射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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赤いマスタング 3-7

「サトル、最近夜は家にいるみたいよ。行ってみたんでしょ?」
 バーのカウンターでデビーが言った。
「ペリエくれる?」
 滝田は椅子に腰掛けながらチャックに向かって言った。
 彼女を呼び出したところでどうなるものでもない。解ってはいるが、一人でいると気が狂いそうになる。チャックは黙って滝田の前にペリエの瓶を差し出した。
「番犬がいて入れないんだ」
「番犬?」
「ヒールだよ。サトルが留守の時も彼がいるんだ。窓から見えるんだよ。仕事道具を持ち込んで、リビングで何か作ってる」
 デビーとチャックは顔を見合わせた。滝田は炭酸水をごくごくと一気に飲んだ。
 ペリエでは酔えない。腹に空気が溜まるだけだ。
「ものすごく楽しそうだったよ。すごいんだから。あれじゃまるでSMだ」
 あの甘い声が今でも耳の奥に響く。
《Cumming...》
「サトル、ああいうの、大好きなんだよ、どうせ」
《...Fuck my asshole....》
 耳をふさいだ。
「…でも…………でもボクは別れないよ」
 だったら何故逃げ出したんだ。あの場から寺本を奪い去ればよかったじゃないか。
「絶対に別れないからね」
 目を閉じてカウンターに両肘を突いた。
 …………怖かったんだ。振り向いた寺本に、「君もおいでよ」と言われるのが。
 デビーは滝田の肩を抱いた。
「あなたたち、あんなに………………」
 そこまで言ってデビーは黙った。彼女は決して「何があったの」とは聞かない。
「サトルって恋愛に関しては私以上に自虐的かも。幸せまであとちょっと…ってとこで、いつも自分から壊しちゃうのよ。幸せ恐怖症………とでもいうのかしら」
 デビーが意味不明なことを言った。愛する人と結ばれることに、何故恐怖を感じなくてはならないのか。
「………幸せになるのが怖い…っていう意味?」
「そうよ」
「どうして幸せになるのが怖いの? 誰だって幸せになりたいでしょ? 自分から幸せを壊すなんて、そんな人がいる訳ないよ」
「あなた、『ライ麦畑でつかまえて』って読んだ?」
 唐突な質問だ。
「あ、うん、一応。日本語でだけどね」
「感動した?」
「全然解んなかったよ、いったい何が言いたいのか」
「それでいいのよ。あれはね、素直で幸せな人間には理解できないの。あれを読んで感動できるのは、都会の孤独なひねくれ者だけ」
「君は? 感動できたの?」
「まさか。のびのびと育っちゃった田舎者には無理よ。ま、サトルも別に不幸な生い立ちじゃないけど、やっぱりマイノリティですもの、ずっとうつうつとしたものはあったんじゃないの?」
 そう言った後、デビーは首を傾げて「ま、大きなお世話ね」と笑った。
「ごめんね、デビー。こんな面倒なことに巻き込んで」
「そんなこと言わないで。友達でしょ? それに、何ていうか…私…慣れてるし」
 滝田は顔を上げた。デビーの哀れみを帯びた茶緑の目が「こんなのいつものことだから」と言っていた。
『君はサトルが今まで付き合ってきた男とは違う』
 チャックにそんなことを言われたのはいったいどのくらい前だっただろう。涙が出るどころか、馬鹿らしくて笑ってしまいそうだ。
「…どうして君は、サトルやボブと仲良くしてるの?」
「どうしてって?」
「君はストレートなのにさ。もちろん他にも友達は沢山いるだろうけど」
「でも、確かにいつも一緒にいるのは彼らね。どうしてかしら」
「デビーはカリスマ的なファグハグ(faghag)だからね」
 チャックが笑いながら口を挟んだ。
「……何それ?」
