛けた。ベージュのマフラーも外し、寺本のマフラーの隣のハンガーに掛けた。それから寝室で服を脱ぎバスルームに入った。
「ボクも入るよ」
 手をだらりと下に伸ばしてうなだれ、頭からシャワーを被る寺本の後ろ姿が、何だか小さく見えた。
「マフラー、ボクも玄関のクローゼットのハンガーに掛けたんだ」
 滝田もシャワールームに入ると、寺本はゆっくりとうなだれたまま首だけ振り向いた。顎から湯がしたたり落ちている。
「寺本さんのはどっちだか解んなくなっちゃったよ」
 滝田が寺本の顔を覗き込むと、寺本は力なくうなずいた。
「いいと思わない? なんとなく取替えっこ。いつもそうしようよ」
 寺本はもう一度うなずいて小さく笑った。
「ねえ、隆二くん」
 滝田と向かい合って、寺本は滝田の首に両手を伸ばす。
「ん?」
「目を閉じて」
 言われたとおりに目を閉じる。
「知ってる? こうしてキスするとすごいんだよ」
 寺本は大きな手で滝田の両耳をすっぽりと包み、滝田の口に舌を入れてきた。
 何も見えず、何も聞こえない。聞こえるのは自分の頭の中の音だけだ。滝田の歯茎を寺本の舌がなでる音、二人の舌が絡み合う音、お互いの唾液をすする音、いつもより激しい脈、いつもより荒い息遣い。それらすべてが頭の中で三倍にも四倍にも大きくなって響く。滝田が声をあげるとその声も大きく響く。後頭部に叩き付けるシャワーは嵐のようだ。ハリケーンの中でキスしているみたいで、今にも倒れてしまいそうになる。触れ合う股間の興奮が高まった。
「もう…出よう、はやく、ベッドに行こうよ…」
 そうささやいた滝田の声も、頭の中で数倍大きくなって響いた。


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