射手座の男/赤いマスタング

18禁のBL小説です。音大のバイオリン専攻大学院生×ピアノ科学生の恋愛と、ニューヨークに住む30代日本人男性二人の恋愛の2本を載せています。※移転しました。移転先はプロフィールの下に。

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赤いマスタング 3-9

「日本には帰りません」
 眉ひとつ動かさずつぶやく滝田を見上げて、校長は一瞬ひるんだ。小柄な校長の身長は、滝田の肩よりも低い。
「帰りません…って言われても…………もう後任も決まってるんですよ」
「それじゃ塾は辞めます」
 大きな滝田に見下ろされた小さな校長は決まり悪そうに他の講師たちを横目で見た。やや躊躇したかに見えたが、一度背広の襟を正した後、毅然とした態度で言った。
「辞めるにしても、一度日本には帰らなくちゃ。ビザのことがあるでしょ? 君が不法滞在なんてことになったら、他の先生にも迷惑が掛かるんですよ。テロ以降何かと厳しいんですから。だから、今後のことは本校の人事と話し合って下さい」
「塾は辞めます。でも日本へは帰りません」
 講師たちがどよめいた。顔を見合わせ何やら小声でつぶやいている。滝田は直立不動のままだ。マグでコーヒーを飲みながら見ていた年長の坂口が間に入った。
「お前、もうよせ。少し頭冷やせよ」
「嫌です。絶対に帰りません」
「どうしたんだよ、お前。ボストンに行くとか言い出したと思ったら、今度は辞めるかよ。今日はもう家に帰れ。後のお前の授業はなんとかするよ」
「帰りません。絶対に帰りません」
 低く通る声が職員室に響いた。職員室のざわめきに気付いた生徒たちが、何事かと騒いで教室を飛び出して来た。大岩が生徒の群がる職員室の入口のドアをバタンと閉め、滝田の腕を引っ張りながら言った。
「お前、頭おかしいぞ。とにかく今日は帰れ。おれが送ってやるよ」
 坂口が大岩の背中をポンと叩く。
「そいつを頼むよ、大岩。おれはちょっと校長と話すから」
「帰りません」
 大岩は滝田の手首を強くつかんで無理矢理廊下に連れ出し、職員室の前の子供たちをかき分けるように外の駐車場へ滝田を引きずり出した。辺りはもう真っ暗だ。
「校長に絡んだって仕方ないだろ」
 滝田の胸倉をつかんで大岩は言った。それから塾の建物の方をチラッと見て、急に声を潜めた。
「…とりあえず、籍だけ入れるってわけにはいかないのか?」
 大岩の意外な言葉に滝田の動きが止まる。ぶら下がるように滝田のワイシャツの襟をつかんでいた大岩の手がゆっくりと離れた。
「アメリカは……籍入れるって言わないのか。よく解んないけどさ、週末にボストン行って、とりあえず結婚しちゃえよ。他の先生には内緒にしておいてやるから」
 滝田が男と結婚するためにボストン校に転勤したいと言い出してから、講師たちはあえて滝田に話し掛ける事をしなくなっていた。仕事の話でさえメモで済ませようとする講師がほとんどだった。
「アメリカ人と結婚すりゃグリーンカードもらえるんだろ? ここに永住できるんだろ?」
 大岩は笑っていた。そう、確かに笑っていた。悪い冗談はよせ、と滝田の肩を叩き、面白半分に生徒に話したのも大岩だ。
「ま、そうすぐすぐってのが無理なら、一端日本に帰れよ。校長は、ほら、高血圧だからさ、あんまり脅かすな。知ってるか? 婚約者ビザってのがあるんだぞ」
 滝田は目を見開く。
「そのビザで入国して、九十日以内に結婚すればいいんだそうだ。実はな、あれからおれもいろいろ調べてみたんだ。…っていっても、アメリカ人と結婚してる女房の友達から話を聞いた程度だけどな。お前がボストン校に行きたいとか言い出して、おれ、笑って騒いでたけど、後で反省したんだ。お前、真剣なんだよな。悪かったな」
「大岩さん…」
 駄目なんですよ。
「やっぱり親に反対されてるのか? そりゃ仕方ないよな」
 駄目なんですよ。
「お前、英語得意なんだろ? 親が反対してるって、相手を傷付けないように、英語でうまく説明できるだろ? 坂口さんに頼むか?」
