射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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赤いマスタング 2-6 【危険】

 土曜日、夕方授業が終わると、滝田は車でバーへ向かった。 寺本ではなくデビーと会うためだ。その日寺本は仕事で、家に戻るのは夜九時過ぎになると言っていた。
「君とサトルは本当に仲良しだったんだね」
 バーのカウンターで滝田はペリエを、デビーはウイスキーの水割りを注文した。
「そうよ。昼も夜も一緒だった」
 昼も夜もというのは聞き捨てならぬ言葉だ。
「周りは私たちのこと、恋人同士だって思ってたわ。ついてた教授も同じだったし、放課後も一緒にバイトしたり、宿題を仕上げるのに徹夜したり。彼、最初の頃はまだ英語がつたなかったから、私のことすごく頼りにして、困ったことがあると、デビー、デビーって、まるでママを探す子供みたいに私の名前を呼んだの」
「サトルも、デビーがいなかったら大学は続かなかった、って言ってたよ」
「あら、それは嬉しいわね。学生の頃はうちに泊まっていくことも多かったのよ」
「それなのに何にもなかったんだ」
「そう思うところが、あなた、まだあっちの人間になり切ってないわね」
 滝田はハッとして、思わず苦笑いをした。
「…サトルには、そんなこと言わないでね」
「解ってるわよ」
「好きな男はサトルだけだ。それだけじゃ、あっちの人間にはなれないのかな」
 無意識に「あっち」と言っていた。デビーは滝田のぺリエの瓶に自分のグラスをコツンとぶつけた。
「解んないわ、私、こっちの人間だから」
「そうだね。ボクもちょっと前まではそうだった」
 そう、ほんの半年前までは。
「ボクは今、どっちの人間なんだろう」
 君はゲイじゃないよ。寺本はそう言った。
「国境(ボーダー)を彷徨ってる、って感じ?」
「境界線(ボーダー)か。ボクはいつもボーダーラインを彷徨ってるんだな」
「何よ、それ」
「いや、日本には偏差値っていうのがあってね」
「ヘンサチ?」
「…ううん、何でもない」
「でも、元々はっきりしたボーダーなんてないらしいわよ。その辺りはモヤモヤっとしてるって」
「サトルは持って生まれた物だって言ってた」
「あ、ボブもそう言ってたわ。まだお母さんと一緒に住んでる頃、お母さんから『プレイボーイ』とか『ペントハウス』とか、沢山与えられててね」
「うわっ、ゲイ化防止対策?」
「そういうこと。でもね、小学生のボブ、たまに出てくる相手役の男の裸ばっかり見てたって」
「逆効果ってヤツだね。で、ついにカミングアウトか」
「中学の時にね。そして勘当。お父さんの所に転がり込んで、お父さんは大歓迎」
「よかった…って言うべきなのかな」
「はい、乾杯」
 デビーが掲げたグラスに滝田はペリエの瓶をコツンとぶつけた。
「でもボブのお父さんは、一応子供は作れたってことだよね」
「今から三十年以上も昔だものね。そうせざるを得なかったのか、はたまたバイだったのか」
 二人は顔を見合わせて噴き出した。
「サトルがゲイだって知る前はね、彼が私に何もしないのは、私が美人じゃないからだって思ってたの」
「え?」
 デビーは確かにいわゆる美人ではないかもしれない。しかし目鼻立ちがはっきりしており、膨らんだ頬もそれなりに愛らしいと滝田は思う。それを英語で何と表現したらいいものか考えていると、デビーがまたつぶやいた。
「私の名前、デボラ・カー。笑っちゃうでしょ?」
 デボラ・カーはハリウッド映画の黄金時代を象徴するイギリス出身の美人女優である。
「両親の遊び心だったんでしょうけど、名前負けにも程があるわ。まったく、大人しく聖書の中の名前でも付けときゃいいのに。妹二人はメアリーとナオミなのよ」
「そんなことないよ。君はとてもチャーミングだよ」
 少々タイミングは外したが、声に出して言うことができた。日本語ではこんな気障なことはとても言えないが、英語だと素直に気持ちを言葉にすることができる。口にしても照れ臭くないということは、英語がまだ自分の言語になっていない証拠だろう。
 そう言われたデビーは、少しはにかみながら「ありがと」と言った。
「それと、何かの本でね、アジアの男性は結婚するまで女性の貞操を守るって話を読んで、それが理由かもしれないって思ったこともあるわ」
「いやぁ、他のアジアの国は知らないけど、今の日本じゃそんなことはないんじゃないかな」
 少なくとも滝田の周りにはそんな男はいなかった。
「あら、そうなの。私、彼が私を気遣って我慢してるんじゃないかって。馬鹿よね。馬鹿だわ。それでね、ある晩、こっちからサトルのベッドに潜り込んでやったの」
「うわっ、勇気あるねえ」