「ゲイにくっ付いてる女のことよ。別にゲイにくっ付いてる訳じゃないわ。サトルにくっ付いてるだけよ、チャック」
「ボブにもくっ付いてるじゃない」
「サトルにくっ付いてると、もれなくボブも付いてくるのよ」
 滝田がつぶやく。
「ボブはいいよね。家族にも職場にも、何はばかることなく生きてる」
「でも、一番好きな人に振り向いてもらえないわ、十年以上も」
「あ」
「私と同じ」
 デビーが滝田を見てにっこり笑った。滝田が大きなため息と共につぶやく。
「…上手くいかないね」
 チャックが笑いながら言った。
「ボブ、サトルに何回当たって砕けてるんだっけ?」
「数えたこともないわ」
「その度に君を呼び出して、愚痴ってさ」
「そう、愚痴るだけ愚痴って、デビーだけは俺の味方だぁ、なんて。いつもは私の言うことなんて聞いちゃいないくせに」
「そんなことないよ。サトルもボブも、君との約束を守って不倫だけはしないもの」
「あ、そうそう、不倫って言えばね」
 デビーは思い出したように滝田に向って話し出した。
「ボブ、この前かなり荒れてたでしょ? あなたにもひどい事言っちゃって。謝っておいてくれって頼まれてきたの。子供の喧嘩じゃないんだから、ちゃんと会って自分で謝れって言っておいたけど」
「いいよ、別に。ボブは何ひとつ間違った事は言ってないし」
「彼、失恋したばっかりだったんですって」
「失恋?」
 チャックが続けた。
「そうなんだよ。君が来る前からかなりのピッチで飲んでてね、どうしたんだろうって思ってたんだ」
「…そうだったんだ………気が付かなかった」
《なんつうか、今回はマジなんだよ、俺》
 自分のことで精一杯で、ボブのことまで気が回らなかった。今思えば、確かにあの日のボブは普通じゃなかった。
《俺も結婚したくなってきちゃったよ》
「…あの教え子の男の子だよね。まだ付き合ってたんだね」
「違うわ」
「違うの?」
「彼、両親と一緒にチェコに帰っちゃったの。一部で神童って呼ばれてた子なのよ。残念だわ」
《傷は深いよ》
「ま、ヨーロッパにだっていい先生は沢山いるしね、これからいくらでも伸びるでしょうよ。でもボブ、ガラにもなく落ち込んじゃって、やっと子供は懲りたみたい。あの後、年上の弁護士と付き合ってたの。でも、その人が今度結婚するって」
 滝田が大きい声を出す。
「そんな、ひどいよ、二股掛けてたの?」
「らしいわね」
「で、別れてくれって?」
 デビーはカウンターに頬杖をついた。
「ううん、もっと悪いの。別れないでくれって。その弁護士、どっちかっていうとゲイ寄りだから、より愛してるのはボブ、でも結婚するのは女性、なんですって」
 するとチャックが言った。
「ボブの奴、そいつのこと本気で好きだったんだよ。でもデビー・ママの言いつけを守って、不倫には突入しなかったわけ」
「私も一応女ですからね、奥さんになる人の気持ちを考えちゃうわ」
「親に引き裂かれるより、泥沼の喧嘩別れより、女に持って行かれるのが一番きついんだよね、ゲイとしては」
「あら、言わせてもらえば、こっちだって同じよ。好きな男を男に持って行かれる女の気持ち、解る? ミジメよぉ~、次から次へと、男に持って行かれるのよ。ず~ぅっと、順番待ちしてるのに」
 デビーの姿が、幼稚園の女の子に重なった。その子は「待っていれば順番が廻ってくるから」と大人に諭され、いつまでも我慢強くブランコの順番待ちをしている。
「ま、仕方ないけど。好きな人に振り向いてもらえないのに男も女もないわ。諦めない方が悪いのよ。私、五人兄弟の一番上で、いつも我慢しなさいって言われて育って、我慢するのが癖になってるのよね。そのくせ、ピアノの先生からは諦めるなって言われ続けて、諦めない癖もついてて、始末が悪いわ」
