射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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1992年7月8日

 寺本悟の乗ったニッポン・エア機は、間もなくニューヨークのJFケネディ国際空港に到着する。
 寺本の緊張が高まる。パスポート、入国審査用書類、税関申告書。入国に必要な物はすべて揃っているか、何度確認しても不安な気持ちは治まらず、足元に置いたバックパックを取り上げて、再度中を覗き込んだ。一瞬ドル札を入れた財布が見つからず、慌てて中に手を突っ込んだ。鞄の奥底に潜った財布に指先が触れた。
 一人で海外に来るのは初めてだ。一人で飛行機に乗るのも初めてだ。
 ニューヨークに来るのは二度目である。大学やトーフルの成績証明書や教授の推薦状を郵送し、大学院入学への書類審査は合格した。そして実技試験のために大学四年の秋に渡米したのが最初のニューヨークだった。西海岸は家族旅行で訪れたことがあったが、東海岸に来るのはそれが初めてだった。
 が、その時は両親が同行してくれた。海外出張が多く旅行慣れした父親にすべて任せておけば、自分はただ黙って着いていくだけでよかったのだ。父は「次回は一人で来るのだから」と、日本での出国手続き、アメリカでの入国手続き、空港を出てからの交通手段、必要最低限の英語、すべてこと細かく教えてくれた。その時は理解したつもりでいたのだが、実際今この場に来てみると、これからどうしたらいいのか検討も付かない。
 日系航空会社の飛行機の乗客は半分以上日本人で、客室乗務員も全員日本人だったので不都合はなかったが、飛行機を降りた途端、文字通り異国に迷い込んだ気分になった。空港内の案内や看板は当たり前だがすべて英語だ。周り中早口の英語で何を言っているのかさっぱり解らない。入国審査の職員も、大学の英語の先生のように解り易くは喋ってくれない。途中で話し掛けてくる陽気な外国人たちも、寺本が英語を理解しない人間だなんて思いもよらないように遠慮なくまくし立てる。人の群れに紛れ、自分でもどうやってそこまで行き着いたのか解らないまま空港の外に出た。
 空は曇り空だが、空気はかなり蒸し暑い。まだ午前だというのにこの暑さか。
 そして寺本は途方に暮れた。大きなスーツケースを片手に、右も左も解らないとはこのことだ。入国審査まではかなりの数の日本人がいたのに、今ここには日本人らしき人間は一人もいない。
 勇気を出して、制服を着た黒人のポーターにつたない英語で「タクシー?」と聞くと、その男性は何か言いながらその方向を指差してくれた。たどたどしく「サンキュー」とだけ答え、その指の方向へ歩いて行くと、様々な言語が飛び交う長蛇の列が見えてきた。
 黄色いタクシーは一台ずつ乗り場に到着しては客を乗せ、速やかにまた立ち去っていく。大声で乗客をさばく係員たち、チラシを配って観光タクシーやリムジンへの乗換えを勧める怪しげな男たち、何故か喧嘩を始める待ち行列の人たち。そんな雑踏の中、寺本はスーツケースをごろごろと転がして列の最後尾に並んだ。タクシーを待つだけで、こんなに動悸が激しくなったのは初めてだ。
 三十分程待ったところでやっと順番が来て、寺本は係員に指示されたタクシーの横に立った。ターバンを巻いたインド人らしき運転手が降りてきて、寺本のスーツケースを後ろのトランクに詰め、またすぐに運転席に戻っていった。閉まったままの後部座席のドアの前で、どうしたいいのか解らないまま黙って立っていると、運転手が振り向いて訝しそうに寺本を見た。大声で「オープン」やら「ドア」やら叫ばれ、寺本は慌てて手を伸ばして自分で車のドアを開けた。自動ドアではないのか。
 乗り込んですぐにドアを閉めたが、重くて頑丈なドアだったせいか半ドアになってしまい、急いで両手で取っ手を持ちバタンと勢いよく閉め直した。一瞬鼓膜が震えた。その音を聞くか聞かないかのうちに、運転手はギアを変えて車のアクセルを踏んでいた。
「どこまで?」
 インド人が前を向いたまま言った。何を言われたのか解らず寺本が答えないでいると、インド人は振り向いてもう一度「行き先だよ」と大きな声で言った。寺本は驚いて座席に座り直し、少し前かがみになってゆっくりと答えた。
「マンハッタンの……………リンカーン・センター………………お願いします」
 彼は黙ってうなずき、カーラジオのボリュームを上げた。
 そのまま黙って高速道路を走っていた運転手は、バックミラー越しに、物珍しそうに窓の外の景色に視線を動かす寺本を見た。
「初めてか? ニューヨークは」
「……………はい?」
 ただでさえ解らない英語なのに、訛りが強く、しかもラジオの音が邪魔してさっぱり解らない。
「ニュー、ヨー、クに、来た、のは、初、めて、か、って聞いたんだ」
 今度はゆっくりと、はっきりと、話してくれた。
「あ……………いえ」
 それから不自然な間をおいて、「……………二度目です」と答えた。また彼は黙ってうなずき、ラジオのチャンネルを変えた。