「そしたら、女の人に友達以上の感情は持てないって。ショックだったわ。別に隠してた訳じゃないって。ゲイバーに出入りしてるの、私は知ってると思ってたって。知ってるどころか、夢にも思わなかったわ。だって彼、来たばっかりの頃は授業についていくだけで精一杯って感じで、ホントによく勉強してたのよ。だから遊ぶ暇なんてないと思ってたのに、やることはしっかりやってたのよね。サトルもボブも、疲れれば疲れるほどやりたくなっちゃうんですって」
 デビーの向こう隣の客がにやにやしながら滝田たちを見ている。口髭を生やした若い白人男性二人だ。滝田は焦ってデビーの耳元にささやいた。
「デビー…声が大きいよ…」
「ぜーんぜん気が付かなかったわ。ホント、私って馬鹿」
「自分のこと、馬鹿馬鹿言っちゃ駄目だよ」
「だって馬鹿よ。それなのに諦められなくて。私たち、途中でしばらくインディアナの大学に行ってたのよ。彼がアプライしたから私もしたの。向こうで私たち一緒に住んでたのよ」
「一緒に住んでたの?」
「そうよ。あと二人一緒だったわ。四人で一軒家を共有してたの。彼の部屋、よく男の人が来てた。インディアナからニューヨークまで追いかけてきた男もいたのよ。ね、チャック」
 チャックと呼ばれたバーテンダーがこちらを向いた。肌は浅黒く、口髭を生やした小柄なラテンの男だ。
「そう、あの時は大変だった。そこのフロアでヒールと取っ組み合いの喧嘩になって。彼が大人しくインディアナに帰ったのは、デビーの説得のお蔭だったよね」
「その問題児サトルが夢中になっちゃったのが、この子、フィガロよ」
 チャックに向かってデビーが言った。
「まったく、いつ紹介してくれるのかと思えば。ずっと待ってたんだよ」
「あら、ごめんなさい」
「リュージです。よろしく、チャック」
 滝田はカウンターから右手を伸ばしてチャックと握手した。
「よろしく、ルージ。話は聞いてるよ。今日はサトルと一緒じゃないのかい?」
「今日はね、サトルの目を盗んで私が連れ出しちゃったの。これ、もう一杯ちょうだい」
「あんまりいじめるなよ。サトルに言いつけるよ」
 そう言うとチャックは手早く水割りを作り、デビーの前に置いた。
「私たちがインディアナから戻って、ボブ、もう一回頑張ったんだけど、また振られたの。で、何故かヒール」
「あ…ヒール、ここによく来るんだよね」
 滝田は慌てて店内を見回しながらチャックに聞いた。できれば会いたくない男だ。
「いや、今年になってから全然見ないね。クリストファー・ストリート辺りに行ってるんじゃないの?」
「そうね。あっちの方が確実に相手が見つかるものね、日替わりで」
 デビーが肩をすくめて言った。
「…どこ?」
「ゲイの溜まり場よ」
「あ、そう言えばヒールの奴、ルージに謝らなくちゃって言ってたけど…」
 チャックにそう言われて、滝田の顔に思わず焦りが出る。
「驚かせちゃったって」
「あなた、何かされたの?」
 されていない、何もされていない。あの男子トイレでの光景が脳裏をよぎる。断じて、何もされてない。
「…サトルの元恋人って聞いて…ちょっと驚いちゃったから…その事じゃないかな……」
 ごまかすように作り笑いをした。
「ヒールってね、見た目ほど悪い人じゃないのよ。サトルの事となると、まあ、ちょっと常軌を逸するところはあったけど。ね、チャック」
「まあね。彼、ああ見えても案外真面目で一途なんだ。サトルと付き合ってる時はサトル一筋だったし」
「…一筋?」
 滝田がチャックの顔を見て首をひねった。
「この世界、なかなか『一筋』ってのが難しくてね」
 チャックが首を振りながら言った。
「………この世界」
「そう、私から見て、あの世界」
 デビーが頬杖をついて言った。
「チャックもそっちなの?」
「そっちってどっち? 君にとってはこっちなの? あっちなの?」
「いじめてるのはチャックじゃない」
 デビーがたしなめるように言った。
「あ、そうだね。ごめんね、ルージ。ぼくはデビーから見てあっちだよ」
 そう言ってチャックは片目をつぶった。
 ここは普通のバー。寺本はそう言っていたのに。
「で、ヒールと別れて、その後すかさずボブがまた頑張ったんだけど、また剣もほろろ。どうしてボブじゃ駄目なのかしら。あの二人、節操のない馬鹿同士で結構お似合いだと思うんだけど…」
 それからハッとして滝田を見る。
「あ」
 滝田は寂しく笑った。
「ごめんなさい、私…」
「いいよ、別に」
 デビーのこんな無邪気な発言に怒る気にはなれない。
《バイオリン弾きとは寝ないんだ》
 少し不機嫌になった滝田がふて腐れてつぶやく。
「昔の恋人にでも似てるんじゃないの?」
「あら、そうなの?」
「…知らないけど」
「まあ、ヤキモチ? 小鳩ちゃんを妬かせるなんて、サトルも罪ね」
 滝田は何も答えず、残りのペリエを飲み干した。
「サトルって無神経だものね」
「そうだね」
「あら、あなた、随分と鍛えられたわね」
 拍子抜けしたデビーは上を向いて笑った。チャックも笑いながら、滝田の前に新しいペリエを置いた。
「…サトルといるとさ、感覚が麻痺しちゃうんだよね。何が無神経で、何が無神経じゃないのか、何が非常識で、何が非常識じゃないのか、どういうのが過激で、どういうのが過激じゃないのか、あああっさり何でも言われちゃうと、解んなくなっちゃうんだ」
