射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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射手座の男 4 【危険】

 コンクールの興奮もまだ冷めやらない十月の終わり、評判の悪い弦の教授の部屋から寺本が出て来た。静かにドアを閉めて廊下を歩き出した。
「寺本?」
 甲馬が呼び止めると、寺本は驚いたように振り向き、にっこりと微笑んだ。
「あ、甲馬さん、こんにちは」
 軽く頭を下げる。
「何でお前が弦の先生の所にいるんだよ」
 伸びた髪が乱れ、はだけた喉元にバイオリン弾きでもないくせに赤いアザができている。頬がほのかに赤い。
「ちょっと欲しい単位があって」
「………」
「冗談ですよ」
「いい加減にしろよ」
 寺本に詰め寄る。
「こんな生活続けてていいと思ってんのかよ。今に病気になるぜ。知ってるだろ?」
「いいじゃないですか、別に、甲馬さんに伝染す訳じゃないんだから」
 頭にカッと血が上った。元々短気な性格だ。
「あ、もしかして、潜伏期間とか気にしてます?」
 更にカッと来た。
「そういう事言ってんじゃないだろうが」
 すると今度は寺本の方が少しムッとした顔になった。
「誰と寝ようと僕の勝手でしょ」
「男なら誰でもいいのかよ、相手は選ばないのかよ」
「選んでますよ」
「………え?」
「後腐れのなさそうな奴としか寝ませんから」
《甲馬さん、遊び人でしょ》
 悔しくて歯を食い縛る。
「……そんなに男と寝るのが好きなのかよ」
「そうです、好きなんです。甲馬さんだって、抱いて欲しいならそう言えばいいじゃないですか。コンドームならいつでも持ってるでしょ?」
「お前……」
 こんなきれいな顔をして、そんなことを言うな。
「言い争いは嫌いなんです。失礼します」
 立ち去ろうとする寺本の腕を力いっぱいつかみ、壁に押し付け肩に手を置いた。
「オレが、オレが愛してやるから、オレが一人で、何十人分も愛してやるから、だから、もうやめろよ、こんなの」
「…………」
 度肝を抜かれた顔で甲馬を見ている。当然だ。言っちまったオレが一番驚いているんだ。
「…好きなんだよ」
「…………」
「好きなんだ、お前が」
 すると張り詰めた空気を避けるかのように、寺本は小馬鹿にした顔で笑った。
「…何だよ」
「僕は女の子じゃないんですから…」
「解ってるよ、でも好きなんだよ」
「『やらせろ』だけでいいんですよ、男は」
 そういうことじゃない。確かに今までは、ヤらせて貰うための呪文とばかりに「好きだ」を連発していた。口から出任せだった。何百回、何千回と、数え切れないくらい言った。行為中に、自分の興奮を高めるために無理矢理叫んだこともある。でも今は違うんだ。
 初めは好奇心だったかもしれない。興味本位だったかもしれない。忘れられなかったのはこいつの体か。そうかもしれない。でも今は違う。今は、
「本気なんだよ」
 他の誰にも抱かせたくない、自分だけの物にしたい、そんな衝動を抑えられないのは初めてだ。
 寺本は何も答えない。
「オレとお前は、これから真剣に付き合うんだ」
「……何ですか、それ」
「気に入らないか。それじゃ、寺本クン、好きです、オレと付き合って下さい、これでいいか」
「騙されませんよ」
「は?」
「そんなこと言って、結局みんな女の子がいいんだ」
「…何言ってんだ、お前」
「僕がどんなに好きになっても、どんなに本気になっても、みんな………サックスの奴も」
 サクソフォンの奴は坊ちゃん坊ちゃんした色男だった。修学旅行で一緒に消えた。普通大学に行った。広瀬がそう言っていた。
「甲馬さん、遊び人でしょ? 女の子大好きなんでしょ? 男と寝たなんて、恥ずかしくて誰にも言えないでしょ?」
 返す言葉が見つからない。
「僕と付き合ったって、女の子とも遊ぶんでしょ? それで、面倒になったら逃げるんでしょ?」
 奥歯を噛み締めた。オレが愛してやる。その言葉に嘘はない。なのに、何も言い返せない。首を伸ばして濡れた寺本の目にキスをした。