 それから大岩は両手を高く伸ばし、滝田の肩に置いた。
「………ごめんな、滝田。おれ、ふざけないで、ちゃんと話を聞いてやるべきだったよ。ちゃんと相談に乗ってやるべきだったよ。そしたらお前………こんなことには…」
 ああ、結局それか。………ため息が出る。
「だって、お前………何も男と…」
 理解を示したような顔をして、結局そうなのか。そういうことなのか。
「驚いたよ、お前がゲイだったとはな………」
 ありがとう、そう言ってくれて。
 でもボブは、ボクはゲイではないと言うんだ。
 ゲイからはゲイじゃないと冷めた目で言われ、異性愛者からはゲイだと蔑まされ、それではいったい、ボクはどっちの人間なんだ。ボクの居場所はどこなんだ。同性愛者の場所ではない。異性愛者の場所でもない。ボクの居場所は、唯一、寺本の所だけなんだ。それなのに、その唯一の居場所も、ボクは今失おうとしている。解ってる、解ってるんだ、そんなこと、解ってるのに。
 ボクは気が狂っている。
 滝田は大岩の手を振り解いた。
「ボクは日本へもボストンへも行かない! テキサスに行くんだ!」
 大岩は自分の車の後部座席のドアを開け、大きな滝田を押し込んだ。子供たちも大騒ぎで、廊下の窓から身を乗り出して駐車場を見ている。
 大岩は運転席に乗り込み、下を向いたまま悔しそうに言った。
「…仲良くしてやれって言っちまったおれが、責任を感じてないとでも思ってんのかよ」
 車は急発進して塾の駐車場を去った。
 講師たちはいそいそと仕事に戻ったが、子供たちの興奮はまだ収まる気配がない。
「なんだぁ、今のは」
「びっくりしたぁ」
「あんな滝田先生、初めて見た」
「ああいうの、日本語でキレたって言うんだよ」
 子供たちは顔を見合わせて大はしゃぎだ。マサハルだけが、じっと窓の外を見つめていた。
「テキサス………」
 小太りの少年が、小さくつぶやいた。

 大岩の車が滝田のアパートの駐車場に着き、滝田はドアを開け車を降りた。
 そして大岩の車はすぐに走り去った。
 滝田がとぼとぼとアパートの入り口へ歩いて行くと、暗い街灯の下、紙袋を持って階段を上る寺本が目に入った。
「…寺本さん?」
 肩をびくっと震わせ寺本が振り返る。
「まだ…授業中じゃなかったの?」
 留守を狙って来たというのか。
 今夜は夜風が冷たい。弱い風が吹く度に森の木々がカサカサと音を立てる。
 あんなに会いたかった寺本が、今滝田の目の前にいる。それなのに、抱き付いて行くことさえできない。うつろな目で寺本を見た。
 相変わらず寺本はきれいだ。こんな時でさえ軽い興奮を覚える。伸びていた髪もついに切り、最初会った頃の髪型に戻っていた。白いスリムジーンズにクリーム色のフィッシャーマンズ・セーターを着ている。白は王子様の色だ。会ったら思い切り責めてやろうと思っていたのに、その姿を見たら何も言えなくなってしまった。
「…中で話そうよ」
「いや、いい」
「寒いよ」
「すぐ帰るから」
 階段を上って行って入り口のドアを開けたいのに、滝田は一歩も動けなかった。
「これ、持って来ただけなんだ。部屋に置いて、すぐ帰るつもりだった」
 右手に持った紙袋を少し上げた。
「君の下着とかワイシャツとか、全部洗って、アイロンも掛けてある。アパートの鍵も。ここに置くから」
 そう言って階段の上に紙袋を置いた。
「うちにある寺本さんの服は返さないよ。テキサスに持って行くんだから」
「君も案外しつこいね。それは適当に処分してくれていいから。それじゃ、さよなら」
「待ってよ」
 立ち去ろうとした寺本を引き止めた。
 寺本の背筋は相変わらず真っ直ぐに伸びている。シャンパンを持って滝田に近付いて来た寺本を思い出した。ホースで芝生に水を撒く寺本を思い出した。
 引き止めてはみたが、言葉が出なかった。
 すると寺本の方が口を開いた。
「言い忘れたことがあるんだ」
 無理をして、また新しい嘘を吐こうとしている。