 ブランコが空く度に、そのブランコは横入りした子供に取られ、また取られ、結局いつまで経ってもブランコには乗れない。それでも大人は褒めてくれる。よく我慢したね、偉いね、と。
「………で、ボブは? 家で落ち込んでるの?」
「いいえ、今、演奏ツアー中よ。気が紛れていいんじゃない? 最後にサンフランシスコに寄ってお父さんたちに会ってくるって。お父さんたちの結婚、無効って言われちゃって、二人とも、ものすごくショック受けてるから、一緒に落ち込んでくるんですって」
 その言葉に滝田は激しく反応した。
 カリフォルニア州のアーノルド・シュワルツネガー知事は同性婚には断固として反対している。知事は同性愛者たちの権利を拡大することには理解を示しているものの、同性婚に関してはかたくなに拒否している。
 サンフランシスコのニューソム市長は、今年二月から三月に掛けて約四千組の同性カップルに結婚許可書を発行し、その州法を無視した行為に、シュワルツネガー州知事は怒りをあらわにした。そしてこの八月、カリフォルニア州最高裁は「結婚は州法違反、よって無効」という判決を下したのだ。しかし市長は市長で、その州法自体の合憲性について訴えを起こしている。
「なまじ糠喜びしちゃったから余計、ね。特にシェフの方、寝込んでるの。お父さんの方は、元々どさくさ紛れの結婚だったからって、何となく予想はしてたらしいけど。バンクーバーのシェフの親戚から、ほら見たことか、もういい加減に男となんて別れろって、電話が掛かってくるんですって」
『薔薇色の人生』を弾くんだと、肩からバイオリンを提げてサンフランシスコに出掛けて行ったボブの笑顔を思い出した。
「やっと家族の壁を越えたと思ったら、今度は法律の壁。ホント、上手くいかないわね」
 チャックがグラスを拭きながらうなずいた。
「あの二人に初めて会ったのは、もう十年くらい前だわ。まだジュリアードの学生の頃。一緒に住んで、左手の薬指にお揃いの指輪はめて、それで満足してたのよ。でもその頃ね、ボブのお父さんが交通事故に会っちゃったの。それで集中治療室に入った時、シェフは正式な家族じゃないからって面会させてもらえなかったのよ。それかららしいわ、二人が法的な結婚にこだわり始めたのは。臨終時には手を握り合いたいって。今から死ぬ時のこと考えるなんて縁起でもないってボブに怒られてたけど」
 愛があれば紙切れなんて。そんなセリフをよく聞く。しかし、その紙切れがないと交わせない愛もあるのだ。
「だから養子縁組しようとしたんだけど」
「……何それ」
「どっちかがどっちかの法律上の息子になっちゃうのよ。そしたら家族になれるでしょ? 日本でもよくあるってサトルが言ってたけど、あなた、知らないの?」
「………」
「あ、そうよね。あなた、日本のゲイの事なんて何も知らないんだものね」
 日本どころか、アメリカのゲイのことだって何一つ知らない。男の寺本を好きになった。それだけの話だ。
「でも、シェフの家族が認めなかったの。だって考えてもみてよ。自分たちには何の落ち度もないのに、息子が他のうちの子になっちゃうのよ? 天涯孤独じゃあるまいし」
 温かい家族がいるからこそできないことがある。家族の愛が深ければ深いほど、家族の反対を押し切ることは難しくなる。
《あんたさえ幸せになれれば、お母さんもお父さんもそれだけで十分だから》
「だからシェフが養父になるって案も出たのよ。でもそれも反対されて」
「え? シェフがお父さんになるの?」
「サトルと同じリアクションね。日本では年上の方がお父さんにならなきゃいけないそうだけど、カリフォルニアはどっちでもいいんですって。ゲイの養子縁組そのものを禁止してる州もあるそうだから、あの州も恵まれてるって言えば恵まれてるのよね」
 四十歳の父と、六十を過ぎた息子。不思議な感じだ。