「解る、解るわ。ボブもそういうとこ、あるし」
 音楽家は音楽家同士、ゲイはゲイ同士。自分なんかより、ボブの方が寺本にはずっと相応しいのではないだろうか。そんな事を考えてしまうこと自体、自分は寺本には相応しくないのだろうか。
「ボブは、力づくで…ってことはしない奴なの?」
「あら、知らないの? サトルって案外強いのよ」
「そうなの?」
「ボブ、サトルと一緒に旅行に行った時、夜中に襲い掛かったら4の字固め掛けられたんですって」
「………………………………」

 デビーに程よく酔いが回ってきたようだ。膨らんだ頬がピンクに輝いている。
「インディアナって、冬ここより寒いから、サトル、今度行くなら南がいいって言ってたのに、結局またニューヨークに戻って来たの。私しつこいから、また彼と同じ大学に来ちゃった。でも彼、喜んでくれて。どう見ても恋人同士よね。チャックも最初そう思ってたでしょ?」
「いや、見る人が見ればひと目で解るよ、サトルのことは」
「あ、ボブもそう言ってた。私、全然解らなかったわ」
 滝田にも解らなかった。全く気付かなかった。
 下を向いて少し生温かくなったペリエの瓶を両手で握り締めた。それを見たチャックが滝田に言った。
「ルージ、落ち込まないでね。見る人が見ればって事だから。ペリエ、冷たいのと取り替える?」
 そう言われて余計落ち込む。心を見透かされたようで恥ずかしくなり、極力平静を装って小さくうなずいた。デビーは「今度は氷だけにしてね」と更にもう一杯ウィスキーを注文した。
「…ねえ、デビー」
「なあに?」
「ボクがこんなこと聞いたって、サトルに言わないでね」
「解ったわ。何?」
「サトルとヒール、どうして別れちゃったの?」
「ああ、そのことね」
「サトルは、ヒールに振られたって言ってたけど」
「あら、あの人、そんな風に思ってるのね。まあ、ある意味、そうねえ、連絡を絶ったって意味では、うーん、そうとも言えるけど…。サトルが他の男と寝ちゃったからよ」
「………………………………」
「ヒール、しばらく強がって知らん振りしてたんだけど、ある日ね、サトルが突っ込まれてる現場に出くわしちゃって」
 チャックが蒼ざめた顔の滝田の前に冷たいペリエの瓶を置いた。
「ヒールって見た目があれでしょ? 相手の男、固まってたって。で、その時サトル、ヒールに向かって何て言ったと思う?」
 デビーは目を細めて言った。
「Come on, join us」
 今確かにデビーはそう言った。
『君もおいでよ』
「ま、そう言われてホントに参加しちゃう奴らもいるらしいけど、ヒールって、ほら、サトル一筋だったから、許せなかったのね。即座に退散して、そのまま」
 滝田は更に血の気が引いていく自分を感じた。
「……………………あら、やだ、また、私……」
 デビーが急に早口になる。
「あ、あなたは大丈夫よ、愛されてるもの、サトル、本当に好きな人ができたら浮気しないと思うの、ヒールや他の人のことも、確かに嫌いではなかったと思うんだけど、でも、でもね、サトルのあなたへの思いは特別だわ」
「…………」
「もう、やだわ、私、ごめんなさいね」
 チャックがデビーの前にウイスキーを置きながら言った。
「サトルのこと、無神経だなんて言えた義理じゃないね」
「ホント、もう、馬鹿ね、私って」
「ちなみにボブのこと、下品だとか言えた義理もないからね、君」
「あら、私って下品かしら」
「ええ、お下品よ」
 隣の髭の男が口を挟んだ。
「…で、退散した後、君とこのカウンターに座ってたのは、ボクじゃなくてヒールだったって訳だ」
 滝田が開き直ったように言うと、デビーは肩をすくめてグラスを見つめた。チャックがグラスを拭きながら首を傾げて言った。
「サトルと別れた奴って、どうしていつもデビーを呼び出すんだろうね」
「ホント、いい迷惑だわ。呼び出されて来ちゃう私も私だけど。愚痴りやすいタイプなのかしら」
「デビーに何話しても無駄なのにね」
「何よ、それ、チャックって失礼ね」
「だって君、全然慰めてくれないじゃない」
「………え?」
「傷心でさ、みんな慰めて欲しくて呼び出してるんだろうに、君、話聞くばっかりで全然慰めてくれないんだもん。ぼくが前のボーイフレンドと別れた時も、君、『ふうん』しか言わないし」
「…慰めて欲しかったの?」
「当たり前だよ」
「みんな、慰めて欲しいわけ?」
「もしくは仲を取り持って欲しい、とかね」
「甘ったれてんじゃないわよ。っていうか、客の悩みを聞くのがバーテンダーでしょ? 客に慰めてもらってどうするのよ」
「あ…ごめん」
「でも結局よかったじゃない、お蔭でヘア・スタイリストのボーイフレンドと巡り会えて」
「…そうだけどさ」
「彼、元気?」
「元気だよ。今度自分の店を出すんだ」
「あら、おめでとう。すごいじゃない」
 チャックは嬉しそうに微笑んだ。
「あなたもよく泣いてたものね、前のボーイフレンドの浮気で」
 チャックはうなずいた後、下を向いたまま黙って聞いている滝田に言った。