 やがて遥か遠くにマンハッタンの高層ビル街が小さく見えてきた。ぼんやりと灰色に霞み、寺本には幻想的な蜃気楼のように見えた。思わず身を乗り出した。
「クールだろ」
「あ、はい」
 寺本が急にはっきりとした声になると、インド人はまるで自分が褒められたかのように嬉しそうに微笑んだ。上機嫌になった運転手は次々と質問を浴びせてきた。
「日本人か?」
「あ、はい」
「そんな感じだ」
「はい?」
「トーキョーか? キョートか? オーサカか?」
「あ、東京です」
「そうか」
 滑るようにクイーンズ地区を抜けながら、彼はラジオに合わせて鼻歌を歌いだした。
 イーストリバーに近付くにつれ、フロントガラスをスクリーンにした高層ビルの群れは次第にその大きさを増し、今まさに寺本の目の前に迫ろうとしていた。胸がドキドキしてきた。これから最低二年は住む街だ。興奮して更に身を乗り出した。
「コンサートか?」
 鼻歌をやめたインド人が問う。キョトンとする寺本に再度聞いた。
「リンカーン・センターだろ? 日本からコンサート聴きに来たのか?」
「あ、いえ」
「留学」というのは英語で何と言ったらいいのだろう。そんなことも解らずに、寺本は頭の中で、主語・述語・目的語の順番で文を組み立て、声にした。
「……………私は、音楽の、勉強をするために、ここに、来ました」
 一語一語噛み締めるように音を発した。中学の英語の時間に習った不定詞の副詞的用法だ。中学の英語教師が「中学英語を駆使すれば最低限の会話は成り立つ」と言っていたが、それを納得した瞬間だった。運転手はまた黙ってうなずいた。
「ピアノか?」
「……………?」
「それともバイオリン、タイコ、ラッパ……」
「あ、ピアノです」
「そうか、すげえな。弾けるのか?」
「はあ……………まあ…………」
「ジュリアードか」
「…………………………はい?」
 日本語では後ろの「アード」にアクセントを置いていたが、英語では前の「ジュリ」にアクセントを置くらしく、寺本には聞き取ることが出来なかった。
「ジュリアード・スクールだろ? リンカーン・センターの中じゃ」
「あ、はい、あ、そうです」
「そりゃすげえな」
「あ、はあ……………」
 摩天楼が目の前に広がる。心臓の鼓動は更に激しくなり、寺本は口をぽっかりと開けたまま、ポスターでも映画でもない本物のマンハッタンに見入った。
 ルーズベルト島に架かる橋を渡りながら、「トンネルより眺めがいいだろ」とインド人は自慢そうに言った。
 橋を渡り終えミッドタウンに入ると、次第に車の数が増えてきた。都会のビル群は遠くからは美しく見えたが、その中に入ってしまうと逆に汚らしく見えた。しかし異国の地というのは何とも魅力的で、路上の消火栓ひとつとっても物珍しく愉快なものに思えた。道行く人々の人種は様々で、行き交う車の国籍も様々だ。
「エキサイティングだろ」
「はい」
「マンハッタンだぜ」
「はい」
「この辺に住むのか?」
 幸い大学構内の学生寮に入居できることになった。となれば、確かにマンハッタン住まいだ。東京の自宅は静かな住宅街にあり、小学校から通っていた学校も郊外にあったので、東京の繁華街など滅多に行く機会はなかった。考えてみれば、都会に住むのなど初めての経験だ。そう考えると興奮は更に高まった。
「はい」
「すげえな」
「はい」
「マンハッタンはエキサイティングだからジュリアードに決めたのか?」
 小さな頃から憧れていた音楽学校。映画やドラマにも頻繁に登場する名前だ。大学の先輩たちも多く留学している。それになにより、「仲間」が多い街だ。
「はい」
 やっと体の緊張がほぐれ、革張りの後部座席の背もたれに仰け反り外を見た。通りの向こうにうっそうとした緑が見える。セントラル・パークだ。大都会でありながら、ここには大きな自然がある。
 すると急に脇道から一台のオートバイが飛び出して来た。タクシー運転手は慌てて急ブレーキを掛ける。窓から頭を出して 走り去るオートバイを大声で罵り始めた。腕を伸ばして中指を立て、バックミラーに映る寺本に向って何かまくし立てている。何を言っているのかは全く解らないが、汚い言葉を並べていることは確かだろう。一時間前の寺本ならば、あまりの恐怖にタクシーを降りてしまっていたかもしれないが、その頃には既に、そんな光景にも苦笑いをこぼせる余裕まで出てきていた。
 見上げれば大きな青空だ。空港に降り立った時には頭上を覆っていた雲も、昼に近付くにつれ次第に晴れてきたようだ。寺本の心も晴れてきた。
 これから、全く新しい生活が始まる。
 ホテルの壁で風にたなびく巨大な星条旗を見つめながら、寺本は日本語でつぶやいた。
「最初から、ジュアード以外、考えていませんでした」
 イエローキャブはいよいよ渋滞に巻き込まれ、辺り一面クラクションの音が鳴り響いた。


『赤いマスタング』第三部に続く


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テーマ:自作BL小説 - ジャンル:小説・文学

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