「でも、シェフの家族、結局結婚を認めてくれたんでしょ?」
「まあね。結婚パーティを主催してくれたんだから、一応納得したんじゃないかしら。っていうか、根負け?」
「二人でマサチューセッツ州に引っ越すとか、できないの?」
「そんなパイみたいに簡単にはいかないわ。シェフ、サンフランシスコの中華街で結構重要な地位を任されてるし、ボブのお父さんがやってる会社も、そういうアジア系のレストランに食材を卸してるの。長年掛けて築いた地位を捨ててまで愛に走ったところで、仕事がなければ飢え死によ」
 仕事。マサチューセッツにどんな大学があるのか、音楽科はあるのか、そんなこと考えもしなかった。滝田の塾にはボストン校がある。それしか考えなかった。
 空っぽの心で、空っぽのペリエの緑の瓶を見つめた。
「…そうだよね。そんな簡単じゃないよね」
 いつものことだが、馬鹿な自分に呆れる。
「ボブの親戚、みんなチェック・メイトよ。ボブの従兄、ボストンに引っ越してアミーゴと結婚したでしょ? でもアミーゴ、仕事が見つからないまま、間もなくビザが切れちゃうんですって」
「え? ビザ?」
 アメリカ国籍を持つ従兄と結婚したのだから、永住権を取得できたのではなかったのか。
「とりあえずメキシコに帰るって言ってるんだけど、従兄が泣いて嫌だって騒いでるんですって。確かに戻って来られる保障なんてないしね。メキシコ国境は厚いわ。このままじゃ不法滞在になっちゃう。非常にまずいわ。ボブも心配してる」
「ちょっと、グリーンカードはどうしたの? 申請したんでしょ?」
「それがね、その制度、同性カップルには適用されないんですって(※)」
「どうして」
「そんなの知らないわ。とにかく駄目なんですって。従兄もボブも知らなくて」
 話が根底から覆(くつがえ)った。
「それって差別じゃない」
「そうよね。それじゃ結婚を合法化した意味がないって、怒ってる人も多いらしいわ」
 チェック・メイトだ。どん詰まりだ。
「それに、もしブッシュが頑張っちゃって、憲法で同性婚が禁止されちゃったら、結婚そのものも白紙になっちゃうでしょうし」
 憲法に反する州法は、当然廃止の対象となる。
「…君、カトリック教徒だよね」
「一応ね。私はあんまり熱心じゃないけど、両親はかなり熱心よ。産めよ増やせよで五人も産んじゃって。未だに神様のために子孫繁栄がなんたらかんたらとか言ってるわ」
「それじゃ、やっぱり同性結婚って反対なの?」
 デビーが滝田を見た。呆気に取られた顔をしている。
「子供が生まれない結婚は、認めるべきじゃないと思う?」
「それはおかしいわ。じゃ子供のいない夫婦はどうなるのよ。子供が欲しいから結婚するんじゃなくて、一緒に居たいから結婚するんでしょ?」
「それじゃ賛成なの?」
「いきなり聞かれても困るわ。そんなの、考えたこともないもの」
 デビーはしばらく首を傾げて考えてから、大きく首を振って言った。
「実はね、よく解らないの。彼らに、安っぽい男と女の夫婦みたいになって欲しくないっていう気持ちはあるんだけど」
「…安っぽい?」
「だって、マサチューセッツで、もう離婚したいっていう男の夫婦が出たのよ。お互いの気持ちのズレとか言って。飼ってる猫の親権をめぐって離婚調停してるわ」
「そんな…せっかく…」
 他州には結婚したくとも叶わない同性カップルがゴマンといるであろうに。結婚したいとまで思いを深めた二人が、そんなに簡単に離婚を決めてしまうなんて。
「でしょ? せっかく、でしょ? ま、大きなお世話なんだけどね。でも、全米どこでも同性婚OKなんてことになったら、あっちこっちで簡単にくっついて、簡単に別れちゃうようになると思うの、どこにでもいる男と女の夫婦みたいにね。男と女は離婚してよくて、同性同士は駄目なのかって言われても困るんだけど。でも、やっと困難を乗り越えたのに、どうして、って思っちゃうのよ」