「誰かに見られますよ」
 寺本はそっぽを向いた。濡れたまつ毛がきれいだ。顎の線がきれいだ。首の筋がきれいだ。その首筋にもキスをした。
「やめて下さい」
 どうして泣いているんだ。解らない奴だ。
 寺本はそっぽを向いたまま口をキュッと結んで、大きく息を吸い、鼻からその息を出した。
 その態度が憎らしくて、蹴飛ばしてやりたいほど憎らしくて、その生意気な男を無理矢理抱き締めた。
 二年前の夏に抱いた体だ。あの暑い、熱い夏に抱いた体だ。細い体だ。
《すべて『真夏の夜の夢』ってことで》
 夢で終わらせたくなかった。
《遊びですからね》
 遊びで終わらせたくなかった。
 どうしてそんなことに、二年間も気が付かなかったのだろう。
 体を離して寺本の顔を見ると、寺本も横目で甲馬を見た。少し開いた唇の間から白い歯が見える。目が赤く充血している。きれいな鎖骨の上のアザが生々しい。
 嫌だ。こんな奴を抱くのは嫌だ。今の今まで髪を七三に分けたあのカバのような教授に抱かれていた男。この男の体中にあいつの油汗がついていそうだ。この男の体の至る所にあいつの唾液がついていそうだ。
 こんな奴にキスするのは嫌だ。あのキューバ製の葉巻の匂いがするかもしれない。一本五千円だとか、楽器屋のみやげだとか、自慢たらしくぬかす口の臭いがするかもしれない。普通の煙草の事をあえて紙煙草と呼ぶ、あの気障な野郎の口臭がするかもしれない。
 そう頭で解っていながら、その唇に自分の唇を押し当てた。案の定、焦げたハバナ葉の匂いがした。嫌味な匂いだ。あの脂ぎった野郎と間接キスをしてしまった。吐き気がした。ならば自分の唾液で、その匂いを消してやろうと思った。
 寺本は抵抗しない。かといって舌を入れてくることもしない。甲馬の舌に自分の舌を絡ませることもしない。丸太のように、甲馬の太い腕に抱かれていた。
「オレのこと、嫌いな訳じゃないんだろ?」
「好きでもありません」
「………そっか」
「嫌いです」と言われた方がまだマシだったかもしれない。
 二年前はどうだったんだ。少しは好きだったんじゃないのか。あの一瞬だけでも、オレのことが好きだったんじゃないのか。
 それを聞くのは卑怯なような気がした。こいつははっきり言ったはずだ。「遊び」だと。
「…でも、嫌いじゃないなら、付き合ってみないか?」
「遊びでならいいですよ」
 またそれか。
「だから遊びじゃなくて」
「本気なら嫌です」
「寺本よぉ…」
 オレに「遊びはもうよせ」と言ったのはお前だろうが。
「遊びならいくらでも抱いて下さい。抱いてあげてもいいですよ。でも本気なら絶対に抱かれません」
「訳解んねえよ」
「さんざん女の子にいれた物を本気で僕の中にいれて欲しくありません。女の子と本気で間接セックスしたくないですから」
「変なの。遊びでならいれていい訳か?」
「本気であの先生と間接セックスしたいですか? 遊びでも嫌なんじゃないですか?」
 確かにそうだが、そんな事を言ったら学校のトイレなどは使えなくなってしまう。あの教授が座った便座で自分も用を足しているのかと考えたら、出るものも出なくなってしまう。体だって時間が経てば浄化されるものではないのか。
 屁理屈はもういい。限界だ。
「遊びでも何でもいいや。ちょっと来い」

 狭い練習室。グランドピアノと奥の防音壁のわずかな隙間に、伊藤教授の部屋のソファの上にあったマットを敷いた。黙って持って来てしまった。
 ドアの前に重いピアノの椅子を置き、小さな覗き窓には「集中させて下さい」と書いた紙を中から貼った。嘘ではなかった。
「ジーンズ脱げよ」
 甲馬がそう言うと、寺本は黙ってジーンズを脱いだ。
「マットに寝ろよ」
 上を向いてマットに寝た。
 気持ちが悪いくらい素直だった。
《僕も公衆トイレですよ》
 寺本の上に覆い被さる。
「顔、見せてくれよ」
 その無表情な顔を上から見下ろした。太い眉は全く動かない。大きな黒目で真っ直ぐに甲馬を見上げた。甲馬の下半身が痛いほど硬くなってきた。