「さっきも言ったけどね、ルージ、一筋ってのが難しい世界なんだよ。誘惑も多いし。特にサトルなんて周りがほっとかないだろ? まったく、ぼくみたいに真面目な奴には迷惑な話だ。ゲイってのは節操がないからって、一緒にされてさ」
「そうね。あなた真面目ね」
 もう一度嬉しそうに微笑むと、チャックは滝田に向かって言った。
「君は大丈夫だよ、ルージ。君は今までサトルが付き合ってきた連中とは全然違うから」
 全然違う。だから良いのか悪いのか。
 寺本はこのバーは普通のバーだと言った。しかしここには「あっち」の人間があふれている。
 デビーの隣の男が連れの男と長いキスを始めた。
《ヒゲとヒゲがチューしたら、そりゃヤバイでしょ》
《キモチワルーイ》
 キスを終えた二人は席を立った。チャックに挨拶した後、デビーと滝田にも声を掛け、肩を抱き合って寄り添うように店の出口へと歩いて行った。
 滝田はそれを見つめながら、自分と同類なのはデビーだけのような気がした。寺本に片思いしている、デビーだけのような気がした。腕時計に目をやる。
「…もう行っちゃうの?」
 デビーが甘い声を出した。
「ううん、まだ大丈夫だよ、あと…少し」
「今度はいつ会えるの? いつでも電話して。会える時は極力会いたいわ」
 デビーが滝田の肩に頭を載せて言った。
「ボクは君といて楽しいけど、君はボクなんかと会うよりボーイフレンドを作らなきゃ」
「あなたと会うことで、少しでもサトルとつながっていたいのよ」
 すると突然、デビーが滝田の頬にキスをした。
「うわっ」
 滝田は驚いてぺリエの瓶を倒してしまい、カウンターテーブルに流れた炭酸水が、滝田の膝を濡らした。
 チャックが差し出したタオルで、滝田の膝を拭きながらデビーが言った。
「気を悪くしないでね。もちろんそれだけじゃないわ。あなた、とってもいい子よ」
 いい子。ナイス・ガイではなく、グッド・ボーイとデビーは言った。滝田は一応三十を過ぎている。
「私たち、いつもいつも一緒だったの。サトルが誰と付き合ってる時でも、やんちゃしてる時でも、いつも一緒にいたのは私、困った時面倒見るのは私。それが今回は違うの。私って自虐的だわ。あなたを見てると嫉妬で気が狂いそうよ。でも、会いたいの。もう一回ほっぺにキスしていい?」
「え…ごめん、ちょっと意味が解んないんだけど…」
 頬にキスすることはアメリカでは大したことではない。親しい友人の間では普通に行われることだ。寺本もいつもデビーとは頬を擦り合わせてキスしている。デビーとボブもする。寺本とボブもする。
「いいじゃない。このほっぺ、彼にいつもキスしてもらってるんでしょ? すべすべよ。本当は唇にしたいところだけど、それは嫌でしょうから」
「君だって、いつもほっぺにはしてもらってるじゃないか」
 パニックだ。これ以上動いたら椅子から落ちそうだ。しかしそれでもデビーは身を乗り出し、滝田のもう片方の頬に濃厚なキスをした。真っ赤な口紅がべったりとつく感触が頬を襲った。
「私のしてもらうキスとは訳が違うわ。解ったわよ、もうやめるから、ちゃんと座ってよ」
 綿シャツの襟を正して滝田は椅子に座り直す。頬の口紅を拭きたかったが、そうしたらデビーは気を悪くするだろう。
「チャック、お代わりちょうだい。また氷だけね」
「大丈夫? 君、かなり酔ってるよ」
「酔ってないわよ。はやくちょうだいよ」
 やや怒った口調のデビーにチャックは逆らえず、彼はまた新しいグラスを取り出した。何杯目のウイスキーなのか、滝田は憶えていない。
「あなたがうんと嫌な子だったら、思いっ切りとっちめてやるのに。悔しいけど、あなたホントにいい子だわ。ま、だからサトルも好きになったんでしょうけど」
「…ごめん」
 滝田は何故か謝ってしまった。
「それとね、うふ、言っちゃっていいのかしら。彼ね、あなたに会ってから、健康のこと、気にするようになったのよ」
「健康?」
 デビーは悪戯っぽく笑った。
「彼ら特有の病気ってあるでしょ? もっとも今は彼ら特有でもなくなったけど」
 滝田は顔が赤くなるのを感じた。そのことはすっかり忘れていた。そこまで頭が回らなかった。
「永住権を取るのに検査受けた時には平然としてたのに…」
「受けたの?」
「HIV保持者には基本的にグリーンカードくれないんですって。サトル、その時には、くれなきゃくれないでいいや、なんて言ってたのよ。それが、あなたに片思いしてる頃にね、自分から病院に検査に行ったりして。その時は柄にもなくビクビクしちゃって」
 デビーが滝田の顔を見てにやついた。それから言った。
「安心して。彼はシロよ」
 滝田の顔が更に赤くなった。
「まったく、あれだけ好き放題して、余程悪運が強いのね」
 デビーはオン・ザ・ロックのウィスキーを一気に飲んだ。
「彼ね、どこか捨て鉢なところがあって。やんちゃだった頃のことは聞いてるでしょ?」
 付き合っていた男の話は数限りなく聞いている。
「それは、付き合い始める前から嫌ってほど聞いてるよ」
「じゃ、それを承知で付き合い始めたのね」