 そうだ、どうして…。
「私、ゲイやレズビアンの友達が結婚したって…事実婚だけどね、そういう話聞くと、ディズニー映画の最後によく出てくる、『その後二人はずっと幸せに暮らしましたとさ』っていうフレーズが浮かんでくるのよ。それまでの苦労を知ってるだけにね。変よね、男と女が結婚したって聞いても、そんなフレーズは浮かばないし、その直後に離婚したって聞いても、別に驚きもしないのに」
 デビーはバーボンのグラスを眺めて言った。
「私、すぐ物事の否定的な面を考えちゃうの。だから一歩前に進めないんだわ、いつも」
「君、とても前向きに見えるけど」
「まさか。私、馬鹿だって言ったでしょ? サトルに貼り付いてたって無駄だって解ってるのに、いったい何やってんのって感じよ。仕事だって行き詰まってるし」
「サトルもそんなようなこと言ってた」
「あら、彼、順調だと思うけど」
「頭打ちだって」
「あの人、求めるものが大きいから。食いしん坊なのよ。私よりずっと恵まれた環境で音楽してきてるのに」
「そうなの?」
「だって彼、小学校から音楽学校でしょ? 彼の大学、日本でも別格の音大だって聞いたわ。アメリカで活躍してる日本の演奏家、たいていサトルの音大出身よ。そうそう、ボブと双璧の美男子バイオリニストもいるのよ。サトルのひとつ先輩なんですって。すごく素敵な人よ。もちろん実力もボブと双璧って言われてる」
「すごいね。ボブのライバル?」
「ううん、狙ってたのよ、いい男だから」
「…………………………」
「イベントとかで会う度に誘ったんだけど、乗ってこなかったって」
 さすがはボブだ。
「そのうち結婚しちゃった。今は子供もいるわ。ま、元々ゲイじゃないし」
「なのに誘うなんて、ボブって面白い奴だね」
「あの人、相手がゲイがどうかって気にしないのよね。気に入ったら即誘う」
「ある意味うらやましいね、正直で」
「やりたいことは即実行、思ったことはすぐ口に出すのよ。私にも、高校まで田舎のカトリックの学校にいて、よくジュリアードに入れたな、ですって。失礼でしょ?」
「それは失礼だね」
 滝田は噴き出した。
「これでもミズーリ州ではいつも一番だったんだから。子供の頃からコンクール荒し」
「すごいじゃない」
「それでね、中学の時、全米規模のユース・コンクールの中西部地区大会で優勝、で、ニューヨークの全国大会まで行ったの」
「ちょっと、すごいよ、デビー。君、すごい子だったんだね」
「でも、ニューヨークまで恥を掻きに行ったようなものだったわ。もう、レベルが違うのよ。中西部で優勝したって、東北部じゃ予選も通らないって感じ。当然よね。ニューヨークの子たちって、みんな、私がトウモロコシ畑で走り回ってた頃から、ジュリアードのお子ちゃま教室でバリバリ音楽やってたんですもの、敵う訳ないわ」
「でも、大学からはジュリアードでしょ? ある意味すごいじゃない。そういう子たちと同じラインに着いたんだから」
「死ぬ気で頑張ったもの。…でも、音楽って、死ぬ気でやるものじゃないと思うんだけど。スポーツじゃあるまいし」
「いや、逆に、トウモロコシ畑で走り回ってたのは、情緒的にものすごくいいことだと思う。素人のボクが偉そうだけど」
「あら、嬉しいこと言ってくれるわね」
 それからデビーは夢を見るような目で語り始めた。
「私の実家はね、大きなトウモロコシ畑をやってるの。トウモロコシってね、あなたよりずっと背が高くなるのよ。私たち兄弟五人、いつも畑で遊んでた。よく、見渡す限りの緑の畑とかいうけど、見渡せないのよ、実際。だって自分達より背が高いんだもの。だから五人で丘の上まで競争するの。あなたにも見せてあげたいわ、丘の上からの眺め。ベートーベンの『田園』が聴こえてきそうよ」