 その前髪をそっと右手でかき上げると、白い額が現れた。こいつの髪に触れたのは初めてだ。コシのない柔らかな髪だ。海苔のように黒くて少しクセがある。静かになでると、その細い髪は甲馬の指に絡み付いてきた。
 その額に右手の中指で触れた。指を滑らせ、その太い眉に触れた。それから目尻、頬、顎、喉元。それから額に唇を当てた。そろそろ濡れている頃だ。たっぷりと濡れているはずだ。
 …いや、こいつは男だ。濡れないんだった。男は興奮するとどうなるんだっけ。そうだ。勃つんだ。でもそれは少し違う。勃つのと濡れるのは違うんだ。勃つんじゃ駄目なんだ。濡れて欲しいんだ。オレはこいつを濡らしたいんだ。
 綿シャツの胸に耳を当てた。激しい鼓動が聞こえる。無表情だが、こいつは感じている。明らかに、感じている。
 それからその赤い唇にキスをした。すると寺本はやっと目を閉じた。
 頬、耳、首筋、鎖骨。寺本に唇を這わせながら、甲馬は自分のファスナーを下ろして中の物を出した。これで楽になった。軽くしごくと、自分も気持ち良くなってきた。しばらくその愛くるしい顔を見つめ、左手を頬に這わせながら、その張り詰めた自分を右手で慰めてやった。
 下着の中の寺本も大きくなっている。どんなに意地を張っても下半身は正直だ。布の上からその隆起にそっと触れると、太い眉がピクリと動いた。
 寺本の綿シャツのボタンを外す。ひとつひとつゆっくりと外す。現れた白い胸の先端を根気よくなめた。口に含んで舌で転がした。膨らんでいない胸をなめたのは初めてだ。程よく筋肉が付いている。男がこんなものをなめられて気持ちがいいものだろうか。でも他にどうすればいいのか解らない。だからなめた。寺本が大きく息を吐く音が聞こえる。体がピクピクと震えている。気持ちがいいのだろうか。解らない。軽く前歯で噛んでみた。嫌なら嫌だと言うだろう。しかし寺本はもっとして欲しいとばかりに甲馬の頭を自分の胸に押し付けた。
 なめながら、体中をなで回した。後ろに手を回して、下着の上から尻を鷲づかみにした。軟らかだった。揉みしだくように尻を攻めると、寺本の息がどんどん荒くなってきた。
 キスをした。胸をなめた。体をなでた。尻を揉んだ。
 それからどうするんだ。
 男が男を愛する時は、どうすればいいんだ。
 オレが愛してやる。オレが一人で、何十人分も愛してやる。約束した。だからこいつを一生懸命愛してやりたいのに、愛し方が解らない。二年前は寺本が上ですべて管理してくれたのだ。
 寺本の下着を下ろすと、自分が持っているのと同じ物が現れた。こっちを向いて先を濡らしている。
 正直戸惑った。
 どう扱っていいのか解らない。
 解らないので、細い脚を上げた。
「好きだぜ、寺本」
 中に入って行く時、少し痛かった。濡れていないから、痛かった。こんなに硬いのに、なかなか入らなくて、焦れて、先走って、やっと入った。こいつだって痛いだろうに。二年前はどうだったのだろう。憶えていない。中の感覚は鮮明に憶えているのに、痛かったどうかは何故か憶えていない。
 中に入ると、寺本は甲馬をきつく締め付けた。目を閉じたまま、苦しそうに口を大きく開いた。痛いからなのか、気持ちが良いからなのか、解らない。
 何も解らない。
「背中、痛いだろ? 上がって来いよ」
 甲馬は寺本の背中と尻に手を当てて自分に引き寄せた。ひとつになった部分が抜けないように静かに引き寄せた。
 女の穴なら気を付けなくとも抜けない自信がある。手馴れたものだ。しかしそれより少し後ろについた穴では簡単に抜けてしまいそうな気がする。はっきり言ってぎこちなくしか抱けなかった。
 寺本の背中と尻に手を当てたまま、胸と胸をぴったりとくっ付けた。素肌ならもっと気持ちがいいのに。甲馬は恐る恐るマットに腰を下ろし、寺本を股間の上に載せた。はだけたシャツから覗く胸の先端にもう一度キスをした。寺本の息が漏れた。
「お前も正直に好きって言えよ」
「好きじゃありません…遊びです」
 その小憎らしい男の胴を抱え、下から突き上げると、彼は息を荒げて仰け反った。
「なあ」