「承知っていうか、今までは今までだ。ボクで落ち着いてくれれば、それでいいと思ってる」
 強がっている訳ではない。本心だ。
「売れっ子コールガールを身請けしたご隠居みたいな言い方ね」
「怒るよ、デビー」
「そのコールガールにね、あんな無茶してて、病気が恐くないのかって説教してやったことがあったの。ゴムは嫌い、なんて言うのよ。『匂いが嫌だ、クサイと思わないか?』ですって。悪かったわね、もう何年も嗅いでないわよ」
 話がやけにリアルになってきて、滝田は両肘を付いて目尻を押さえ目を閉じた。
 この女性は…全く…。
 滝田も日本では使っていたが、あくまでも目的は避妊だった。病気を気にするほど相手がいた訳ではなかったし、そういう病気は風俗で伝染されるものだと、根拠もなく思い込んでいた。ましてや男同士で使うなんて、今の今まで知らなかった。あの匂いもすっかり忘れている。
「ボブはちゃんといつも持ってる。いつ何があるか解らないもの。あなたも持ち歩いた方がいいわね」
「え?」
 滝田が大きな声を出す。
「あなたくらい大きくたって、ここにはヒール・サイズのベアが山ほどいるのよ。暗闇と背後には気を付けることね」
 返す言葉が無い。
「ボブもトイレとかでよくやられちゃってるけど、命を取られなければそれでいい、病気をもらわなければそれでいいって、よく言ってる。とにかく逆らわないことよ、野獣には」
 デビーの言っていることがどんどん解らなくなってきた。チャックに助けを求めようと思ったが、彼は別の客と話をしている。
「……トイレに行く時は…………サトルが着いて来てくれるって…」
「猫を追い払うのにマタタビ(silvervine)持ってってどうするのよ」
「シルバー…何?」
「何でもないわ」
「ねえ、全部、冗談だよね?」
 デビーはふて腐れたように滝田を見た。
「冗談よ」
 滝田はもう一度目尻を押さえた。
「サトルってばね、そうなったらそうなった時だって。もちろん、いざ死ぬとなったら悲しいだろうけどって。死んだらピアノが弾けないねって。ね? チャック」
 チャックがこちらを向いた。
「そう、それを聞いたデビーは泣いちゃってね。サトルが死んだら私も死ぬって」
「私はね、もういいトシだけど、まだ諦めてないわ。いい男捕まえて結婚して子供を産むつもり。だから健康には気を付けてる。ビタミン剤も葉酸も飲んでるわ。でも彼は、具体的に将来が見えてからでないと気を付けられないのよね。あなたよ」
 将来。自分たちの将来なんて考えたこともなかった。結婚して子供が生まれてその子供が成長して。そんな将来は自分たちにはあり得ない。
 ならば二人の将来とはいったい何なのだろう。
「私、産むわよ、子供。子供産んで有名なピアニストにするの。小さい時から英才教育、いいえ、おなかにいるときからばっちり胎教するの。私なんてミズーリの田舎で育ってここまで来たのよ。私の子、小さい時からここで育てたら相当なものになると思わない?」
 それからグラスに残った氷の解け水を飲んだ。それから大きく息を吐き、おどけた顔で言った。
「なあんてね。私の女友達はね、みーんな私と同じこと言ってるの。人生そんなにうまくいくもんじゃないわよね」
 それから熱っぽい目で滝田を見つめた。焦点が合っていない。
「…サトルの子が欲しいわ」
 グラスの中の氷がパリンと音を立てて割れた。
「結婚してくれなくていいの、子供だけくれれば」
 デビーと寺本が愛し合えば子供が生まれる。しかし寺本と滝田が愛し合っても何も生まれない。二人の愛は非生産的な愛なのだ。
「男の子だったら、サトルって名前付けて、私一人で育てるわ」
「デビー……」
「女の子だったら、サトルに似たら美人になるけど、私に似たらどうしよう」
 一瞬本当に困った顔をした。
「あなたに頼んで、サトルの精子持ってきてもらおうかしら」
 滝田が立ち上がる。
 チャックがグラスを拭きながらやや荒げた声を出した。
「だからいじめちゃ駄目だって言ってるだろ? 本気にしてるよ、この子」
「やだ、本気にしてるの? 本当に可愛いわね、リュージは。座んなさいよ」
 デビーは小さな体を大きく揺らして高笑いした。可笑しくてたまらないといった風だ。しかしその目は笑っていない。
 滝田は静かに椅子に座り、隣のデビーを見つめた。
 デビーなら、今の医学をもってすれば、愛し合わなくとも寺本の子供を宿せる。寺本に知られることなく産む事も可能だ。どんなに愛し合っても、滝田には彼の子供は産めない。
「あなた、学校の先生よね」
「学校じゃなくて、ジュクっていう、まあ、補習校…みたいなものかな」
「学校の勉強に着いて行けない子が行くのね」
「…ちょっと違うんだけどね…」
「子供、好きなのね」
「そうだね。可愛いからね」
「サトルも、子供大好きよ」
 滝田の知らなかったことだ。
「ボブも。彼の場合、ちょっと違う意味の場合もあるけど」
 二人は顔を見合わせ、軽く笑った。
「あの二人、自分たちが次の世代に子供を残せないからって、子供が絡む慈善活動には積極的に参加するわ」