「僕はね、ものすごくめんどくさい男なんだ。嫉妬深くて、陰険で陰湿で、始末の悪い男なんだ。高校の音楽の先生のこと、まだ好きなんでしょ?」
 唐突な言葉に滝田は面食らう。
 亮子。その名前さえ忘れ掛けていた。
 寺本は彼女のことを「高校の音楽の先生」と呼ぶ。「君の昔の恋人」でもなく、「付き合っていた女の子」でもなく、「高校の音楽の先生」という無機質な一般名詞で呼ぶ。
「そんなこと考えてたの?」
「幼稚園の先生とお見合い結婚するんでしょ?」
「何言ってるの?」
「だって、女の人には敵わないから」
「ボクを責めてるの? 女の人と寝たことのあるボクを責めてるの?」
 寺本が顔を背ける。
《滅茶苦茶だよ、僕は》
《手当たり次第、何でもアリだよ》
《ヒールにもよく腰を抜かされたけどね》
 嫉妬深くて陰険で陰湿なのは寺本だけじゃない。滝田の胸の中にだって、いつもモヤモヤしたものがあった。頭の隅では、いつも同じ不安が警鐘を鳴らしていた。
「はっきり言えばいいじゃないか、ボクじゃ満足できなかったって!」
 寺本の目が凍った。
 滝田が口を押さえる。
「……そうだよ、君、見たでしょ? あれが僕だよ。もっとすごい事だってして来たんだ」
 見ていない。何も見ていない。見たけど、見ていない。
「心も体も汚れきってるんだ。君には想像もつかない」
「ごめん…ボクは………」
「君はきっと、故意に人を傷付けたり、裏切ったり、利用したりしたことなんて、一度もないんだろうね。まだ間に合うよ。今なら君は天国に行ける」
「引越しの日はいつなの? こっちの都合もあるんだから、早く教えてよ」
 寺本が上を向いて大きく息を吐いた。
「隠したって無駄だよ。デビーに聞くからね」
「デビーにもボブにも口止めしてある。口止めなんて汚い手は本来嫌いなんだけど、今回ばかりは使わせてもらった」
 冷たい風が吹き、階段の上に立つ寺本が軽く身震いした。怒った振りをした顔もきれいだ。
「ねえ、寒いよ。中に入ろうよ」
『そしてベッドに行こうよ』
 以前はすんなり言えた言葉が、どうしても出てこない。
「それじゃ言うけど、君、僕と結婚してもグリーンカードはもらえないんだよ」
「知ってるよ。デビーから聞いた」
「そういうことだよ。君は日本に帰るしかないんだ」
「寺本さんは知ってたんだね、ボクがそう言った時から。だからあんな顔したんだ」
 すると寺本は横を向いて、自分の両腕をさすりながらつぶやいた。
「……いろいろ調べたからね」
「…え?」
「君がここに残れる方法を」
「寺本さん…………」
 鋼鉄の扉に、針穴ほどの小さな穴が空いた。
「でも…どうにもならなかった。僕の力じゃ、どうにもならなかったんだよ」
 その穴から、まだ入る込む余地があるかもしれない。
「中に入ろうよ、風邪引くよ」
「僕が、日本に帰ることも考えた。でも……日本に帰ったら君は…」
「夢から覚めるって? またそれ?」
 寺本はうつむいたまま黙る。悲しそうな目だ。
「……日本には、親っていうものがいるからね」
 連日鳴り続けていた寺本の母親からの電話。
「…お母さん……どうかしたの?」
「もう掛けてこない。僕がゲイだってこと話したから」
「理解してもらえなかったの?」
 すると寺本は訝しげに顔を上げた。
「ボクも話すから。うちの親も、寺本さんの親も、きちんと話せば理解してくれると思う」
「…僕は『話した』って言ったんだよ。理解してもらおうなんて思ってない」
「それじゃ駄目だよ。どんなに時間を掛けてでも、説得すれば解ってもらえるよ、親子だもの」
「解ってもらって、それでどうするの?」
「どうするって…」
「許してもらうの?」
「そうだよ」
「許すって、僕は何か悪い事をしたの?」
「そういう訳じゃないけど…」
「突然息子がゲイだって言い出して、はい、解りましたって、そんな親がいると思う?」
「だから時間を掛けて」
「洗脳するの?」
「そういう言い方はフェアじゃないよ」
「今まで白だと思っていたものが、突然黒だって言われるようなものなんだよ。時間を掛けて納得してもらったところで、それは理解じゃない、諦めだ」