 背中から肩に両手を置き、その肩を自分に押し付けた。大きく息を吐いた口が甲馬の耳元に来た。解る。こいつが感じているのが解る。でもこいつは声を出さない。
「オレに抱かれて気持ちいいだろ? 気持ちいいってことは好きなんだよ。オレはこんなに好きなんだぜ。こんなに感じてるんだぜ。解るだろ? お前の中にいるオレだよ。どんどん大きくなってるのが解るだろ?」
 それから甲馬は動き始めた。股間の上に載せて、胸と胸を合わせて、体を抱き締めたまま下から何度も突き上げる。抱かれる奴は甲馬の首にしがみ付く。甲馬が一番好きな体位だ。身も心も任されているような気持ちになれる。
 すごい顔だ。見ているだけでいってしまいそうだ。突き上げるスピードを上げる。寺本が体をよじらせる。甲馬の胸が締め付けられた。
「オレ、お前とまた会えてさ、それから女の子と全然ヤッてないぜ。夏だぜ。一番ヤりたくなる夏だぜ。なのにヤッてないんだ。不思議なことにな、ヤりたいとも思わなかったんだ」
 寺本が甲馬を見下ろした。
「こうしてまたお前を抱きたかったんだよ。だから他の誰ともヤりたいと思わなかったんだ。お前もそうだろ。滅茶苦茶やりながら、本当はオレに抱かれたかったんだろ」
「甲馬さん、射手座でしょ」
 寺本が笑いながら言った。
 甲馬は動きを止める。
「…どうして知ってんの?」
「やっぱり」
「え? 何?」
「射手座の男ってね、ハンターだから、相手を振り向かせるまでは必死に頑張るんですって。でも、仕留めちゃうと興味を失くすんですって」
「だからお前わざとそういう態度なのか?」
「で、また他の獲物を求めて彷徨うんですって」
「そんなこと言うなよ。射手座に生まれてきたのはオレの責任じゃないよ。おふくろを責めてくれよ。っていうか、親父か」
 両親が自分を作った過程を考えたら萎えてきた。自分で言ったクセに気分が悪くなってきた。頭の中で十月十日さかのぼったら吐き気さえしてきた。慌てて首を伸ばして寺本の口に舌を入れると、また元気になった。オレは元気だ。
「射手座だか何だか知らないけどさ、オレは駆け引きって大っ嫌いだ。好きだったら押すのみだ。押して駄目でも引かないぜ。オレが引く時は本当にやめる時だ。そうなってから後悔しない程度にとぼけろ」
「僕がいつとぼけました?」
 甲馬は床の上の鞄に手を伸ばして、財布の中からコンドームを出した。一度抜いて装着した。練習室を汚しては大変だ。
「ポジション移動だ。後ろ向けよ。お前のケツ見ながら出したいよ」
 寺本は黙って後ろを向き、四つん這いになってきれいな白い尻を突き出した。子猫のような尻の穴がよく見えた。
 こいつは恥ずかしくないのだろうか。こんな明るい部屋で、他人に尻の穴を見せて、恥ずかしくないのだろうか。オレは嫌だ。前だったらいい。煮て食うなり焼いて食うなり好きにしていい。望むところだ。でも後ろは嫌だ。あんなものは絶対に誰にも見せたくない。自分でも見たことがないし、見たいとも思わない。
 でも寺本は夏合宿で見たはずだ。思い出しても顔から火が出る。
 これがこいつの尻の穴か。ここにさっきまでこんな太い物が入っていたなんて信じられない。
 甲馬はそのつぼまった穴のひだに中指で触れてみた。寺本の体が少し震えた。
 オレのはどんな色なのだろう。こんな淡い色をしているのだろうか。
 きれいな穴だ。女の穴はどんな色だっけ。どんな形だっけ。忘れてしまった。もう半年も見ていない。両手の指で、穴を少し開いてみた。
 穴の奥を覗かれても、寺本は平気だった。
《公衆トイレですよ》
 嫌だ。そんなの嫌だ。
「こっち向け、寺本」
 振り向いた。
「もっとこっち向け」
 左の膝が浮いた。甲馬はその腰を押さえた。
「駄目だ、ケツはこのままだ」
 寺本は笑って首を振る。
「だよな、無理だよな」
 うなずきながら、もう一度笑った。
 寺本が笑った。
 笑った。
 ゴムに塗ってある潤滑剤のせいか、今度は滑るように寺本に入って行った。白い背中がまた大きく反った。