 デビーはそう言ってからチャックにウォッカを注文した。チャックは「了解」と言いながら、その注文に応える様子はない。
「残してあげるのに……」
 腕時計を見ると九時を回っていた。デビーは滝田を横目で見て、それからカウンターに突っ伏して顔をうずめた。
「王子様のお帰りの時間ね。それじゃ、サヨナーラ、アディオース、ザイツェーン」
 カウンターに顔をうずめたまま、デビーは右手だけ高く上げバイバイをした。
「家まで送って行くよ。ほら、オンブするから」
 彼女は滝田を見ずに首を振った。
「ねえ、お願い、つかまって」
 デビーは動かない。
「チャック。彼女の車、今夜ここに置いて行くから」
「帰っていいよ、ルージ。サトルが待ってるんだろ?」
 チャックに促され、滝田はもう一度腕時計を見た。そして仕方なくチャックに向かってうなずき、彼に二人分の酒代を払い、デビーの肩を叩いて言った。
「それじゃボクは行くから。もう飲んじゃ駄目だよ。醒めるまで運転しちゃ駄目だよ。醒めなかったらタクシーで帰るんだよ」
 それから滝田は、紙のコースターの裏に自分の携帯電話の番号を書いてチャックに渡した。
「何かあったらここに電話してくれる? 夜中過ぎでもいいから。それと、もうデビーにお酒は出さないでね」
「解ってるさ。デビーの家は知ってるから、いざとなったらぼくが送って行くから安心して。またね、ルージ。サトルによろしく」
 デビーは高く上げた手を振り続けている。滝田は何度か後ろを振り返りながら駐車場に向かった。
 デビーが顔を上げることは、ついになかった。

 寺本の家の玄関ドアを開けると、奥からシャワーの音が聞こえた。
 滝田は服をすべて脱いでバスルームへ入り、まずはずっと我慢していた用を足した。
 便座に座ると、シャワールームの少し曇ったガラス戸越しに寺本の後姿が見えた。尻に目が行く。
 丸くて白かった。こんな尻だったなんて、全然気が付かなかった。
 寺本は後ろを向いたままシャワーを止めてシャンプーで髪を洗い始めた。
 程よく筋肉の付いた肩に、引き締まった胴周り。形の良い肩甲骨の間を小さな白い滝のようにシャンプーの泡が流れ落ちる。その泡は脊髄を這い、やがて熟れた二つのトマトの谷間に消える。内腿から再び現れた白い滝は、長い脚を伝わって真っ直ぐにくるぶしまで流れ落ちた。
 ラックの上の石鹸が床に落ちた。それを拾おうと寺本が手を下に伸ばすと、尻がガラス戸に当たってつぶれた。
《なめてやると喜ぶだろ》
 丸い尻の間の穴が見えそうだ。
《キモチワルーイ》
 ……ごめんね、みんな。
 先生はこの人を愛してるんだ。ボクは男で、この人も男だけど、全然気持ち悪くないんだ。この人と一緒にいると幸せな気分になれるんだ。この人とずっと一緒に居たいと思うんだ。みんなに、何ひとつ恥じるような事はしていないつもりだ。
 そう、そのつもりなんだけど…。
「うわっ、いつからいたの?」
 やっと滝田に気付いた寺本が振り向きながら言った。
「今来たところ。デビーと会ってたんだ」
「………………」
「…ん?」
「ほっぺ、デビーに食われたね。血がついてる」
 滝田が慌てて手で頬を拭き手の平を見ると、その手の平は真っ赤に染まっていた。
「あのバー?」
「うん。チャックがよろしくって」
「トイレは? 大丈夫だった?」
 滝田は手の平と両頬の口紅をトイレットペーパーで擦って拭き取り、ガラス戸を開けてシャワールームに入った。
「行かないで我慢した」
 寺本がレバーを回してシャワーの湯を出すと、滝田の頭に心地よい温度の雨が降り始めた。
「後ろ向いて。シャンプーしてあげるから」
 滝田が背を向けると、寺本は手を伸ばして滝田の髪と湯を絡める。
「デビーと何の話したか、聞かないの?」
 シャンプーを垂らした。
「どうして? 顎上げて。てっぺんも洗わなきゃ」
 シャンプーの泡が滝田の耳の後ろを流れる。寺本の指先には力がある。まるでマッサージをして貰っているように頭皮が刺激される。
「ものすごく気持ちいい。定年後の仕事は決まりだね」

 最近寺本は、シャワーの後に裸のままピアノを弾いてくれる。今奏でている曲は、長調ではあるが少し哀愁の漂った三拍子の曲だ。少しタイミングをずらした左手の伴奏は、気だるささえ感じさせる。
「それ、よく聴くね。きれいな曲だ。何て曲なの?」
 タオルで体を拭きながら滝田が聞いた。
「エリック・サティのジムノペディ」
「結婚式でも弾いてたよね」
「よく憶えてるね」
 滝田はタオルを腰に巻いて、長いソファに寝転んだ。
「この曲を弾くとね、君を初めて見た時を思い出すんだ」
「え、どうして? あ、結婚式で弾いたからか」
「なんとなく…こんなイメージだったんだ。月に打たれた、みたいな…」
「昼間なのにね」
「そうだね。あは、変だね」
 細く長い指が鍵盤の上を流れる。風呂上りの肌がピンクに火照っている。この肌と、獣のようなヒールの肌が触れ合っている姿が脳裏をよぎった。