「ほら、やっぱりいい影響が出てるよ」
 デビーは懐かしそうに目を細めた。
「それでね、父が畑を迷路にしてくれるの。一時間経っても出て来ない子がいると、父がトラックのクラクションを鳴り響かせてくれるのよ。弟や妹は泣きながら音を頼りに飛び出してくるわ」
 トウモロコシの穂を掻き分け、子供たちが走って行く。デビーの少女時代が目に見えるようだ。
「トウモロコシって、畑からもいで、茹でるまでの時間が短ければ短いほど甘くて美味しいの。いつか食べに来てね、もぎたてのトウモロコシ」
 それは無理だよ、デビー。寺本と別れたら、もう君とも会うこともないだろう。
「テキサス…」
「違うわ、ミズーリよ」
「…………」
「ん?」
「……ううん、何でもない」
 デビーは首をひねりながらも、それ以上は何も問わなかった。そしてつぶやくように言った
「でも、やっぱり反対だわ」
「え?」
「同性婚よ。だって、ただでさえいい男が少ないのに、男に取られたら余計少なくなっちゃうもの」
 そう言ってデビーは笑った。
「私の周りのいい男はみんなゲイだわ。悔しいったらありゃしない。それに、私、何だか知らないけど仲間内ではマイノリティなのよ。逆差別されてるの。ケイトなんて、男なんてどこがいいんだ、男に抱かれたいなんて頭がおかしいんじゃないかって責めるのよ。ほっといてよ。男しか愛せないんだから仕方ないじゃない。異性愛者の人権だって認めて欲しいわ」
 別れない。ボクは絶対に寺本と別れない。
「ボブ…」
 滝田がつぶやいた。
「何?」
「お父さんとシェフ、『その後二人はずっと幸せに暮らしましたとさ』って、なって欲しいね」
 だってボクたちはもう駄目だから、せめて君たちは。
「そうね。半世紀くらい昔は、白人と非白人の結婚だって法律違反だったんですものね。笑っちゃうわよ」
「そうだね。日本でも昔は国際結婚なんてとんでもなかったんじゃないかな」
 人の意識は時代と共に変わる。常識も変わる。百年の眠り、否、五十年の眠りから覚めた時には、世の中は確実に変わっている。
 人々の意識が変わり、常識が変わり、それから法律が後を追うことが多い。しかし、まず法律そのものを見直し、改正し、それによって人々の意識と常識を変えていくという経路があってもよいのではないか。
「ねえ、デビー」
 滝田は下を向いて言った。デビーが両目の眉を上げて滝田を見た。
「なあに?」
「ボクの塾の生徒がおじいちゃんおばあちゃんになる頃にはさ、昔は同性同士は結婚できなかったんだよ、笑っちゃうよね、なんて話してたりして」
「そうね。そうなるかもしれないわね」
 絶望しているのに、滝田は何故か冷静だった。
 子供の頃からよく思った。道に迷った時に、「こっちだよ」と言ってくれる人がいたらどんなにいいだろうと。投手の手からボールが離れた時、「カーブだよ」「ストレートだよ」と言ってくれる人がいたらどんなにいいだろうと。
 先輩と一緒に起業しようと決めたとき、「やめとけ、やめとけ」と言ってくれる人がいたら、今頃ボクはどうなっていたのだろう。ニューヨークへの転勤を「断れ」と言ってくれる人がいたら、今頃ボクはどうなっていたのだろう。
 隣でバーボンを飲む女性が、「もう諦めなさい」と言ってくれたら、どんなに楽だろう。そうやっていつもヒトのせいにして生きて行けたら、どんなに楽だろう。
 人生の岐路でいつも迷い、結果自分で選んだ道に自信が持てないのは、ボクだけなのだろうか。選んだ道が正しかったのか、間違っていたのか、何年経っても答えが出ないのは、ボクだけなのだろうか。
「…ねえ、デビー」
「なあに?」
「…ボクは…どうしたらいいと思う?」
 諦めないで頑張りなさい。そう言ってよ、デビー。
「そうねえ…」