 二年前に頑張ったようにまた頑張りたくなった。別の事を考えて長持ちさせたかった。今までこいつを愛したどの男よりも、こいつを強く愛したかった。天井の節目や畳の目の数を数えるといいという。しかしここは和室ではない。防音壁の穴を数えようか。でも穴は縦横きれいに並んでいる。これなら掛け算で求められる。そうだ。九九でも言おうか。
 そう思って寺本の白い尻を見ていたら、最新型のソアラの尻を思い出した。今までの角張った尻から大幅にモデルチェンジされすっかり丸い尻になった。賛否両論だが、甲馬は昔の尻の方が好きだ。寺本も前の型の方が好きだと言った。しかし寺本の尻は丸い。丸い尻もいいものだ。車のデザイナーもこんな事をきっかけに尻を丸くしたのだろうか。
 そんな訳ないだろう。自分で考え、自分で突っ込んだ。漫才ブームは疾うに終わっている。
 そんなことを考えていたら、希望通り寺本を満足させることができたようだ。耳の後ろをなでられた猫のように、寺本の体からすっかり骨が抜けた。
 歯を食い縛り、息を止めて、溜まっていたものをすべて爆発させた。その最後のひと突きの瞬間だけ、寺本は小さく声をあげた。
 半年分まとめて出したような気がした。
 いい意味で、体が空っぽになった。
「…ソアラ、最新型買おうかな」
 寺本の体を後ろから抱き締めた。
「……え?」
「今度うち来いよ。ちゃんと服脱いでしたいよ。裸のお前を抱きたいよ」
 ふと見ると、伊藤教授のソファ・マットが汚れている。
「……ごめんなさい…出ちゃった…」
 そうだった。オレは男で、こいつも男だ。
 このマットは廃棄処分だ。

 学食で昼飯を食べていても、寺本の顔が甲馬の頭から離れない。この手にあの滑らかな感触が残っている。唇にもあの軟らかな感触が残っている。夢の中にいるみたいだ。
「コンマ、お前最近遊んでないんだってな。女の子たちが言ってたよ」
 現実が贅肉を付けたような奴が甲馬の目の前に座った。家でさんざんいい物を食っているからか、今日の昼飯はザル蕎麦だ。
「オカマ掘りがオカマになったんだ」
 牛丼を食べながら甲馬が言った。
 土井の胸がドキンと鳴る。
「そ…それを言うなら、ミイラ取りがミイラだろうが」
 すると、相変わらず土井とつるんでいる毛深い吉村が大盛りのカツ丼を食べながら口を出した。
「っていうか、オカマ掘りなら既にオカマですよ」
 確かにそのとおりだ。こいつは音大に入るまで鹿児島の普通高校に通っていた。やはり普通高校の奴は頭が良い。
「寺本だよ」
 土井と吉村が同時に顔を上げた。
「オレ、寺本と真剣に付き合うことにしたんだ」
 土井の箸を持つ手が止まる。
「向こうは遊びだけどな」
 吉村が下を向く。
「でも、絶対本気にしてみせるぜ」
 吉村の脳裏に二年前の夏が浮かぶ。
《いれていいよ》
 吉村が下を向いたまま横目で土井を見ると、土井も横目で吉村を見た。しばらくの間黙って目を合わせていた二人だったが、やがて吉村が諦めたようにうなずいた。
《僕でよかったら》
 甲馬と土井だけでなく、吉村もあの夏合宿で寺本と関係を持った。吉村にとって寺本は「初めての人」だった。
《今すぐ捨てちゃおうよ、その邪魔なもの》
 三人とも寺本に誘われたと言えばそうかもしれない。しかし誘われるような態度を取ってしまったのは三人の責任だ。強姦された訳ではない。加害者といっては言い過ぎだが、被害者というには都合が良過ぎた。
 土井もうなずくと咳払いをひとつして、尻がはみ出した椅子に座り直した。
「あのな、そう言うお前に、こんなこと言ったら悪いんだけどな…」
「オレたち、兄弟なんだろ?」
 土井と吉村が絶句する。
「馬鹿三兄弟だ。どうせもっと沢山いるぜ、オレたちの兄弟。この学食に石投げてみろよ。結構な確率で当たるかもしれない」
 学食にいるのはほとんど女だ。その中で男は目立つ。甲馬はその男の一人一人が憎らしくなった。
「最近あいつ、あんまりオカマオカマって言われなくなったろ。言ってた奴ら、どうせみんなヤられちまったんだよ」
「そんな…」
 土井は戸惑いを隠せない。
「オカマにカマかけられて、乗っちまって、みんなあいつの思う壺だ」
「あいつを責めるつもりはないよ。おれだって悪かったんだ。あいつのこと、そういう目で見て悪かったって思ってる」