 本当に彼はヒールを愛していたのだろうか。愛していたのなら、何故他の男と寝てしまったのだろう。ブロディに抱いて貰えないから、ヒールに抱かれただけなのだろうか。お兄さんに抱いて貰えないから………。
 首を振って雑念を追い払った。
「…寺本さん、おかしいよ」
「どうして?」
 滝田は寺本に近付き、肩に手を置いた。寺本は演奏を止め、滝田の腰に巻きついたタオルを落した。
「ボクがこの曲のイメージだなんて、おかしいよ。全然違うよ」
「なんとなく、柔らかいイメージでしょ?」
「ボクのお尻は硬いんだ」
「確かに」
「あ、そう言えば、前にボクのお尻が四角いとか言ったよね」
「うん、四角い」
「そうなの?」
「うん。僕のお尻は丸いでしょ?」
「あ、うん、そうだね」
 今日初めて気が付いたとは、とても言えなかった。
「君のお尻は本当に四角いよ。縦かける横で面積が出そうなくらい。こっちに来て。並んで立ってみようよ」
 寺本はそう言うとピアノの椅子から立ち上がり、滝田の手を引いて寝室に入った。
 クローゼットの扉の鏡に向いて立つと、二人はどちらからともなく「気をつけ」をした。
 寺本の肌は白い。滝田もどちらかと言えば白い方だが、寺本と比べるとやや浅黒く見える。「気をつけ」をしたまま寺本が言った。
「僕はアジア人としては結構背が高い方だけど、君と並ぶと子供のようだね。五、六センチは違うかな」
 この寝室のクローゼットの扉三枚はすべて全面鏡である。
「後ろを向いてみて。ほら、四角と丸でしょ?」
「ホントだ。自分のお尻を見るのなんて初めてだ。寺本さんはホントにまん丸なんだね」
「半径かける…ん? 3.14…だっけ」
「半径かける半径かける円周率だよ」
「ふたつだから、それに、かける2だ。女の人みたいだよね。って言っても、女の人のお尻は直接見た事ないけど」
 亮子の尻を一瞬思い出してしまった。
 それをごまかすために隣の寺本を抱き締めた。
 滝田の唇は丁度寺本の耳の上に当たる。寺本の髪はまだ濡れていた。
 寺本の丸い尻に両手を回した。軟らかだった。右手の中指の先が少し穴に入った。寺本が目を閉じた。中指を動かした。第一間接まで入った。寺本の口から息が漏れた。
「痛い?」
「……ううん、気持ちいい」
「もっと入れていい?」
「いれて、もっと奥まで」
 第二間接まで入れてみた。寺本が滝田の首にしがみ付く。しがみ付いたまましばらく動きが止まった。脚の付け根に、硬くなった寺本を感じた。
「もっと、もっと動かして……」
 指を付け根まで入れて、中で動かしてみた。寺本が小さく声をあげた。少し体を離して寺本の顔を見た。すごくいい顔をしていた。閉じた瞼がぴくぴく動いている。
「もっと……」
 もっと大きく動かしてみた。
 もっといい顔になって、呼吸が更に荒くなった。
 ふと、罪の意識にさいなまれた。
 この人は、もっと早くこうして欲しかったんだ。こうして愛して欲しかったんだ。どうしてそんな簡単なことに、ボクは今まで気付かなかったんだろう。
 寺本の耳元でささやいた。
「………ごめんね」
「…………………え?」
「今夜はボクが抱くよ」
 寺本は目を閉じたままうなずいた。
「うん、抱いて…」
「このまん丸のお尻、なめるよ」
「うん、沢山なめて…」
 滝田は寺本を抱き上げベッドへと連れて行き、ベッドの上に静かに下ろした。その唇に何度もキスを浴びせ、それから寺本の股間に顔をうずめ、自分から口に含んだ。ほんの半年前までは自分がこんな物を口にする日が来ようとは夢にも思わなかった。それが今では、これがいとおしくて仕方ない。可愛らしくさえ思えてくる。そして舌を動かす度に小さく喘ぐ男が、いとおしくて仕方ない。
 顎が痛くなるまで口に含んで上下した後、舌を内腿に移動させた。子猫の身繕いをする親猫になった気分だ。滝田の舌は内腿から流れ落ちる白い滝になった。ずっと体をよじらせながら泣きそうな声を出していた寺本は、最早何も言わずただ口を開け、目を閉じたままじっとしている。 白い滝は膝の裏からふくらはぎ、それからくるぶしを流れた。踵を持ち上げ、膝を曲げ、つま先を口に含んだ。縦長の親指を舌で転がすと、寺本の先端から透明の液体が垂れ始めた。すべての指と指の間に舌を伸ばしながら、泣いている寺本を右手で慰めた。
 それから、そのぐったりとした体をうつ伏せにし、両手で丸い尻を鷲づかみにした。寺本が仰け反って声をあげる。それからその白い尻に舌を走らせた。舌を唾液でいっぱいにして、沢山なめた。沢山なめてと言われたから、沢山なめた。それから長い舌で二つの円を描いた。これが自分の尻なら口という字を書くように動かすのかと思ったら少し可笑しくなった。
 尖った舌を割れ目の奥底に潜り込ませた。寺本の軽いうめき声と共に、滝田も更に激しく硬直してくる。滝田の舌先が締め付けられる。
 二つの丸を両手で開いた。奥まで開いた。スモークサーモンのような美味しそうな色だ。更に奥へと舌を沈めた。軟らかな寺本の尻はよく伸びた。もっと開くと、もっと奥まで見えた。中はどうなっているのだろう。暗くてよく見えない。寺本の肩甲骨は小刻みに震えていた。