 諦めなさい。諦めて日本に帰りなさい。そう言ってよ、デビー。
「コインでも投げたら?」
 耳を疑う。
「クォーター(二十五セント硬貨)でも投げて決めたらどう?」
 冗談か、気休めか。
「…本気で言ってるの?」
「だって自分で決められないんでしょ? だったらそうするしかないじゃない」
「…………」
 目の前の新しいペリエは、まだ一口しか飲んでいないが、もうすっかり気が抜けてしまったようだ。瓶の内側に僅かに残った水泡を人差し指で叩いて浮かばせた。
 誰も正しい答えなんてくれない。
 そもそも、正しい答えなんてどこにもない。
「…ボクのマスタング」
「あ、どうした? 直った?」
「夕べ、修理工場から留守電が入っててね、もう忘れかけてたのに。廃車代取られるって覚悟してたのに、廃品回収業者がジャンクとして買い取ってくれることになったんだって」
「まあ、よかったじゃない」
「黙って持ってっちゃえばいいのにね」
「うふ、同じこと思ったわ。随分律儀よね」
「で、レッカー代を差し引いた額を小切手で送るからって。三百ドルだけどね」
「あら、三百ドルって大金だわ。このバーボンが何杯飲めるかしら」
 デビーはそう言ってバーボンのグラスをいとおしそうに眺めた。
「あは…そうだね」
 五年間、一緒に過ごしたマスタング。初めて持った自分の車。通勤と買い物に使うくらいで遠出することはなかった。いつ動かなくなるか、ヒヤヒヤしながら乗っていたのは事実だ。でも五年も一緒にいれば、例え鉛筆一本でも愛着が沸くものだ。
「お疲れさん、って感じだよ」
「そうよ。最後にはちゃんと三百ドルになってくれたんだもの、親孝行な車よ」
「元々さ、買った時から、壊れることは解ってたんだ。五年もってくれたけど、それまでだって大変だったんだ。ラジエーターに穴が空いたり、ドアが開かなくなったり、夏にはオーバーヒートしちゃうし、燃費もどんどん悪くなっていったし」
 その度に修理して、今度こそもう駄目かと思いながら、一緒にいたくて、手放せなくて。
「無理だったんだよ、最初から。それが解ってて、解らない振りしてたんだ。無理して、無理して………ついに壊れちゃった」
 滝田がそう言って笑うと、デビーは黙って滝田を見つめた。
「…………頑張れ、って言ってよ、デビー」
 いったいボクはどうしたいんだ。自分でも解らない。
「頑張れ」
「大丈夫だよ、って言ってよ」
「大丈夫よ」
「ありがとう」
「どういたしまして。でも」
「ん?」
「くれぐれも無理しないでね、リュージ」
「解ってるよ。…ねえ、チャック」
 滝田がカウンター越しに呼ぶと、バーテンダーはこちらを向いた。
「ワガママ言っていい?」
「いいよ」
 チャックのこの優しい笑顔が大好きだ。
「仕事上がったら、デビーとボクを家まで送ってってくれる?」
「了解。シラフのうちにコースターの裏に住所を書いておいてよ」
 デビーも優しく微笑む。
 チャックが滝田のペリエの瓶を取り上げた。
「チャック、リュージにバーボン。私の奢りよ」
「違うよ」
「遠慮しないで」
「三百ドル分、じゃんじゃんバーボン出してよ。じゃんじゃんだよ、チャック」



※1996年、DOMA(結婚保護法:The Defense of Marriage Act)という連邦法が制定された。この法で結婚は「異性同士のみ」と限定されている。その頃あちこちでゲリラ的に同性同士の結婚証明書が受理されていた事実を受け、将来的にどこかの州で同性婚が合法化された場合に備えて制定されたと言われている。アメリカの移民法は連邦法に沿っているので、同性の夫婦は「合法的な夫婦」として認められず、永住権も発行してもらえない。



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