「もうそういう目で見ないでくれ」
「コンマ?」
「あいつはオレのモンだ。もう誰にも、指一本触れさせない」
 甲馬はそう言うと、牛丼のどんぶりを抱えて一気に口に掻き込んだ。



「オレのマンション、知ってるだろ? 駅の反対側の、うちの音大生専用の」
「ああ、解ります」
「いつ来てもいいからさ、一応居るか居ないかだけ電話して確認してくれよ。アップライトだけどピアノもちゃんとあるぜ。練習室代わりに使ってくれよ。これが電話番号だ」
 次の日の朝、駅前で寺本を捕まえた甲馬は、部屋番号を手書きで書き込んだ名刺を渡した。横書きで漢字の下にローマ字で名前が書かれた名刺だ。右下に電話番号が印刷してある。学生のくせに名刺を持っているのは遊び人の証拠だ。合コンやディスコで女の子に配るためにわざわざ印刷したのである。
「携帯電話とか買えればいいんだけどな、オレには手が出ないや」
 高い音大の授業料を払って貰って、車を買って貰って、この上携帯電話を買ってくれとはさすがに親には言い出せない。
「夜中の一時でも二時でもいいぞ。朝の五時でも構わないから」
「女の子が来てるかどうか確認してから行きます」
「おい、そういう意味じゃないよ。何だったら貞操帯とか着けてもいいんだぜ」
 寺本が噴き出す。
「助手席だってさ、他に誰も乗せてないぜ。シート、お前の形のまんまだ」
「女の子が来てたら、『何番にお掛けですか』って言って下さい。暗号ですよ」
「ま、何でもいいや。来てくれよ。待ってるからな。留守電だったらメッセージ残してくれ。約束だぞ」
 しかし寺本は電話をくれなかった。仕方なく甲馬は、朝や昼時や放課後に、駅や学食で寺本を捕まえるしかなかった。それでも強引に誘えばたいてい来てくれた。しかし寺本はピアノだけ弾いて帰ってしまう。引き止める理由も見つからず、玄関で靴を履く寺本の後姿をただ見つめるしかなかった。
 そんなオアズケを何度か食って、ある日の午後、甲馬が玄関ドアの鍵穴に鍵を挿すと、寺本は「遊びですからね」と言った。言った後、顔を背けて顔を少し赤くした。オアズケを食っていたのは、どうやら寺本の方だったらしい。
 拾ってきた猫を手懐けるように、甲馬は寺本をゆっくりとベッドの上に座らせた。一枚ずつ慎重に服を脱がし、髪を優しくなでながら何度もキスしてやると、寺本は安心したように体をすり寄せてきた。
 そして寺本は細い指で甲馬の綿シャツのボタンを外し、現れた胸をしばらくじっと見つめた。見つめながら、唇が「すごい」と動いた。もどかしくなって甲馬がそのシャツを脱ぐと、寺本はその盛り上がった胸や肩に手の平を滑らせ、唇を寄せた。この男は、本当に男が好きなのだ。
 寺本は静かに、本当に静かに抱かれる男だ。その敏感な体の動きと、堪え切れず漏れる小さな息を頼りに、甲馬は彼の体中に舌を這わせた。そして寺本は、最後の瞬間だけ微かな声をあげた。
 マンションに一人でいても考えるのは寺本の事ばかりだ。枕元の電話が鳴ると飛び起きた。しかし期待して出ても、それはいつかどこかでナンパした女の子だった。相手の顔と名前も一致しないまま「本命ができた」と言うと、みな「おめでとう」と言って電話を切ってくれた。
 そんな電話も二日に一度が三日に一度になり、五日に一度になり、ついには掛かって来なくなった。自分が浄化されたような気になった。
 それでも寺本は電話をくれなかった。食事した後誘っても、気が向いた時にしか来てくれなかった。
 ピアノの椅子に座って、寺本が弾いていた曲を、右手で旋律だけ弾いてみた。楽譜がないから両手で弾けない。いや、楽譜があったところで弾けないだろう。甲馬はソナチネくらいしか弾けない。寺本の指が這った鍵盤に自分のつたない指を這わせた。薄暗い部屋に下手クソなピアノが響く。
 電話の鳴らない一人の夜は、目を閉じて寺本を思い、右手で自分を慰めた。
 頭の中の寺本は、いつも微笑み、いつも優しかった。


『夏1989前編』につづく
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