 もう少し湿らせてからいれたかったが、その穴は唾液の向こうで既に滝田を求めていた。
 後ろからゆっくりと入っていくと、寺本の背中が大きく反った。根元までいれると、寺本は大きくひとつ、深呼吸をした。不思議な感覚だ。しっかりとした内壁に、しっかりと包み込まれているようだ。
 寺本の顔を覗き込んでみた。とろけそうな顔をしていた。滝田の視線に気付くと、彼は小さく口角を上げ、それから舌を出して目を閉じた。その舌に吸い付いた。吸い付いたまま、激しくひと突きした。寺本が叫び声をあげてまた仰け反った。
 そのまま動きを止めなかった。寺本の股間も激しく揺れる。突く度に丸い尻がぱんぱんと音を立てる。寺本はベッドのヘッドボードの支柱を両手でつかんだ。べッドが大きな音を立ててきしんでいる。
 以前寺本が、「あまり速いと君が壊れる」と言った。でも寺本ならば壊れないのだろうか。壊してみたくなった。
《他の男と寝ちゃったからよ》
 擦れて痛いほど激しく何度も突いた。突きながら、滝田は手を伸ばして枕元のナイト・スタンドの引き出しから潤滑剤を出した。動きを止めずにボトルの蓋を開け、手の平に山ができるほど落とした後、一度抜いて手早く塗った。急いで再びやや乱暴気味に突き刺すと、寺本がまた大きな叫び声をあげた。
《あいつ、誰とでも寝るくせに…》
 寺本の支柱を持つ手に力が入る。壊れそうだった。壊したくて、滅茶苦茶にしたくて、滝田は更に歯を食い縛った。細い腰を押さえて、抜いては挿して、抜いては挿した。寺本の両肩をつかんで、押さえ付けては突き、押さえ付けては突いた。
 水性の液体はだんだんと乾いてきたが、もう一度抜くのが恐くて、抜き挿しをしながら上からボトルの液をだらだらと垂らした。寺本の尻も、シーツも、びしょ濡れになった。
 いい顔が見たいのに、動くのに精一杯で顔を見る余裕がない。今動きを止めたら、この人は遠くに行ってしまいそうで。
 寺本がやってくれるように、回し、左右に動かし、上からスクリュードライバーのようにねじ込んだ。工事現場のドリルがコンクリートの路面を砕くように、寺本の腹の中をがむしゃらにかき混ぜた。
 角度を変え、速さを変え、何度も何度も、時間を忘れて突きまくった。
「壊れちゃう……」
 嘘だ。このくらいで壊れる寺本ではない。ボクには寺本は壊せない。どうしても壊したいのに、ボクには寺本を壊すことができない。右手で寺本の股間をまさぐり、左手で胸の先端を転がした。
「………あ………いく…」
 寺本がかすれた声でつぶやく。
「いこう」
 滝田は後ろから必死に右手を動かした。
「あ」
 寺本の小さな叫び声と一緒に、二人は同時に終えた。
 寺本の背中が軽く汗ばんだ。
 滝田の指の間から、白い液体がシーツにこぼれた。
 この液体を、小さな瓶に入れて、デビーに渡せば…。
 一瞬馬鹿な事を考えた。
 ごめんね、デビー。これは誰にもあげられない。君にも、他の男にも。
 今日は謝ってばかりだ。
「顔を見せて」
 右手を静かに動かしながら、寺本の顎に左手を当て顔を横に向けた。終わった直後の寺本の顔が好きだ。うつろな目と紅潮した頬を見ると、胸が締め付けられる。
 まだ息遣いの荒い寺本の上唇にキスをした。下唇にキスをした。それから恋人同士のキスをした。寺本は半分閉じた目で滝田を見つめ、唇の端を上げた。
「朝……」
 息せき切りながら寺本が言う。
「何?」
「明日の朝…またして………僕が…まだ…寝てる間に……」
「うん」
「毎朝………して」
「うん、解った」
 重なり合ったままベッドに倒れ込んだ。濡れたシーツの上に倒れ込んだ。そのまま、ひとつになったまま、二人は静かに眠りに就いた。



「うん、そうなんだ。悪いけど、今年のお盆は日本に帰れないんだ」
 滝田の母親が電話の向こうで残念そうに「あら、そう」と言った。塾の盆休みは、寺本と一緒にノース・カロライナ州にあるボブのビーチハウスに行くことになった。
「友達に誘われて海に行くんだ。うん、こっちに来て海って初めてだから。ごめんね…………え? 見合い?」
 帰国の話はなくなったが、母は結婚した後ニューヨークに住んでもいいという女性を見つけたので、写真と身上書を送ると言った。髪が長くて可愛らしくて家庭的で、と母親がその女性を賛美した。以前ならときめいてしまいそうな細かな描写をされても、今の滝田の脳裏には何も映像化されない。
「頼んでおいて悪いんだけど、その見合い、断ってくれる? ごめん、勝手なこと言って」
 電話の向こうで母が「そっちで付き合ってる子でもいるの?」と聞いた。滝田は肯定も否定もせず電話を切った。



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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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