「諦めだっていいんだよ。男女のカップルだって、結婚を反対される事なんてよくあるんだ。例え諦めだとしても、例え形だけだとしても、親には認めてもらわなきゃ駄目なんだ。ボクも勇気を出すよ」
「勇気? 勇気って何さ」
「すべてを話す勇気だよ」
「傲慢だね」
「…傲慢?」
「喫茶店の主婦たちの会話って聞いたことある? テレビで見たオカマがどうのこうのって言って、嬉しそうに笑うんだ。そういうのを売りにしてる芸能人は結構いるから。本物から偽物までね。そういう会話って、聞くまいとしても、やたら僕の耳に届くんだ」
「そんなの気にしてないって、寺本さん…」
「僕の母だって普通の主婦だ。その母に、友達に向かって、うちの息子はゲイなんです、同性愛は悪いことじゃありません、皆さん、理解してやって下さいって言わせるの? 馬鹿息子って罵られる方が余程マシだ。親の価値観を変える権利は僕にはないよ。理解してもらおうなんて思わない。かと言って、親のためにゲイをやめるなんて、僕にはできないから。君ならできる。第一、君はゲイじゃない」
「根気よく説明すれば、絶対に解ってもらえる」
「それで大団円? ディズニー映画の観過ぎだよ」
 矢継ぎ早に浴びせられる非道な言葉に、滝田は反論の力を失う。
「ひどいよ…」
「ひどいのは君だ。今まで自分一人で抱えてた苦しみが、親に話すことによって親のものになるんだよ」
「…………」
「勇気を出した君はすっきりするかもしれないけど、今度は君の親が苦しむんだ、誰にも言えずに」
「…勝手な言い分かもしれないけど、親が子供のことで苦しむのは、ある意味仕方ないと思うんだ。塾の子供たちを見てて、そう思うようになった」
「受験とこれとは、行って帰ってくるほど違うよ」
「それはそうだけど、でも、自分の子供のことなんだから、一緒に苦しんでもらっていいと思うんだ、甘えていいと思うんだ」
「そこまで僕は自分を正当化できない」
「ボクが寺本さんを好きになった理由と経緯を話す。中途半端な気持ちじゃないことを話す」
「そういうことじゃないんだよ。そんなのは世間の人達にとっては、全く問題じゃないんだ」
「男と男の恋愛じゃなくて、人間と人間の…」
「彼らにとって問題なのは…」
「…………」
「僕らが男同士でセックスをしている」
「………………………………」
「その一点なんだよ」
 暗い森で、フクロウがほおほおと鳴いている。
「………………それじゃ…ボクはどうすればいいの」
「簡単だよ。日本に帰って、結婚すればいい」
 回り道をして、結局元に戻った。
「寺本さんは、幸せになりたくないの?」
「なりたくない」
「…………」
「幸せになんか、なりたくない」
「嘘だ」
 凍りついた目が真っ直ぐに滝田を見た。
「僕たち…会わない方がよかったのかもね」
 遠くからゴォという唸り声が響いてきた。
 そして突風が吹いた。
 駐車場の隅に並んでいたオートバイが大きな音を立てて将棋倒しになった。どこから飛んできたのか、大きなブリキの缶の蓋が、二人の間を分けるようにからからと転がって行った。木々の葉がざわざわと擦れ合い、観客で埋め尽くされたカーネギーホールの喝采にも聞こえる。
「それじゃどうして…」
 滝田は次の言葉を飲み込んだ。寺本が苦しそうに強く目を閉じた。
 それじゃどうして、渡辺の結婚式の日、ボクを誘ったの?
 それじゃどうして、モールの駐車場でボクに声を掛けたの?
 それじゃどうして、ボクを抱いたの? 何度も抱いたの?
 でも、愛し合ったことを後悔したくない。
「…別れる男の家に、どうしてそんな格好してくるのさ。こういう時はさ、頭ボサボサにしてさ、ヒゲ面でさ、ボロボロの服着てさ、猫背で、ガニ股で来るべきだよ。そうすればボクだってあっさり引き下がったのに」
「きれいな別れなんてないんだよ」
 そう言い捨てると、寺本は紙袋を階段に置き駐車場に走って行った。緑のカムリがタイヤを空回りさせて走り去った。


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